7.どうして
そうして――慟哭の中、どれぐらいの時間が過ぎただろう。
やがて……カイリの心は。
現実に彼の身体がそうしているように、無限の空虚の涯てに独り、ぺたりと座り込んだ。
いっそのこと、そのまま――深淵の独房に自らの心を縛り、繋いで、閉じ籠もってしまえたなら。
それはそれで、彼にとっては一つの幸せだったのかも知れない。
しかし……彼は。
慟哭の中に、『それ』を見つけてしまった。
見過ごすことが出来なかった。
昔のように、ずっと俯いていれば気付かずに済んだはずの――深い闇にぼんやりと浮かぶ、一点の『疑問』を。
『ほら、かおをあげなさいっ!』
幼い頃、そう七海に叱られた通り、半ば反射的に見上げたばかりに――意識を上に向けたばかりに。
その瞳は――無邪気なほどにしっかりと捉えてしまったのだ。
――どうして、という疑問を。
どうして、自分はこんな〈何か〉になったのか。
どうして、自分は七海を喰らわなければならなかったのか。
どうして、七海は自分に喰らわれなければならなかったのか。
どうして、死んだはずの人間が動いていたのか。
どうして、こんな事態が起こっているのか――。
ただ一つの〈どうして〉を切っ掛けに。
これまで押し込めていた疑問の数々が噴き上がり――彼の意識までも、現実の淵へと押し戻す。
「そう、だ……このままじゃ……」
ぽっかりと虚ろになった心は……だが、それゆえにか。
到底受け止められないと思っていた事実たちを、拍子抜けするほどすんなりと受け入れていた。
人間のそれではなくなっていても、しかし自分のものには違いない手足に力を込め……カイリは、ゆっくりと立ち上がる。
「このままじゃ……ナナ姉に会わせる顔がない……。
謝る言葉だって、ない……」
――『何が』起こったのか。
その事実の一端にでも触れなければ、死ぬことすら許されない――。
心の内に、誰かによってではなく、彼自身から芽吹いたのは……そんな、強固で鋭利な決意だった。
そして、それを待っていたかのように――。
彼以外の命が存在しないような静謐の境内に、不釣り合いな電子音が響き渡る。
すぐにそれが自分のスマートフォンだと気付いたカイリは、ポケットから取り出すものの……着信を告げる画面を見つめたまま、出ようとはしない。
――発信元は、彼の保護者の老神主だった。
およそ真っ当とは言い難い幼少期を過ごした自分を、真人間にしてくれた人。
厄介な疾患を抱えた自分を、嫌な顔一つせず迎え入れてくれた人。
家族というものを、身を以て教えてくれた人――。
「……爺ちゃん……」
見下ろす彼の手の中で、スマートフォンはしつこく鳴り続ける。
その音の欠片一つずつが、『家族』の、厳しくも暖かい叱咤のように感じられた。
……嬉しかった。
さっきまでとは別種の暖かい涙が、また目の端に浮いた。
だからこそ――。
「うん――うん、ありがとう……ありがとう、爺ちゃん……っ……!
これまで、本当に……ありがとう……っ!
だから――だから、ごめんなさい、僕は……!」
だからこそ彼は、決別を心に決めた。
比喩でも何でもなく、本当に〈人でないもの〉と化した自分。
得体の知れない〈衝動〉により、人を喰らってしまう自分。
そんな自分が、近くにいるわけにはいかない――と。
そしてその決別の意志は、つい先頃までは救いを求めようとしていた友人たちにも当てはまった。
一度、今の自分が力を振るえば、ただの人間では止める術がないのは明らかなのだ。
なら――彼らを、カイリ自身の得体の知れない脅威から護るためには、関係を絶つのが一番良い。
……迷いが無いわけがなかった。
嫌だと思わないわけがなかった。
だが――七海を実際に喰らってしまった自分には、その道しかないのだと。
そう彼は己に言い聞かせ――必死に心を奮い立たせて、覚悟を決めた。
「……さよう、なら……。
さようなら――! 爺ちゃん、彰人、結衣……っ……!」
大事な人たちへの、これまでの感謝と、謝罪を心に込めながら――掌を、ほんの少し力を入れて握り込む。
ただそれだけで、華奢で白い手の中、スマートフォンは拍子抜けするほど簡単にくしゃりと潰れ――。
そして、二度と彼を呼ぶことはなくなった。




