7.刳り舟の完成
約4カ月をかけて、刳り舟が完成していた。島ではやることが山ほどあり、なにもかも並行して作業したので時間がかかったのだ。
昨日、南側の入り江で進水式を行い、水漏れの心配がないのを見届けていた。
最終的にこの舟に、屋根付きの筏をドッキングさせることで安定性は増すだろう。また島からの脱出時には食料と飲料水をはじめ、他にも必要な生活必需品を搭載することができよう。
はじめのうちこそ無人島暮らしも不便を極めた。――隠田自身は、ここはいまだに無人島だと思っていた。人間が不可抗力で無人島に流れ着いたのであって、故国に帰るべく懸命に努力している。そもそも島を管轄している役所で住民票を登録したわけではないので、定住者になった認識はない。したがって、ここが有人島になったとは言えない。……しかしながら、もし新たな漂流者が流れてきた場合、その視点からすれば、この島は無人ではないかもしれない。
それはともかく、隠田の地道な努力により、島の暮らしは快適になりつつあった。
ツリーハウスから島のあらゆる方面へつながる山道も整地されていた。苦労して石段を組んだ坂さえある。なにより、水路を第2拠点の真下まで引いたのは大きい。
島の至るところまで探索していた。地図まで作製してある。
おかげで全容を知り尽くし、すっかり愛着が生まれていた。独りきりなのが唯一のネックだったが、自分のやりたいように変えることができ、理想郷に近づきつつあった。
実は綿密な調査で、夜行性の狼どもの住処まで把握していた。
奴らは東側の、6つ小山を越えた向こうにある谷間の洞窟に潜んでいるようだった。穴は地下へと続き、あれほどの群れが棲んでいるとなると、かなりの大空洞が広がっていると推測できる。さすがに奥まで足を踏み入れたことはなかったが。
大事に至る前に、脅威を取り払うべきではないかとも頭をかすめたことがある。
すなわち昼間、奴らが眠りについているうちに、洞窟の入り口を塞ぐなり、焚き木に火をつけて燻し殺すことを。
隠田はすぐに思いなおした。
島で必死に生きているのは自身一人だけではない。ましてや寝込みを襲うのはフェアじゃない気がした。その一線を超えるのは傲慢な人間のエゴではないか。あくまで高潔な生き方を貫いた。
そもそもである。
刳り舟を完成させたのなら、さっさと島からおさらばすべきではないか?
もっとも、どちらの方角へ何日進めば陸地に辿りつくか、皆目見当もつかなかったのだ。
逆に運が悪ければ、大陸から遠ざかる恐れさえある。隠田にはサバイバルに適した才覚はあっても、航空機事故ポイントから地理を割り出す能力に欠けた。
たとえ運よく陸地をめざしていたとしても、はたして何日かかることか。道中、海はいつまでも穏やかなわけではあるまい。時化に揉まれれば、手製の舟などたちまち船内に水が入り込む。お世辞にも喫水線は高いとは言えないのだ。
最悪、筏まで破壊されて水や食料まで失い、海の藻屑と消えるかもしれない。出航はギャンブルに近いので、結論を先延ばしにしていた。
現実逃避していたのかもしれない。
ブラック企業に勤めていて、メンタルまでやられ、本当は仕事を辞めたいのに、他所へ行くのには勇気がいる。そのままズルズルと同じ職場に居続けるのに似ていた。同病相憐れむという言葉がある。同僚らと傷の舐め合いをして、かえって居心地がいいので飛べずにいる状況とそっくりだった。そうして時間だけがすぎていく……。
それにしても、この300日のあいだ、捜索隊の飛行機が一機たりとも見かけなかったのは、どういうことか?
もしや生存者の救出は絶望視され、早々と捜索活動は打ち切られたのかもしれない……。
とにかく――。
隠田は無人島生活にうんざりするどころか、まだまだ開発に力を注ぎたいと思っていた。むしろ、やり足りなさを感じていた。
ひとつ、思うところがある。
ツリーハウスから南側の追い込み漁へ向かうのに、行く手を遮る絶壁を毎回、迂回しなくてはならないのを不満に思っていた。
屏風のように張り出した岩壁のせいで、浜へおりるのに回り道せねばならないのは時間のロスだった。道のりはいくら整地したとはいえ悪路にちがいなく、あまりにも効率が悪すぎる。距離にしてざっと3キロメートルはあるだろう。急なアップダウンもあって骨が折れた。
絶壁を登り降りできれば、最短距離(それこそ3分の1にまで縮められるだろう)で、浜に続く道に出られるはずなのに……。
しかし、あまりにも垂直な崖だったし、仮にハシゴをかけたにせよ、帰りにせっかく手に入れた獲物を担いで運ぶのは現実的ではない。こんなところで誤って足を踏みはずし、怪我でもしたら目も当てられない。
絶壁さえなければ、そんな苦労はせずに済む。大量のダイナマイトでもあれば、爆破させることも夢ではなかったが、そんな都合のいいものなどあるわけがない……。
爆破が無理ならトンネルを掘るべきではないか。――不意に、隠田の脳裏に天啓のごとく閃いた。
そうだ。絶壁自体は高さこそ60メートルはあるものの、末広がりになった基部ではなく、中腹あたりなら10メートルの厚みがあるかどうか。文字どおり屏風を立てかけたような形をして、南への進路を妨げていた。
100メートルもの長さの隧道を手掘りすると思ったら、さすがに目眩を憶えるが、たかが10メートルならどうということはないように思えた。