14.胸の奥から
――雪のちらつく中。
まるで人気の無い国道を、カイリは一人歩き続けていた。
標識を確認すれば、まだ青森県十和田市内にいるのが分かる。
いや、そうまでしなくても、きちんとした『街』のただ中にいることは、周囲の風景を見れば明らかだ。
だが――そこに、人の気配は感じられない。
街を支配しているのは、しんしんと、雪の降る音が聞こえてきそうなほどの静寂だ。
そして……それがどうしてなのか、カイリは理解していた。
「……ここも……『打ち棄てられた』のか」
常人ではありえない超感覚が捉える、街の各所から感じる気配――それは、人の姿をした、人でないモノ――〈生屍〉の気配ばかりだった。
――『生屍の隔離』のため、今も最前線で活動するカタスグループ。
彼らも、自前の私設兵を増やすだけでなく、自衛隊や各国軍隊と協力して事にあたっているものの……当然、世界全域をフォローするには至らない。
そのため、もとから人口が少なかったり、折悪く〈その日〉以降の死者が多く、被害が拡大し過ぎて住民の自衛力では抑え切れなくなった地区などは、カタスグループや国の組織が処理に駆けつけるより早く、ほとんどの住民が逃げ出してしまい、ゴーストタウン化することも少なくなかった。
そして……幸いにして、というべきか。
生屍はどうやら習性的に、獲物――そんな認識をしているのかどうかは当然定かでないが――を、自分から探して遠方に出向くような真似はしないらしく。
人間の方から下手に近付きさえしなければ、被害の拡大も防げることが分かってきていた。
ゆえに、こうした『打ち棄てられた街』は、そもそも誰も住んでいないのなら、これ以上生屍が発生することもない――と、処理が後回しにされていたのだ。
伏磐を出てから、幾つか同じような街を見てきたカイリは、今回も人の生活が消えた風景にうら寂しい気持ちを覚えながら……しかし同時に、幸運だとも感じていた。
外見上の変化はないので、他人が彼を一目見たところで、『人でないバケモノ』だと分かるわけではなかったが……それでも、白子としての彼は何かと目を引きやすいからだ。
結果として、極力人との接触は避けたい彼にしてみれば、そもそも人気がないのが一番助かる。
――加えて、もう一つ。
飲食物の摂取はまったく必要なくとも、衣料品や、生活雑貨はある程度は必要で、時折補充しなければならなかったのだが……真っ当に買い求めるには手持ちが心許ないという、現実的な理由もあった。――要は、火事場泥棒をするのに都合が良いのだ。
ちょうど、山中を移動する際に傷ついていたズボンとワンショルダーバッグの替えが必要だと考えていたカイリは、罪悪感に小一時間は逡巡したものの……結局は意を決して、商店街の衣料品店で目的の物を手に入れていた。
既に同じような火事場泥棒が入った後らしく、店内が荒れ果てていたのは、罪悪感に言い訳する多少の助けにはなったが……あくまで多少で、しかも言い訳だ。
ともかく謝意だけは誠実でなければと、立ち去り際、誰も居ない店内に大きく頭を下げた。
……その後は、まだ近隣の電気が途絶えていないこともあり、近くに小さなインターネットカフェを見つけると――これまでもそうしてきたように、世界で起きていることを把握しようと、ニュースサイトなどを見て回る。
相変わらず、生屍についての研究が進展した様子はなく、彼の、恐らくは同種――便宜的に〈屍喰〉と呼ばれている存在――との遭遇、あるいは目撃の、信憑性の高そうな情報も見当たらなかった。
しかし――。
特に収穫はなかったと、ネットの閲覧を終えようとしていたカイリの目を、一つのニュースが引き留めた。
「! 伏磐市が……冥界指定……」
そのニュースによれば、数日前に、日本政府、自治体、カタスグループの合意により、伏磐市の一部地域が〈冥界〉として隔離されることが決定したという。
そしてその一部地域とはまさに、伏磐神社を始めとする、彼のもともとの生活圏のことだった。
生まれ故郷というわけではないし、実際にそこで過ごした時間となると、人生の半分にも満たない。
しかし期間こそ短くとも、その時間が、何より大切なものだったことは疑いようのない事実なのだ。
こうして、関係を絶って流浪の旅路に出たのが自らの意志だったとはいえ……。
そんなかけがえのない場所が、人の世界から実質的に『切り離される』という事実は、カイリにとって大きな衝撃だった。
「…………」
重くなった気分を引きずって、外に出る。
そうして、改めてこれからの行き先を考えようと手近な案内板に歩み寄るものの……先に見たニュースの衝撃が尾を引いて、思考は上滑りするばかりだった。
――案内板を見上げたまま、まとまらない思考を抱えてどれだけの時間が過ぎただろうか。
「っ!? 今のは……!」
カイリを物思いの淵から引き上げたのは、人の悲鳴だった。
それは、普通の人間のままだったなら、かろうじて聞き取れるかどうかといった程度に微かなものだったが……今のカイリなら、出所を探ることすら造作も無い。
そして、その悲鳴の出所とほど近い場所に、生屍の気配も複数感じたところから――自分と同じような火事場泥棒が運悪く生屍に遭遇したのだろうと、カイリは推測する。
(……どうする……?)
……これまでも一度、カイリはそうした場面に出くわしたことがあった。
そのときは、取るものも取りあえず駆けつけ、生屍を文字通りに打ち砕いて助け出したのだが……。
襲われていた若い男女から、礼代わりに投げかけられたのは――「バケモノ」という罵声と、恐怖に凍る表情だったのだ。
夜遅い時間のことだったので、その男女にはっきりと顔を見られずに済んだのは幸運だったが……利き過ぎるほどに夜目が利く今のカイリは、同じように見えないというわけもなく。
助けた人間から向けられた恐怖一色の感情は、今でも、苦い記憶として思い出すことが出来る。
その経験から、今回のことは、火事場泥棒なんてするからだ、自業自得だと、割り切って見捨てようとするものの――背を向けて立ち去る踏ん切りが付かない。
そうしていると……。
『カイリ――キミってばそんな人間? 違うよね?』
胸の奥で――七海に、そうハッパをかけられたような気がした。
(都合の良いことを……!)
たとえ一瞬でも、七海を利用したかのような自分の感情に苛立ちを覚えながら。
しかしそもそも、そうして何か、切っ掛けとなるものに背を押されるのを待っていたのか――カイリは、素早く走り出した。