12.〈巨人〉が追うのは
――ノルウェーはオスロの目抜き、カール・ヨハン通り。
その中心からはやや外れ、港近くにひっそりと建つ小さなカフェの一角で。
「少し遅れてしまったか、すまない」
運ばれたばかりのコーヒーに口を付けようとしていた、ヘニング・トールセンは――。
頭上から降ってきたその懐かしい声を、相好を崩して迎えた。
「いや? 学生時分に比べれば、随分とマシになったさ。
――久しぶりだ、〈巨人〉」
「……ああ、久しぶり。
しかし、そこまで時間にルーズだった記憶はないんだが……」
苦笑混じりに握手を交わし、トールセンの大学時代の旧友――〈巨人〉ことトルヴァルト・ボルクマンは、向かいの席に腰を下ろす。
「まあ、得てして本人には自覚がないものだしな?」
「……言ってくれる」
破顔混じりにわざとらしく、そんな不満をこぼして……ボルクマンは近付いてきたウェイトレスにコーヒーを注文した。
「しかし何にしても、無事で良かったよ〈巨人〉。
……ウワサでは、お前も巻き込まれたって聞いてたからな」
「この通り、何とか元気だ。
状況が状況だけに、情報も錯綜したんだろう」
〈その日〉の出来事を思い返しながら、ボルクマンは小さく首を振る。
――死者が起き上がることになった、〈その日〉。
世界的に被害が集中したのはやはり、もとより人の生死が鬩ぎ合い、加えて人も多く集まる、病院施設だったと言える。
以来、世界中で、病院には正規の軍人か傭兵かはともかく、武装した兵士が常駐するようになっていた。
いや――兵士の増加という変化だけを見るなら、何も病院に限ったことではない。
事故や事件による突然死に備え、特に何事もないような街中でも、巡回する兵士の姿があちこちで見受けられるようになり……。
そして、ときとして横柄な態度を取る彼らの一部が起こす事件もまた、新たな社会問題の1つとなっていた。
だがそれでも、バケモノと成り果てた同族――〈生屍〉が街を闊歩する事態よりはまだマシなのだろう。
そうした兵士の横暴から、常駐や巡回といった兵士の運用そのものを非難するような声は、今のところそれほど強く上がっていない。
むしろ逆に世界規模で見れば、未だに生屍を生活圏から駆逐出来ていない地域の方が遙かに多く……そうした地域に住まう人々は、そのほとんどが問題点を承知した上で、それでもいち早い兵士という〈力〉の投入を願っているのが実状だった。
「確かに、情報が錯綜するのも仕方ないな。
しかし……俺の方は本当に幸運だったよ。あの日は休みで家にいたんだ。
でなければきっと、俺も今頃……」
コーヒーを一口含み……トールセンはやおら、ガラス越しに外を見やる。
数キロ離れた港の対岸には、ほんの数ヶ月前には存在しなかったはずの、無骨で無粋極まりない影が、大きく腕を広げたように続いていた。
――それは、壁。
この世とあの世を区切る境界線として、今も高く積み上げ続けられている隔壁だ。
ここオスロでも、〈その日〉の被害が大きかったのは、間違いなく市の中心部近辺だった。
だが、そのオスロ中心部には行政区画や王宮、さらに交通の要衝も集中している。当然ながら、それらをもまとめて生屍とともに隔離するのは、人々の生活を守るという意味では本末転倒になりかねない。
そのため、距離としてほど近く、また地理的にも半島なので封じ込めがしやすいとして、彼の地――ビグドイ半島が、生屍を隔離するための、ここオスロの〈冥界〉として選ばれたのだった。
もっとも……有名な博物館が揃う観光地であり、高級住宅地であり、さらに王室の別邸まである当地が冥界化されたことについては、緊急事態だったとはいえ、未だに撤回を求める意見も根強い。
ただそれは、当然のことながら〈冥界〉を作り出すことへの反応として、大なり小なり、世界の多くの場所で起きている問題でもあった。
「しかし……実際、騒動の現場に居合わせた〈巨人〉、お前が、こうして今も元気でいるところを見ると……。
この事態の原因は、なるほど、感染する類のものじゃないらしいな」
視線を戻し、興味深そうに頷く同窓生を前に、ボルクマンは――。
コーヒーを運んできたウェイトレスに礼を言い、離れていくのを待ってから、声を落として友人に告げる。
「おい、不用意に口にすることじゃないぞ?
未だに、あれを感染性の病気だと疑っている人間も少なくないんだ――余計な騒動になりかねない」
「っと……そうだな、すまん」
忠告を受け、トールセンは素直に謝る。
異変があってからの初期――世界中で混乱を煽り立てて、無駄に犠牲を増やす切っ掛けになったのが、まさにそうした〈感染〉の疑いだった。
現在では、死ぬ前に生屍に変じてしまう事例が確認出来ていないことと――。
実際に生屍と接触し、傷まで負わされた人間の身体をあらゆる方法で調べても、何ら変わったものは検出されなかったという事実から、感染するような病原体が原因ではないとの認知が一般化している。
だが、何も検出されないのが実際何もないからならば良いが、ただ既存の技術では見つけられないだけ――という可能性も、あると言えばあるのだ。
また、そもそもそうした一連の研究機関の発表を、何らかの意図を以て事実を隠蔽した虚偽のものだと疑う声もあり――。
結果として世間には、原因を感染症に求める説も未だ根強く残っているのだった。
「だが実際……原因は何なんだろうな。
まさか本当に、度を過ぎて信心深い連中が主張しているような、〈最後の審判〉ってわけでもあるまいに」
トールセンは冗談めかしたものの……そうした超自然的な事柄に原因を求める声も、世間的に決して小さいわけではなかった。
それも当然だろう――現代科学を以てしても解明に至らない、『死者の復活』という異常極まりない事態が世界中で起きているのだ。
そこに神や悪魔の存在を見出す者がいても、何ら不思議はない。
実際ボルクマンも、己の身に起きたことと合わせて考えるなら、マッドサイエンティストの作った出来の悪い人体蘇生薬が流出した――などという、エンターテイメントの設定をそのまま持ってきたような陳腐な説に比べれば、神や悪魔の介在の方が、よほど信憑性があると思っている。
「ところで、〈巨人〉……急に俺に連絡を取ってきた用件はなんなんだ?
まさかこんなときに、同窓会のお誘いってわけでもないだろう?」
トールセンが居住まいを正して問うと……ボルクマンは静かに頷いた。
「ああ。
ロアルド・ルーベク……覚えているよな? 同期の。
あいつを捜しているんだ。
どうしても……会わなければならなくてな」