5.「おれは回遊魚だ。泳ぐしかない!」
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むろん、インフラ整備と並行して、刳り舟作りも進めていた。
隠田は過去に、ロビンソン・クルーソーをはじめ、人間が無人島に漂着し、そこから生還する本をいくつか読んだことがあった。ロビンソンはいくら元ネタがあるとはいえ、しょせん作り話だが……。まさか読者が、実体験をしようとは夢にも思わなかった。
伊豆諸島の鳥島に漂着した土佐の船乗り長平や、これもフィクションではあるが、映画『キャスト・アウェイ』もそうだ。
共通するのが、どれだけ待っても助けが来なかったことだ。漂流者のなかには行く末を悲観し、自ら命を絶つ者も少なくなかったという。
救助されることが期待できない絶海の孤島ならば、待ってばかりいても仕方がない。時間だけを浪費するだけだ。ましてや若さを空費するのは耐え難い。
だったら船を作り、脱出することを計画しなければなるまい。
鳥島に漂着したジョン万次郎の場合、偶然アメリカ船に救助されたのは異例中の異例として、記録に残されているどの漂着者も少ない材料を集め、つぎはぎだらけの船を工作し、自力で島から抜け出しているのだ。
飛行機が墜落した直後、荷物やら資材を回収するのに使った筏は、急ごしらえで作ったため、これで海を渡るのは困難であった。なんとか内海までなら行けたが、外海に出れば潮の流れも速く、波も大きくなる。怒涛を浴びれば粉々にされるのは必定だった。
大きな筏を作りなおしてもよかったが、せっかくだから刳り舟にこだわった。
刳り舟は一本の木を伐り出すまでが難航した。小さな鉈では物理的に限界がある。一日中、堅い木の幹に伐り付けても、遅々として捗らない。コツコツと日にちをかけて伐り倒した。
切り倒したそれを、いくつものコロに載せて力任せに押し、浜へおろすのにも時間がかかった。
あまり海に近いと、満潮時や大時化のときに波にさらわれる恐れがあるので、ほどよい高さの丘で作業に取り組む。
大木の内側を刳り抜き、舟の形に整えていった。本来、刳り抜く専用の刃物を必要とするが、便利なものはあるはずもなく、鉈一本でコツコツやるしかなかった。
刳り舟の利点は、継ぎ目のない純粋な削り出しのため、水が染み込んできて沈む心配もないし、耐久性にも優れていることである。長い航海を想定した場合、筏よりも刳り舟が理想だと思ったのだ。
もっとも、刳り舟作りは恐ろしく時間がかかりそうだった。あらゆる仕事と並行して進める。あまり一点に根を詰めるとうんざりしてくるのだ。
気分転換をかねて、ときおり島を探検することもあった。
島の北側の洞窟で見つけたように、他にも漂着者のいた居住区があるのではないか。もしかしたら、現在進行形で生存者と出会えれば御の字だ。仮に前と同じように、白骨体であろうと、なにか使える大工道具でも見つけられるかもしれない。
しかしながら内陸部は鬱蒼たるブッシュに遮られ、ろくに獣道すらない。
これでは漂着者も分け入らないだろう。どうりで海沿いに居住区跡が集中していたわけだ。
結局、内陸部はどこをどう捜しても、漂流者の痕跡はなかった。彼らが使っていた道具すら残されていなかった。
島のいちばん高い山に登り、360度、ぐるりと見まわしてみる。
見渡すかぎり、青い海と紺碧の空が広がり、境界線すら判別がつかない。なにもかも青いドームの中にいるようだ。
船影はおろか、ひと筋の飛行機雲さえ見つけられなかった。
確実におれは独りなんだと、思い知らされた。胸を掻きむしりたくなるような狂おしさが突きあげる。
「う……うぉおおおおおおお――――――ッ!」
叫ばずにはいられなかった。
さすがに鉄のメンタルを持つ隠田でも挫けそうになった。がっくり膝をつき、茫然たる面持ちでその場でしばらく動けずにいた。
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「しっかりしろ、おれは社畜サラリーマンだ。回遊魚だ。戦い続けるマグロだ。――泳げよ。泳ぐしかない!」
絶望に囚われてはやる気を失う。頬を叩き、やる気を起こさせた。
隠田はますますインフラ作りにのめり込んだ。水路作りである。ツリーハウスから最寄りの小川に向けて手掘りしていった。
真っすぐ突き進むわけにもいかず、時には大木やら太い根を避けて、ジグザグしながら掘り進めた。
飛行機の残骸から作ったシャベルとジョレンを駆使して、人間パワーショベルと化し、猛烈に掘った。何度も腰を痛めたが、1日横になればすぐに戦線復帰を果たした。
1カ月経った。苦闘の末、ようやく小川に達した。巧みに勾配をつけてある。
直線距離なら40メートルだったのに、屈折しながらだと倍の長さになった。測量士なみに計測したので、直線は真っすぐだし、曲がる箇所は90度の、正確無比の工事だった。隠田自身の几帳面な性格が如実に表れていた。あとはセメントを塗るだけである。
そのころになると、身につけていた衣服はボロボロになっていた。
替えもあったし、毛布やひざ掛けを大量に回収していたので、カットして裁縫すれば衣服にできないこともなかったが、なにぶん労働すれば大量の汗をかく。洗濯する手間を考えると、日中は上半身裸ですごせた。
そのため、浜で魚を追ったり塩作りに精を出していると、真っ黒に日焼けした。髭を剃る暇もなかった。
悪路を歩けば、しばらくもすれば靴底に穴が開いてしまうのも難点だった。
すでに、波打ち際に打ちあげられていた死体からいくつかの履物を拾っていた。ところが裸足で生活するにつれ、次第に足裏が鍛えられ、硬い皮膚になっていった。はじめこそ傷つき、血まみれになったものだが……。
人はあらゆる環境で適応できるものらしい。それとも隠田のフィジカルには、柔軟な才があるのか。