2.サバイバル!
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頬にぬくもりを感じた。
うめきながら眼を醒ます。
視界がぼやけ、焦点を結ぶまでしばらくかかった。
どこまでも白い砂浜が続く波打ち際。すわ、死者の魂がたどり着く楽土か?
そんなはずはあるまい。いずこかとも知れぬ陸地に漂着したらしい。穏やかな波が身体の下半分を洗っていた。
頭上には一面に、コバルトブルーの空が広がっている。雲の切れ端ひとつない。温かい日差しで、なにもかもがきらめいていた。
半身を起こし、沖に眼をやった。
300メートル向こうに、原型をとどめぬほど鉄屑と化した機体が海面から突き出ている。周囲一帯には、飛行機が積んでいた資材やら、おびただしい数の乗客の荷物が波間に揺れている。
陸地に眼を移した。
遠くの砂浜にも、無数の乗客が打ちあげられていた。
隠田は、覚束ない足どりでそちらへ行ってみた。
浜に横たわっている男女はピクリともしない。肌の色が生色を失っているを見るにつけ、確認するまでもない。はみ出したピンク色の小腸が海藻のように揺れている。どれもが死後数時間がすぎ、カニやヤドカリが集っていた。
埋葬してやりたいのも山々だが、多すぎて一人ではできそうもない。
両手を合わせて許してくれ、と拝んだ。
ここは内地ではなさそうだと直感が働いた。
どこかの離島ではないか? それも無人島の可能性が高い。
航空管制は常に航空機と連絡を交わしており、レーダーで飛行経路を追っているものである。フライト中、なんらかのアクシデントが発生したなら、常時報告していたはずである。
ましてや墜落した場合、航空機はレーダーから消えるので、航空管制はどのあたりが墜落地点か目星がつく。そして至急、救助隊の派遣を要請。同時にメディアにも伝えられる。
救助隊や報道機関のヘリで、現場は殺到していそうものなのに、今のところ静かなものだ。
そうじゃなくとも、島内か周辺海域に町なり村なりが存在すれば、通報されて然るべきであろう。
いまだ発見されていないということは、捜索が難航していると見てよい。
隠田は救助が来るまで、そう時間はかからないだろうと高を括っていた。
待っているばかりも能がない。
浜辺に打ちあげられた荷物から、食料となるものを集めた。あいにく身につけていた財布やスマホも失っていた。どうせスマホがあったとしても、この状況では使えまい。
缶ジュースや未開封のペットボトルの飲料水はいくらでも手に入ったし、レトルトパウチや缶詰だってより取り見取りだった。しかも厳選された機内食のそれだから美味ばかり。
万が一のことを想定して、日持ちするものは保存しておき、傷みやすいものから手をつけた。
乗客の手荷物を回収し、使えそうなものは取っておく。
誰の持ち物だったのか、数種類の野菜の種を見つけた。幸い海水に濡れていない。
砂浜から内陸部にあがり、高い丘に巨石があった。岩陰に手に入れた品物を押し込み、まずはここを拠点にした。ここなら満潮になっても大丈夫だ。
体力を回復させるのに、2日を要した。
3日分の水と食料を持参し、ためしに島の外周を歩いてみることにした。
丘から見渡すかぎり、ぐるりと砂浜で囲まれているようだった。
休み休み歩いた。
ざっと島の周囲は20km前後あるにちがいない。内陸部には、やはり人は住んではいるまい。というのも、あれほどの墜落事故であれば、衝突音を聞きつけて住民が集まって来ても不思議ではないのに、それすら皆無だったからだ。
飛行機が乱気流に揉まれ、予定のコースからどれほど逸脱したのか見当もつかない。どの海域にある無人島かすらわからないが、救助が来るまでサバイバル生活を強いられると見てよい。
調査した甲斐があった。
墜落地点の砂浜は日の昇る位置からして東側にちがいない。西側と南側も砂浜が続いている。一方、北側には荒磯が広がり、岩壁沿いにいくつもの洞窟を見つけたのだ。
そこは潮水の入らない位置だった。昔に他の漂流者がいたらしく、数体の白骨死体が横たわっていた。
いったい、死後どれぐらいの遺体かはわからない。どんな理由で流れ着いたのかさえ不明だ。
どうあがいても、漂着者の末路はこうなるか?――隠田の首筋に絶望の冷気がよぎった。
紙パックを巻き付けて作った即席松明を灯した。紙パックはなぜ水漏れしないかというと、ロウで防水処理してあるからだ。燃やせばロウソク代わりになる。
暗闇を調べた。
なんと、白骨のかたわらには、包丁をはじめ、鉈や鑿、ハンマー、釘数百本が木箱に入れて置かれているではないか。状態は悪くない。
鉄製品はどれも錆びていたものの、砥石で研ぎ、油を塗布すれば充分使えそうだ。回収することにした。鉄なべを見つけたが、こちらは穴が開き、完全に朽ちていた。
隠田は遺体に手を合わせてから、洞窟をあとにした。
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簡易的な筏を組み立て、墜落現場へ行き、乗客の荷物を回収できるだけ回収した。
めぼしいものはいくらでも見つかった。けれど、時間が経つごとに引き潮とともに流されていった。
あれよという間に、砂浜に打ちあげられていた乗客の遺体まで高波にさらわれ、沖へと運ばれてしまった。
彼らを陸地へ埋葬してやるべきだったのに……。自分だって生き抜かなくてはならないのだ。許してくれ、と彼は沖に向かって黙祷を捧げた。
隠田は持ち前のポジティブ思考で、きっと助けが来ると信じ、サバイバル生活にのめり込んでいった。
島は緑にあふれ、食材はいくらでも入手できた。
美味とは言い難いものの、腹を満たせる植物や果実もあるし、恐らく罠を仕掛ければ野生の小動物も捕らえることが可能だろう。浜では豊かなリーフが広がり、色とりどりの魚が群れをなして泳いでいるのも幸いした。
なにはともあれ、食べなくてはならない。レトルトパウチも、しばらくもすれば底を尽いた。
打ちあげられた鋭い鉄材と、まっすぐな木材を組み合わせて針金で縛り、銛を作った。
試しに浅いリーフで突いてみる。
かすりもしない。
テレビの無人島生活のようにはいかないようだ。かなりの熟練度を要した。
流れ着いた未使用の女性のストッキングを解体し、タモを作ってみる。
岩陰で掬うと、小魚やエビを捕らえることができたが、こんな雑魚では空腹は癒せない。
すきっ腹を抱えたまま陸から岩をいくつも運んできた。浅瀬でせっせと大小さまざまな岩を垣根のように組み合わせ、通路のようなものをこしらえていく。
恐ろしく時間がかかったが、かけただけの成果が得られた。干潮を利用した追い込み漁で魚介を捕らえることができたのだ。これはブラック企業で培われた辛抱強さが功を奏したとも言える。