13.異端か天才か
「ロアルドを捜している……?」
ボルクマンの言葉に、トールセンは目を瞬かせた。
わざわざ久しぶりに自分に連絡を付けてきた理由としては、相当意外だったらしい。
「ああ。
――先日ヨアキムから、お前が最近会ったらしいと聞いたんだが」
「いや、まあ、確かに会ったが……。
しかしそもそも、アイツと一番親しかったのは〈巨人〉、お前じゃないか。
なのに――」
質問を返されたボルクマンは、曖昧に首を振る。
「そのつもりだったんだが……。
あいつは行方を眩ませるとき、そんな俺にも連絡の1つも寄越さなくてな」
学会から追放され、居場所を無くし……。
そして姿を消した友人、ロアルド・ルーベク。
遺伝子学のみならず、あらゆる分野に抜きん出た才を見せる類い希な天才として、将来を嘱望された研究者だった学友……。
そのかつての姿を、トールセンも反芻しつつ思いを巡らせているのだろう――遠い目をしながら、しばらくコーヒーカップを傾けていた。
「確かに、アイツはとびっきり変わり者だったからなあ……何を考えているのか分からないときも多かったし。
しかし……どうしてまた、今頃になってアイツの消息なんて」
「…………。
先日、俺宛てにメールが届いてな」
「ああ……ロアルドから?」
「いや。俺からだ」
ボルクマンの返答に、からかわれているのかとトールセンは眉根を寄せるが、気にした風もなくボルクマンは続ける。
「昔……ロアルドが。
『数字が視える』――と、そう言ったことを覚えているか?」
「数字ぃ? ンむ……ああ……! もしかして、アレか?
確か、遺伝子を通じて人間の構成を見ていると、その向こうに『何か』が視える気がする、とか何とか言っていた……」
思い出し思い出し、難しい顔で言葉を紡ぐトールセンに、ボルクマンは「良く覚えていたな」と素直に感心してみせる。
「そう、それだ。
ロアルドは、はっきり言い表せないが、その『何か』は数字のように感じると――そしてその数字は、日を追うごとに減っていくと、そう言っていた。
しかも、調べた人間全員に同じものが視えたということだから、それは個々の寿命を表しているのでもない……」
トールセンは相鎚を打つように軽くテーブルを叩く。
「ああ、そうだそうだ!
アイツ、時々その手の意味不明な発言をしてたからなあ……天才ってのはやっぱりどこか突き抜けてるんだなって印象は残ってるけど、そんなところまでは覚えてなかったよ。
……でも、それがどうかしたのか?」
「……俺もすっかり忘れていたんだが……。
当時俺は、あいつの視える、その『数字らしきもの』がゼロになったとき、何が起こるのかと興味を持ったらしくてな。
あいつに頼んで計算してもらって、その日になったらメールが届くように手配していたんだ――俺自身にな」
ようやく友人の言わんとしていることを理解したらしく、トールセンの眼が細まる。
「まさか……。
それが、〈その日〉……だったのか?」
ゆっくりと、ボルクマンは頷いた。
トールセンは、しばらくあ然としていたが……やがて、首を振りながら静かにカップをソーサーに戻す。
「まさか……いやしかし、偶然だろう?
いくら何でも、そんな……」
「もちろん、ただの偶然かも知れん。
だが――そうではないのかも知れん」
手つかずのままだった自分のカップを、ボルクマンは小さく指で弾いた。
コーヒーが、カップの中で綺麗な波紋を描いて揺れる。
『そう……〈巨人〉。
喩えて言えば、キミはこのジュースのようなものなんだよ。
大河にこぼれ落ち、海に流れ、世界に散り、そして……悠久の時をまたいでもう一度集まった、そんな奇跡のジュースだ』
ボルクマンの脳裏には、かつて聞いた、友人の不可思議な言葉が過ぎっていた。
あのときは、人間の個性というものを彼なりに表現したのだろう、という程度にしか意味を捉えず……妙な引っかかりを覚えつつも、それ以上気には留めていなかった。
しかし、今は違う。
本当にあれは、風変わりな友人の、個性的な冗談の一つに過ぎないのか。
あるいは、今、我が身に起こっていることへの何らかの啓示だったのか――それを確かめる手段は一つしかない。
「どちらにせよ……あいつに会えば、今起きているこの事態について、何か分かるんじゃないかと思ってな」
「そうか……」
発した言葉以上に深いボルクマンの思いまでは気付くはずもなく、トールセンは小さく頷く。
「まさか、いくら何でもアイツがこの騒動を引き起こしたわけでもあるまいし……ムダ足なだけのようにも思うが……まあ、お前の気が済むのなら」
「悪かったな……忙しい中、道楽に付き合わせるようなことをして」
「水臭いことを言うなよ。
……しかしロアルドに会ったのはたまたまで、最近と言ってももう1ヶ月近く前の話だ。それ以降のことまではさすがに知らんぞ?」
「充分だ。で、どこで会った?」
「日本だ」
トールセンの発した単語に、聞き違いかと顔をしかめるボルクマン。
だが、『やはりそういう反応になったか』とばかり、どこか悪戯めいた微笑を浮かべて――トールセンは、同じ単語を繰り返した。
「日本だよ。
――その首都圏にある、伏磐という街だ」




