3.ツリーハウスと焼き畑農業
人が生きていくには飲料水は必須。いずれペットボトルの水まで在庫が切れるだろう。
頭を悩ませることもなかった。内陸部に入れば小川が流れていたし、そうじゃなくとも週に一度は雨が降り、天水をためることができたのだ。
サバイバルでは、いかにして火をおこすかが肝要である。
本土にいたとき、たまの休日には一人キャンプをしていただけある。弓きり式で火をおこす方法を試したことがあったのだ。
数をこなせば、より早く火をおこせた。晴れた日は、ペットボトルの水を利用したレンズ方式でも可能だった。知識こそ正義なりだ。
サバイバルに適した島だったとはいえ、いいことばかりではない。
自然が豊かな反面、夜ともなれば獰猛な獣の唸りを耳にした。きっと夜行性の狼の類が群れで棲息しているのだろう。
居住区として利用していた洞窟のまわりに柵をめぐらせた。
日が落ちれば出歩かず、炎を絶やさなかった。
ときおり野獣の群れが柵の向こうをうろつくのを眼にしたことがあるが、警戒心が強いためか、柵を破られることがなかったのは幸いだった。
しかしながら、一晩中火を焚かねばならず、安眠を妨げられた。
◆◆◆◆◆
ある日、内陸部に分け入り、めぼしいものがないか探っていたときだった。
思いがけず枯れた巨木を見つけた。隠田は指を鳴らした。
見たこともないような幹の太さだ。直径はざっと16メートルにも及ぶのだ。屋久島の縄文杉の太さに匹敵した。
しかも幹が真ん中で立ち切れていたのだ。おあつらえ向きの、新たな拠点の土台になると思った。
さっそく木に登り、ささくれ立った幹の断面を鉈を使って平らにする。それだけで1週間を費やした。
蔦を結わえハシゴをこしらえ、巨木に取り付け、苦労してその上に木材を運ぶ。すべて人力だから、これまた凄まじい労力を要した。
休む間もなく拠点の建築にとりかかる。
柱と梁は木の皮で作ったロープで結わえる。
1カ月をかけ、広さ6畳ほどの小屋が完成した。地面からの高さは優に4メートルは離れているのだ。さすがの狼も襲撃してはこれまい。
奇しくも眼下の前庭には、木々もなく日光が射し込む空間があったので、下草を焼き払って焼き畑農業をすることにした。
盛大に焼き払った。
2週間後、畑を耕した。
貝殻を砕いたものを打ち込み、出てきた小石はまめに取り除く。
いくつもの畝を作った。
乗客の手荷物から見つけた野菜の種を蒔いてみることにする。キャベツをはじめホウレン草、ナスビ、ニンジン、大根と揃っていた。
気候は今のところ温暖で、湿度はカラッとしている。雨も定期的に降っていた。あいにく肥料の類はないが、育つのは育つだろう。
せっかく芽吹いたとしても、それを食べにくる獣や鳥による被害も想定しないといけない。
畑の周囲に垣根をめぐらし、その頭上も釣り糸を張り巡らせ、防鳥ネットにした。
襲撃にあったときにいち早く気付くように、缶詰の空き缶を束にしてぶらさげ、即席の警報機にした。小心の獣なら音だけで逃げていくはずだ。
別の日である。
荒磯では、塩の精製に成功した。時間をかけて煮詰め、塩として取り出したのだ。
これで食卓に味の変化をもたらすことができる。今まで調理しようにも、味付けなしの魚や植物しか口にできなかった。
塩味によってうま味が増した。人間どんな状況であろうとも、味覚にこだわりたいものである。とりわけ魚は、塩のみの味付けだけで格段に美味となった。
ある日、砂浜を散歩していたら、メスのウミガメを捕獲した。
産卵を終え、海へ戻るところだったにちがいない。
甲羅の端にキリで穴をあけ、細い鉄材を曲げて作った輪っかを通す。木の皮を剥いで結ったロープを連結し、逃げられないように岩に舫い、入り江にカメを閉じ込めた。
理論上はこれで卵の安定供給ができるはずだ。じっさいカメは砂地でときおり卵を産み、隠田はその栄養の恩恵を授かることができた。
非常事態なのだ。いつの日か故国へ帰ることができたとしても、動物虐待の謗りは筋違いであろう。
浜で見たこともないようなシャコガイの殻を拾った。
4、5人用の土鍋ほどの大きさである。これを器代わりに、煮炊きに便利なアイテムとなった。耐久性も申し分ない。
罠で獲った兎の肉は、スモークさせて長持ちさせることができた。なにせ冷蔵庫さえない、食料が傷みやすい環境である。
魚はエラと内臓を取り払い、開きにして塩をふり、日干しにする。ハエや鳥から干し物を守るために、そばで番をしたこともある。が、あまりにも時間の浪費だ。これも女性用のストッキングを加工して、干し網に作り替えた。
はじめこそ失敗をくり返したが、トライアル・アンド・エラーを重ね、練度をあげていった。その成功体験が自信にもつながった。
もっともキノコの知識だけはなかったので、それは避けた。
万が一毒キノコを口にした場合、医療もない場所なのだ。命取りになりかねない。