11.隠者のように
「そうか、もうすぐ春……なんだ」
つい先日までの猛吹雪も収まって。
雪こそ変わらずちらつくものの、雲間から射し込む陽光といい、どことなく空気が穏やかになったような気がして……カイリは改めて指折り、今日の日付を数えてみる。
――彼の運命を大きく変えた〈その日〉から、半年余りが過ぎていた。
現在のカイリの生活は、人目を避けるため基本的には山の中を移動し……。
衣料品などを調達したり、雑誌や新聞、テレビ、インターネットで世間の情報を集めるときにだけ街へ降りる、という隠者めいたもので。
そうして過ごす日々の中でカイリは、自分が、人間とはまったく別の存在になってしまったことを、改めて思い知らされていた。
……まず、食事を摂る必要が完全になくなっていた。
単に食欲がないという程度ではなく、まるまる1ヶ月飲まず食わずでも、まったく平気になったのだ。
世間で生屍と呼ばれ始めた動く死体への、『喰らえ』という内なる〈衝動〉は変わらず存在するが――それは、栄養摂取の必要性から来るものではないようだった。
七海以外未だに誰も喰らっていないにもかかわらず、飢えに悩まされることもないからだ。
眠る必要もなくなった。
眠ろう、と意識すれば眠れないこともないのだが、幾日も眠らずに過ごしたところで眠気はなく、またそれによって体調が悪くなることもない。
そして――身体能力そのものの変化だ。
その筋力が人間離れしていて、かつ異常なほどの再生力があるのは、こうなったときから分かっていたことだが……それ以外の面でも普通でないことがはっきりしていた。
極度の暑さや寒さに遭っても、まるで体調に変化が起きないのだ。
暑い、涼しい、といった温度変化は感じられるが、サウナ風呂のような状況にあっても汗の一つもかくことなく、逆に防寒具も無しに猛吹雪の中にいても、凍えたりしない。
その上、白子ゆえの色素欠乏から抵抗力が低く、文字通り身を焼きかねなかった強い日差しの影響すら、まるで受けなくなっていた。
真っ白な肌をさらしても過度な日焼けなど起こすことなく、まぶしさも感じずに、その赤い瞳を直接太陽に向けることも出来る。
――しかしカイリにとってそれは、これ以上ない皮肉だった。
愛する者を喪い、家族、友人との繋がりを喪い、人間としての自分を喪って……ようやく彼は、太陽を仰いで歩くことが許されたのだから。
(……この後は……どうしようか)
山を下り、一般道へと出たカイリは……。
寒さがやわらぎ始めたとはいえ、まだまだ雪に白く彩られている風景の中、街へと足を向けながら――コートのフードを頭から被りなおす。
そうしてふと見上げた道路標識は、この道が国道102号線であり、青森県十和田市に入っていることを告げていた。
――伏磐を出てから、あてもなく北へと向かううち、とうとう本州最北の地までやって来たことになる。
この先、さらに北上して北海道へ渡るか、折り返して南下するか――カイリは歩道の雪を踏みしめつつ考える。
自分が特異な存在であることを弁え、人に害を為す可能性を考慮し、ただ社会との接触を断って隠れて生きていくだけなら、北海道の雄大な自然は打って付けだろう。
だがカイリには、自ら手に掛けてしまった七海のためにも、異変の真相を知りたい――という願いがある。
だから、いずれそうしなければならなくなるとしても、今はまだ、世を捨てて完全に隠棲する道を選ぶわけにはいかなかった。
特別な技能があるわけでもない、一介の高校生に過ぎない彼としては――。
世界的な異変の真相という巨大なものに対しても、今のところごく一般的な方法で情報を集める――主にメディアに頼る――ぐらいのことしか出来ず。
そのためにも、人の生活圏に留まる必要があったからだ。
そしてもちろん、北海道に渡ってそれが出来ないわけもない。
だが、ただの学生で、特殊な情報源など持たないカイリにとって……唯一、自分だけが得られる手掛かりとして目星をつけているのは。
そもそも実在するのかどうかも未知数だったが、〈自分と同種の存在〉との接触であり――そのためには、一つ所に留まるより、色々な場所を巡る方がまだ確率が高いと考えていた。
……そう、だから……。
青森を回った後は、今度は日本海側を南下していこう――。
そんな風に考え、先の行動をこうと決めて……しかしすぐに、カイリは苦み走った微笑とともに、小さく首を振った。
――体の良い言い訳だ、と。
……僕はただ、行きたくないだけ――『あの頃の自分』が残る場所に、近付きたくないだけじゃないか。
こうして、本当に〈人間〉でなくなってしまった今は、なおさらに――。
寒いと凍えることもないのに――。
カイリは思わず、コートの前を強く掻き合わせていた。