15.鎮魂に舞うごとく
悲鳴の出所を追って、カイリが辿り着いたのは――。
街の中心から大きく離れた場所に建つ、郊外型のマーケットだった。
その駐車場で、今まさに10人を超える生屍に囲まれていたのは……色々な物をとにかく詰め込んだらしい大きな袋を抱えた、先に予想した通りの火事場泥棒だ。
だがカイリの予想外だったのは、その泥棒たちが『家族』ということだった。
両親に挟まれる形で震えているのは、ともに小学生ぐらいの、姉弟らしい少女と少年だったのだ。
……前回の若い男女のときと違って、今は昼間ということもあり、ヘタに目に付かないように注意する必要がある。
なので、遠くから物を投げたりして、逃げるのを手助けすればそれで充分だろうと考えていたカイリだったが――その幼い姉弟を見た途端、そうした計算はどこかに置き忘れていた。
むしろ両親以上に覚悟を感じる瞳で、弟を守ろうと、必死に抱きしめている姉らしい少女――。
その健気な姿が……幼い頃から彰人を、そしてカイリをも身を挺して守ってくれた、七海の思い出と重なったのだ。
生屍は、普段は緩慢な動きだが、フィクションのゾンビなどと違い、いざ敵と認識した存在を前にすると、生きた人間を凌駕する身体能力のままに、肉食獣もかくやという、機敏な動作で襲いかかる。
一旦そのスイッチが入れば、銃などで武装していればともかく、丸腰の、何の訓練も受けていない一般人では、逃げることすら難しいだろう。
まして、子供連れとなればなおさらだ。
そして今、まさに――。
もとはサラリーマンだったらしいスーツ姿の生屍が、歓喜とも悲哀とも取れる、甲高い叫びを上げて家族に襲いかかる。
「――ひ――っ!?」
しかし――コンクリート程度ならたやすく打ち砕くその腕が、家族の誰かを捉えることはなかった。
数十メートルの距離を一瞬で詰め、間に割って入ったカイリが――凶器そのものの腕を、逆に捕まえていたからだ。
……カイリの胸の奥で『喰らえ』と、あの衝動が鎌首をもたげるのを感じる。
本能よりも早く強く、全身を支配し、突き動かそうとする。
それを必死に抑え、自分が見境のない獣と化さないよう制御しながら――カイリは。
腕を掴んだ生屍の心臓を、空いた右手で――紙でも引きちぎるかのように軽々と、正確に抉り取り、地面に打ち棄てた。
ゾンビのように腐り果てていたり、または空っぽになっているわけでもなく、構造上は生きている人間とほとんど変わりないと言われている生屍の身体――。
その血液の巡りを凌駕するほどに、カイリの動きが速かったのだろう。
心臓を抉られた胸の大穴が、抉られた心臓そのものが――。
ようやく、気付いたように赤い血を吐き出したのは……カイリがさらに、その生屍を群れの方へと蹴り飛ばして、大きく距離を開けてからのことだった。
「!?……あ、あなたは……!」
そのときになって、ようやく家族も、自分たちを助けに割り込んできたカイリの存在に気が付く。
――しかし、そこから彼らは。
加勢することはもちろん、一目散に逃げ出すことも出来なかった。
そもそも、カイリの動きは常人が付いていけるものではないのだが……彼らはそんな物理的な問題のために、何も出来ず二の足を踏んでいたわけではない。
そう、見惚れていたのだ――彼らは。
はっきりと目で追うことなど出来なくとも、文字通り、息をすることすら忘れて。
生きる屍の群れを相手に、血煙を花嵐の如く巻き上げ――。
雪化粧に、朱を幾重にも染め上げていく――。
純白の覡男の、荒ぶる鎮魂の舞いに。
……それは、時間にすればほんの僅かの間。
忘我の中にあった家族が、夢から醒めるように自分を取り戻したときには……すべてが終わっていた。
彼らを取り囲んでいた10人以上の生屍は、残らず、心臓を抉られたり、首を落とされたり、頭を砕かれたりと……人間であれば疑いようもなく致命傷となるほどの肉体破壊を受けて、地面に転がっている。
無論、放っておけばいずれは再生するのだが……さすがにこれほどの損傷となると、すぐに元通りというわけにはいかないのだろう。
今度こそ完全な死を迎えたかのように、生屍たちはその活動を止めていた。
「今のうちに逃げて。――早く」
家族の視線が、改めて自分に集中していることを悟ったカイリは……肩越しに小さく振り返り、大きくはないが良く通る声で告げる。
内なる〈衝動〉は、彼が今も握っている生屍の心臓を喰らうよう――自らの内に取り込むよう、急かしていたが……。
自分を見ている家族を……特に幼い姉弟を、これ以上怖がらせるわけにはいかないと、カイリは意志を総動員して抑え込んでいた。
この家族が、自分という人外の存在におののき、しかし命が助かったことに安堵し、そのまま逃げ出してくれるまでは――と。
ところが――。
姉弟の両親は、子供をその場に置き、あろうことかカイリの方へと近付いてきたのだ。
しかも、彼らがその目に宿す光は。
人外の存在への恐怖に凍り付いているわけでも。
また、助けられたことへの感謝に和らいでいるわけでもなかった。
「………!?」
その瞳の光は、自然に生じる輝きではなく。
醜悪な模造品のぎらつきを思わせる、濁りと澱みを覆い隠すためのような――狂気めいた輝きだ。
そしてカイリは、その光に覚えがあった。
……幼少期の、思い出したくもない記憶の中に。
「ああ……ああ、やはり!
やはりそうだ、生き神様……ッ!!」