8.隧道掘りに挑む
これまでツリーハウスを建て、30もの井戸掘りにチャレンジし、島のあらゆる方角に行き来できる山道を整地した。人間ブルドーザーと化してブッシュを切り拓いた。入り江の追い込み漁の石垣など、6カ所も完成させていた。
なにより灌漑工事を完成させた実績と誇りがあった。伊達にブラック企業の社畜営業マンとして鍛えられた粘り強さがある。それに加え、几帳面さもが隠田の取柄だった。孤独に挫けない鉄のメンタルとフィジカルまでそなえているではないか。
「いっちょ、やってみるか。営業畑の素人が、見よう見まねで長さ80メートルの水路を完成させたんだ。トンネル掘りだって、やってできないことはない。それに、時間はいくらでもあるさ!」
隠田はテッポウムシをすべてたいらげると、立ちあがった。この際、刳り舟で島から脱出することなど、二の次になっていた……。
奇しくも学生時代、隧道掘りに関するドキュメンタリー番組を観たことがあった。
まだ重機がなかった古い時代のそれである。手掘りするために、職人たちはツルハシや玄翁を使っていたと憶えている。
ここにはツルハシなどの便利な品はなかったが、ハンマーと鑿ならあった。鑿は北側の荒磯にある洞窟で見つけたのだ。白骨死体のそばで一緒に眠っていたのをいただいたのだった。なかったらなかったで、隠田なら鉄材を組み合わせて工作しただろう。
小屋の窓から手を差し出した。
隠田は晴れ男かもしれない。小屋で道具箱をあさり、ああでもないこうでもないと思案しているうちに、いつの間にか雨はやんでいたらしい。
善は急げである。
道具一式をビロウの葉で包んだ。背負子にセットすると背負い、ツリーハウスのハシゴを消防士みたいに滑り降りた。
◆◆◆◆◆
さっそく南側にそそり立つ屏風岩をよじ登る。
20メートル登り、テラス状に張り出した中腹までたどり着くと、背負子をはずし、荷物を解いた。
赤茶けた岩壁に鑿をあてがい、ハンマーを振るってみた。
岩は硬く、わずかに傷をつけるほどだった。
躍起になって、ハンマーで叩く。
ようやく砕けた。しかしながら微々たる窪みがやっとだ。
「やれないことはないな」と、隠田は岩肌を撫でながら言った。言ったそばから鑿を当て、ハンマーを振るう。「時間はかかるだろうが、涓滴岩を穿つって奴だ。そうさ、おれならできる。やり遂げてみせるぞ!」
その日から、隧道掘りに精根を傾けた。
昼食をとるのも忘れ、鑿でハンマーを叩き続ける。さしもの隠田も心身ともに万能ではなく、時には誤ってハンマーで自身の手を殴りつける失敗も重ねた。
転んでもただでは起きない。鑿を握る左手に鉄のカバーをつけ、飛び散った破片が眼に入らぬようアクリルで作った面を装着し、執念深くチマチマと岩を砕く。
1日に掘れる量など、たかだか知れている。隠田は飽きずにハンマーを振るい続けた。
禅の域に達していた。無心になり、人間削岩機と化して掘り進む。
そのころになると、やたらと独り言を呟くようになる。
岩と格闘すること2週間。穴は、人間が立って入れる高さと幅になっていた。それでもまだ長さ1メートルにも達しない。
そこからが難航した。
硬い岩盤に突き当たったらしい。材質からして今までとは異なり、鑿が歯が立たないのだ。
直接ハンマーで殴りつけてみると、火花が飛び散り、そのあと焼けた煙を発したほどだ。途轍もなく硬い。
「クソッ……。ドキュメンタリー番組では、こんな壁にぶち当たったら、どうしたんだったか?」
手掘りで掘れない岩は、そばでたくさんの木を燃やしたはずだ。
隠田は薪に火をつけた。枯れ木を投入し、盛大に燃やす。
日が沈みかける直前まで薪をくべ続けた。穴の中は溶鉱炉さながらに赤々と熱された。
翌日、穴をのぞくと、薪の残骸は熾火になって地面に広がっていた。きれいに履き出し、たっぷり打ち水をして熱が冷めるのを待った。
気を取り直して、真っ黒になった岩肌に鑿をあてがう。
時間をかけて燃やしたおかげで、岩は脆くなっている。
隠田はウホウホと類人猿のように喜び、作業を進めた。
さらにどれほど日にちが経ったか。
横穴は長さ3メートルに及んでいた。
さすがに手掘りするには暗すぎるので、ここぞとばかりにロウソクの出番だった。天然のロウの木から抽出した貴重品が、まさかこんな局面で活躍するとは思わなかった。
ロウソクの明かりのもと、見えざる友人とくっちゃべった。と思ったら、急に下を向き、独り言を洩らす。明らかに狂気に囚われていた。
隧道掘りはスムーズにはいかず、ときおり硬い岩盤にぶつかり、そのたびに薪を放り込んで燃やした。
薪を割るとテッポウムシが出てきた。長さ16センチもある巨大イモムシだ。穴からほじくり返すと、丸々ととぐろを巻いた。こんなのが成虫になったら、どんなカミキリムシになるのか。
隠田は、おやつ代わりに生で食べたてみた。まさに踊り食い。白い体液がブチュッと飛び散った。
ロウソク一本の明かり中で熱中しているうちに時間の感覚が失われ、気付けば夜の21時になっていることもめずらしくなかった。
隠田はあわてて穴から出、裾野を見おろした。
周囲は闇に閉ざされ、かろうじて星明りでツリーハウスの外観がシルエットとなっているのが見えた。
屏風岩の下では獰猛な唸り声で満ちている。夜行性特有の一対の光る眼が、そこかしこで浮かんでおり、背筋の冷える思いをした。
下手に基部におりれば、集団で襲いかかってくるにちがいない。
少なくともこの岩壁の中腹までは攀じ登らないとたどり着けないのだ。獣どもは這いあがっては来れまい。
ツリーハウスには戻るべきではあるまい。
空腹がこたえた。
昼食用の食べ残しである猪肉で作ったジャーキーを口に入れて、しばらく様子を見守るしかない。藻塩で味付けしてあるので、パサパサのジャーキーもくり返し噛めば、うま味が増してくる。
隠田は穴に戻り、そこで蹲って時が経つのを待った……。