4.井戸掘りで心折れる
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その間、脱出することを疎かにしていたわけではない。
周辺海域に船が通りかかったり、生存者を捜索している航空機が来たときに備え、すぐ狼煙をあげられるよう、薪を束ねて用意してあった。雨に打たれて湿気らないように、シートまで被せてあった。そんな狼煙ポイントを、島の至るところに設置していた。
働いてばかりでは疲労が蓄積するだけだ。
休日をかねて高台で膝を抱え、日がな一日、沖合を見つめたこともある。
しかしながら、いかなる外国船の航路からもはずれているらしい。ちっぽけな船影すら見つけられなかった。飛行機の影も然り、はるか水平線は、なんの変化も生じなかった。
隠田は根っから社畜サラリーマンの習性が身に染みているにちがいない。一日中じっとしているのは性に合わなかったのだ。こんなことをしていれば気持ちが腐るだけである。身体を動かしている方が気がまぎれた。社畜は回遊魚と同じだ。
そこで――である。
せっかくツリーハウスを第二の拠点にしたはいいが、飲料水が得られる小川からずいぶん離れていたのだ。
島のどこかに棲息する狼の群れを警戒しての、やむを得ない判断だったとはいえ、いちいち水を汲み、天秤棒で樽を担ぐのは骨が折れた。
小川から水を運ぶ手間を省くため、拠点の周辺で井戸を掘ってみた。
おいそれと水脈にぶつかるわけがない。
恐るべき隠田のしつこさである。なんと30回近く手掘りし、トライアル・アンド・エラーをくり返した。
だめだった。
ツリーハウスのまわりは穴だらけになった。まるで考古学の発掘現場だ。隠田は意気消沈し、すべての穴を埋め戻した。
その間、焼き畑のキャベツやらホウレン草、ナスビ、ニンジン、大根の芽が、すくすくと育っていった。
どうやら発芽適温と地温がマッチしたようだ。ただし、日本ではお目にかかったことのないような甲虫が新芽を食害した。害虫を見つけ次第、片っ端からつまんで殺した。卵さえ生み付けさせなかった。
隠田はあきらめなかった。
逆境になればなるほど、闘争心を掻き立てるのだった。
「なにがなんでも、このサバイバルに打ち克ってやる。いつか必ず、この無人島からおさらばしてやるぞ!」
隠田は虚空に向かって拳を突きあげ、誓いを立てた。
そのためには、まず島で一人生き抜くために、インフラを整えておくべきであろう。文明人らしい誇りを失ってはならない。どんな苦境でも理性を保ち、高潔な生き方をしようと心に決めるのだった。
島での生活は、救助を待つだけなら退屈だったろう。
だが隠田には目的意識があった。日々、やるべきことは山ほどあった。
第一は食料調達。島のあらゆる場所に行き来できる山道の整備。行く手を阻むブッシュを薙ぎ払う必要があった。
他にも追い込み漁の石垣の補修と、人工ため池を囲うこと――ここに鮮魚を一時的に飼うことができた。かんたんな養殖も可能だった。
定期的に塩の精製もくり返さなければならなかった。というのも、時間をかけたわりに採れる塩の量は、ほんのわずかだったからだ。
うま味のある藻塩まで作れるようになった。
レシピはこうだ――乾燥させたホンダワラやコンブに海水をかけて塩分を多く含ませ、焼いて灰にする。次に灰を水に溶かし、上澄み部分の濃い塩水だけを取り、シャコガイの鍋で煮詰め、塩を結晶化させて完成だ。
日ごとに仕事を決め、単調にならないよう気を配った。
朝は6時に起床(乗客の荷物から腕時計を回収していたので、時間は正確だった)。火を起こして食事を作る。
7時半にはその日ごとの仕事場に出かけ、作業に打ち込む。必要なら、最寄りの小川から水汲みをしなければならなかったが。
正午には簡単な食事――ドライフルーツやウミガメの卵、干し魚を焼いて腹を満たした。食べ終わると20分の昼寝。その後、ふたたび仕事の再開、17時にはツリーハウスに帰宅した。
もう少し仕事をしたかったが、あまり暗くなるまで続けると、またぞろ狼の群れに襲われないともかぎらない。隠田は用心深かった。
夕食を作り、食べ終わったらすぐ食器を洗って片付けをすませる。
かんたんに身体を洗い清め、灯りの節約のために20時には就寝した。たびたび狼の群れが現れて、ツリーハウスの下で唸ったが、隠田はぐっすり眠れるほど神経が図太くなっていた。
島での暮らしが半年も経ったころ、奥深い山中でハゼノキを見つけた。以前、田舎に住む祖母に教えられたことがあるのだ。
木の実を煮詰め、ロウの抽出に成功した。とはいえあまりにもコスパが悪いため、ロウソクの使用はよほどのことがないかぎり、控えていた。
隠田は日本にいたころよりも規則正しい生活を送っていた。
お世辞にもバランスのとれた食生活とは言えなかったが、できるかぎり健康的な食事も心がけていたし、酒もタバコも飲まなくなったうえ(回収した缶ビールやワイン、シャンパンも在庫が尽きたのだ)、肉体的な労働のおかげで身体はスリムになり、たくましくなっていた。きっと肺や肝臓の状態も良好だろう。
仕事は、より高度な、本格的なものになっていた。
あいにく井戸掘りでは心折られた。転んでもただでは起きない。今度は水路を掘る大事業を計画した。
身近な小川から拠点までの直線距離は40メートル。手掘りで、なおかつ幅50センチ深さ30センチの溝を掘り、水漏れがしないようセメントで塗り固めるつもりだった。飲料水はもちろん、生活用品を洗うためでもあるし、一番の目的は焼き畑農業の水やりを楽にするためでもあった。
セメントは隠田自身がこれまで食べてきた貝類の殻や、浜辺に打ちあがっている膨大な貝殻をかき集め、粉末にし、刻んだ海藻と水を混ぜればできるだろう。
この灌漑工事によってもたらされる島での暮らしは、飛躍的に向上するはずだ。
水運びはどう考えても効率的ではない。天秤棒で水を運ぶのは時間をとられるうえ重労働すぎて、他の仕事が捗らないのだ。
ネックなのは、完成までには月日を要することだ。おかげで毎日の生活に張りが生まれた。本土で社畜サラリーマンを惰性的にやっていたころとは雲泥の差だった。