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9.タイムオーバー!

◆◆◆◆◆


 東の空が白々と明けはじめた。

 ろくにまんじりともできなかった。恐る恐る穴から這い出し、テラスから眼下をのぞいてみる。

 そう言えば、これまで獰猛な唸り声の合唱は耳にしても、日光のもとで奴らの姿を見たことがなかった。


 案の定、狼のような顔つきで、ハイエナみたいに尻のさがった全身灰色の獣だった。下半身には特徴的なぶちがある。救いなのは、どれも格別巨体ではなかったことだ。とはいえ集団で襲われたなら、ひとたまりもあるまい。


 群れは朝を迎えるとともに諦めたのか、森の奥へ去っていった……。

 今になって、やはりねぐらを塞ぐなり、燻すなりして殺しておくべきだったとほぞを噛むのであった。サバイバルに情けは禁物である。人間のエゴだと非難されようが知ったことではない。

 

 いずれにせよ、獣どもは夜間だけ行動するのであって、その点に気を付ければ命の心配はなさそうだ。ツリーハウスの上なら、いくら下で吠えようが、隠田おんだはおかまいなしに眠ることができた。

 腕時計にタイマーをかけるのを必須とし、暗くならないうちに帰宅することを心がけた。




 来る日も来る日も穴に潜り込み、トンネル掘りに専念した。

 鑿の先は欠け、柄もハンマーの衝撃に耐えきれずボロボロになった。

 代わりの鉄材を加工して叩いた。が、鍛錬した鋼に比べると硬度は落ちるので、作業は遅々として進まず、やがて穴の外では季節だけが移ろっていった……。


 その間も食べていかなければならない。

 時には丸1日、追い込み漁に出かけ、捕らえた魚介を干物にしたり、藻塩作りに精を出さなければならなかった。漁場では魚だけではなく、イカやタコまで捕れ、食に変化をもたらすことができた。深いところに潜ればサザエやトコブシを手に入れることができ、単調な日々は多少なりとも慰められた。


 隠田は春先に新たな野菜の種をいていた。

 うねごとに、昨年と同じものを植えると生育不良になったり、収穫量が激減したり、病気に冒され枯死してしまうことがある。この現象を連作れんさく障害と称することを知っていた。知識は正義だ。

 それぞれの畝には、昨年とは異なる作物を作るよう心がけた。ちゃんと記録までつけてあった。

 自身の糞尿を溜め、それを施肥せひするのも忘れなかった。


 ときおり嵐が来て、数日にわたって猛威をふるった。自然のサイクルは機械的にくり返された。

 ツリーハウスの小屋は何度も屋根を飛ばされ、畑も破壊されそうになった。そのたびに隠田は、我が身をていして野菜を守った。


◆◆◆◆◆


 ある日の午後、隠田は飽きもせず穴に入り、隧道掘りに打ち込んでいた。

 長きにわたる無人島暮らしで、食生活も偏っていたので、頭がちゃんと回転しない。気は短く、短絡的な思考になりがちだった。

 孤独をこじらせ、精神に異常をきたしているのか、あらぬ独り言を呟き続ける。そのくせ五感は研ぎ澄まされていた。


「あン?」


 不意に、穴の外で異音を捉えたような気がしたので、ハンマーを振るう手をとめた。

 耳に手のひらを当て、聴覚に全神経を集める。

 遠くで、バリバリバリバリ……という、大気を切り裂く音。

 あれはよもや、エンジン音ではないか?


 徐々に近づいてくる。

 やがて近くで爆音になり、こだまするほどになった。

 隠田はハンマーを捨て、穴から出てみた。計算ではトンネルの開通まで、残すところあと1メートルほどだというのに……。


 空飛ぶ黒い物体は爆音を轟かせながら、西側の砂浜の方へ降下していった。

 あとを追うべく、浜へ下りてみることにする。

 砂地でできた丘陵きゅうりょうの頂から明らかになった。


 椰子やしの生えた波打ち際には、哨戒ヘリコプターが着陸していた。ローダーブレイドを回転させているせいで、猛烈な砂塵が舞っている。

 エンジンが停められ、やがてその回転もおさまっていった。


 隠田は事態を飲み込んだ。

 顔をくしゃくしゃにしかめ、両腕を広げ、激しく振って交差させた。


「つ、つ、つ……ついに、助けが(、、、)来てしまったんだ(、、、、、、、、)!」


 うめきながら丘をくだった。

 足をとられ、尻餅をついたまま滑り台のように下までずり落ちていく。

 その姿を認めたらしく、すぐさま哨戒ヘリから男たちがぞろぞろと降りてきた。

 遠目にもわかった。隠田の視力は鷹なみに冴えていた。4人の迷彩服姿のアメリカ人と、1人は私服の男も混じっている。


 彼らは隠田の恰好を見るなり、身体をこわばらせた。

 お互いに顔を見合わせる。アメリカ人の1人など、あんぐり口を開け、両手を広げ、ワオ!とオーバーアクションをした。


 なにせ隠田は、ざんばら髪で髭もボーボーの、腰蓑こしみの一丁の裸族である。真っ黒に日焼けし、眼つきも尋常ではないほど爛々(らんらん)としていた。おまけに戦闘民族よろしく、木の枝と鋭い鉄材で工作したもりを手にしていた。首にはいくつもの二枚貝をあしらった首飾りを巻いてある。まさしく、鬼ヶ島の鬼もかくやのいで立ち(、、、、)である。


 前に進み出た私服姿の男は、れっきとした日本人だった。呆気にとられたような顔つき。


「……おい、無事だったのか? アフリカ行きの便の生き残りだよな? 日本人の乗客の一人、隠田 智也さんじゃないのか?」 


「な、な、な、なんで……なんで、今さらなんだよ」と、隠田はがに股(、、、)になって文字どおり地団駄を踏んだ。「ダメだダメだダメだダメだ!」


「なにをおっしゃる。やっと帰れるんですぞ」


 と、日本人の男が言った。声はふるえ、涙ぐんでいた。

 アメリカ人がすり寄ってきて、口々に、大丈夫か? 無事だったか?と聞いてくる。

 恰幅のいいレイバンのサングラスをかけた男が代表で、長々とまくし立てた。すぐに日本人に顎をしゃくる。どうやら彼は通訳らしい。


「我々は希望を捨てず、ずっと生存者を捜し続けていた。捜索範囲を広げた甲斐があった。まさかこんな絶海の孤島に流れ着いていたとは驚きだ。日本へ帰してやろう。君の家族が待っているぞ――と、中隊長が言っております」と、通訳は言った。隠田に近寄り、たくましい肩に手をやった。「よく生きてたな。飛行機が墜落してから430日――1年と2カ月だぞ。君はよく頑張った、ともおっしゃっています」


「なんだって?」隠田は眼を見開いて口走った。いくつもの歯が欠け、しわが目立った。とても30前には見えない。胸の前で手のひらを見せた。「冗談じゃない。せっかく居住区に水路を引いた。トンネル掘りもあとちょっとなんだ。ここまで来たのに、今さら中断するわけにはいかない! おれはなにがなんでもやり遂げる!」


「ナニをおっしゃるんだ、アンタ」


 体格のいいアメリカ人が片言の日本語で言った。今度はなめらかな英語でしゃべり、通訳を介した。

 通訳の男はこう言った。


「――なんのために今まで耐えてきたんだ。故郷に帰るために頑張ってきたんだろ。もう終わりなんだ。島での不便な生活とはグッドバイだろ」


 言うが早いか、隠田は激しく頭を振った。


「困る困る困る! 今、手は離せん。ここまで掘ってきたんだ。フイにしたくない! おれはなんとしてもトンネルを開通させる! あと1メートルなんだぞ。それまで島から出ん! 一歩たりともだ!」


「なんだ、それ!」


「ユー、クレイジー」


「オー、ジーザスクライスト!」





        了



※参考文献


『完訳 ロビンソン・クルーソー』ダニエル・デフオー 増田 義郎訳・解説 中公文庫

『漂流』吉村昭 新潮文庫

『無人島に生きる十六人』須川邦彦 新潮文庫

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