47.ありがとう
――以前、伏磐を訪れたのは……〈その日〉から1年後のことだった。
そのときですら、〈冥界〉となった伏磐はすっかりゴーストタウンとなり、往時の姿とかけ離れていると感じられたものだが……。
今はもう、その比ではなかった。
人が築いた数多の文明の申し子たちは、そのほとんどが、広がりゆく緑に溶け合い、自然の中に沈み……。
かつて本や動画で見た、世界各地の遺跡群と同じ様相を呈し始めていた。
そして、その姿は――〈冥界〉などと呼ばれながらも。
いやあるいは、〈冥界〉だからこそか……美しかった。
だがそれは、人がいないからこその美しさではない。
ただ、人がいずとも美しい、というだけだ。
ゆえに人がいたならば、それはまた別の彩りを受けて美しいことだろう。
……〈地の声〉は、元より美しいものを改めて美しいと感じねばならないのは哀しいことだ、と言った。
それは確かに、一つの真理ではある――人は、自らも含めて世界の美しさの中にあったことを、忘れ果てていたのだから。
だが……完全にその枠組みから外れてしまったわけではないのだ。
世界を美しいと思えるのは――人がまだ、この星と繋がっている証なのだから。
まだ、星と共に在るという証なのだから。
そして……ここが〈冥界〉である以上、住まうのは〈生屍〉たちだ。
長い年月のうちに、生者の言葉を借りるなら、相当数がこの地に『遺棄』されたことだろう。
しかし今、往来に彼らの姿はほとんど見えない。
いたところで、自らもまた自然の一つであるとばかりに、身じろぎもせず静かにその場に存在しているだけだ。
目に付くところにいない者たちに至っては、ただ、もっと以前から同じようにして――文字通り、広がりゆく緑の中に溶け合っただけのこと。
生屍の凶暴性が、次第に失われている――そうした観察結果は実際、間違いでは無い。
〈屍喰〉たちが、時とともに少しずつ、己の本質を理解していったように。
苦難とともにある〈人間〉が、少しずつ何かを学び取ろうとしているように。
生屍もまた、かつてあった、あるべき形を思い出し――適応しているのだ。
旧来の在り方での『人間』に縛られ、引きずられ、本質との違いにただ混乱するばかりだった――ゆえにその発露が動物的な凶暴性でもあったこれまでから……徐々に、少しずつ。
『人間』という形を失った彼らに知性は無いが、根源的な『魂』は存在するのだから。
彼らは、その魂の求めるままに……母たる星に、その自然に、ただ寄り添おうとしているのだ。
魂の循環――〈星の廻り〉に還らずとも、そこに近しく。
いずれ還るときのために、星とより近しくなろうとするように。
そして――そんな者たちが住まう、この地は。
命名された当初とはきっと、意味合いが大きく違っても……。
正しく、彼岸――〈冥界〉であると言えた。
「……ここは……あまり変わらないね」
カイリが、宝物のように大事な時間を過ごした神社の境内は……伏磐全体の変化に比べれば、驚くほど往時に近い姿を保っていた。
地理的な問題なのかと、いかにも人間的化学的な考え方をして――すぐさまカイリは、苦笑とともに本質を理解する。
――これは、自分の意識の結果だ、と。
何のことはない、〈星の一部〉である自分の想いが強く残り、刻まれている場所だから……その頃に近い状態を保っているのだ、と。
そして、そんな境内を奥に進めば――そこには。
以前よりも大きく生長した、あの榊の大樹とともに。
その根元に。
幼い頃、遊び疲れて休憩していたときのように――
大樹に背を預けて座り込む、親友の姿があった。
「……ただいま、彰人。
随分、遅くなっちゃって……ゴメンね」
そんな友に合わせて、カイリも膝を折る。
年老いた姿の彰人は、しかし既にその魂こそが本質となっているためか――カイリの目には、むしろ若い頃のままのように映った。
そして、もはや彼が言葉を発することは無いが……それだけに。
カイリは、あの頃の懐かしい調子で、文句を言われたような気がした。
いや、きっと事実、言われたのだ――魂は、そこにまだあるのだから。
「うん、いるよ――ナナ姉も、ここに。僕と一緒に。
……まだ姉離れ出来ないのか、ってさ?」
微笑みながら、そんな冗談を言いつつ――視線を脇にずらせば。
彰人の傍らには、少しだけうずたかくなった地面と……後からそれを中心に、飾るように植えられたものだろう、小さな花たちが輪になって咲いていた。
そこは……かつてカイリが、七海の遺品を埋めた場所だ。
誰に教えることもなかった、彼だけが知る七海の墓所だ。
しかし、彰人は気付いたのだ――言われずとも、会わずとも。
カイリの想いと、この場所の意味に。
だからこそ彼は、最期を迎える地に、ここを選んだのだ――。
「……ありがとう、彰人」
笑顔のまま、その言葉を告げるカイリの頬を。
一筋の涙が、静かに伝い落ちた――。




