10.変容した〈死〉に
――馬鹿馬鹿しいほどに当たり前だった常識は、〈その日〉を境に、全世界で覆った。
死が、消滅ではなくなったのだ。
これまでであれば、朽ちて土に還るばかりだったはずの屍が――乳幼児という僅かの例外を除き、等しく『起き上がる』ようになったのである。
だがそれは、決して喜ばしいことではなかった。
死は、確かに『消滅』ではなくなったものの……逆に『喪失』という一面を、より残酷に体現するようになったからだ。
〈その日〉以来、命を落とし、そして起き上がった者――。
彼らは外見こそほぼ生前のままながら、その本質においては、強靱な身体能力を以て人に害を為すバケモノと化していた。
しかもそのバケモノは、何らかの手段で身体を破壊しようとも、いずれ再生し、再び動き出す不死性も備えていたのだ……一度死んだ身はもう二度と死ぬことはない、とばかりに。
家族が、隣人が、同胞が――同じ、人間が。
死を境にして、自分たちに牙を剥く不死身のバケモノに成り果てるその悪夢に、人類は恐れおののいた。
社会が高度に情報化していたのも、却って災いした。
恐怖を煽る映像に、何の根拠もない無責任な憶測やデタラメが、ネットワークを通じて氾濫し……悪夢から逃げようにも、人々は荒れ狂う情報に溺れるばかりとなったからだ。
本来であれば、率先して事態の収拾を図らねばならない国家ですら、異変の原因を掴めなければ、有効な対処も取れずにいた。
彼らに出来たのは、その場凌ぎの対応で何とか、今にも崩れそうな統治機関としての枠組みを保ち続けることだけだったが……しかしその最後の砦を守ることは、決して無為ではなかった。
それが役目を成さなくなっていれば、いわゆる無政府状態となり、この混迷の中にあってもかろうじて最低限保たれていた国民の生活が、完全に破綻してしまったに違いないからだ。
しかし……恐怖がさらなる混乱を呼び、混乱が新たな恐怖を生む――その負の連鎖は、勢いを増すばかりだった。
そうして、万物の霊長を自負し、世界に君臨していたはずの人間社会は、瞬く間に、呆気なく、混迷の時代へと沈むことになった。
そんな中――〈その日〉から数ヶ月。
世界的な企業グループを傘下に置く大資産家が打ち出し、果断に実行へと移した強引かつ大胆な対応策が、人間社会の崩壊を食い止め、歴史を繋ぐ希望となる。
「死者なら死者らしく、〈冥界〉へ送ればいい。
〈冥界〉なら作ればいい」
八坂 邦大――グループの若き会長が、そう宣言したように。
総合建設業を基盤とし、世界中に根を巡らす日本の複合企業〈カタスグループ〉の採った対応策とは――。
『人を襲って数が増える』という特性上、特に被害が大きくなった大都市中心部などの周囲に巨大な『隔壁』を築き、その内側に、問題の動く死者を囲い込む――というものだった。
さらに、迅速に日本政府と交渉し許可を得た上で、軍経験者や傭兵を集めて構成された私設の軍隊を組織し――。
隔壁外の死者については、銃火器をも用い、すぐには再生出来ない程度まで身体を破壊してから、その再生までの間に隔壁内へ遺棄する、という手段を採り――。
加えて、瀕死とはっきりしている人間の情報があれば、その場に立ち会い、対象が死を迎え、起き上がるのが確認されるや、同様の処置を施すようにした。
その徹底した行動の目的はただ一つ――。
『人々の側から、速やかに動く死者を遠ざける』である。
それは直接原因の追及になっているわけでも、ましてや根本的な対処となっているわけでもない。
要は、人間社会がかねてより得意としてきた、『臭いものには蓋』だ。
だがそれは、社会が早期に安定を取り戻す上で非常に効果的でもあった。
危険そのものが消えたわけではなくても、その対象がひとまず目に付く場所から遠ざけられているというだけで、人は安心感を得ることが出来――そうして作られた余裕が、根本的な異変研究の推進にも繋がるからだ。
そして、その効果は世界中が認めるところとなり……カタスグループとその会長は、非難も受けつつも、それよりずっと大きな声で功績を讃えられることとなる。
さらに、もともと民間の技術協力などで多くの国と繋がりの深かったカタスグループは、国連においても発言権を持つ特別なオブザーバーと認められ、先駆者として、各国政府との協力の下、世界中で同様の対応を展開することとなった。
それとともに、彼らカタスグループが動く死者を指して、『生きた屍』との意味で使った〈生屍〉という呼び名も、世界標準として浸透していく。
……そんな中――。
その生屍たちの中に、同じ生屍を襲い、喰らう存在が――しかも、まるで人の意志を残しているかのような存在がいる――という噂が、まことしやかに流れるようになった。
語られるのは実在すらあやふやなものでありながら、しかしなぜか消えることなく……それどころか、時とともに事実のように浸透していく噂。
それはいつしか、かの存在を。
誰ともなく〈屍喰〉と、そう呼んでいた――。




