第9話
ライブの日が近づいているが、クリスはまだローランドをライブに誘えないでいた。
「クリス、うじうじしててもしゃーないで。もう勢いで言ってみ。女は度胸や!」
「うう、断られたらって思うと、怖くて声かけられないよ。迷惑だって言われたら、部活にも来れなくなっちゃうよ?」
「はぁ、もうじれったいなぁ!大丈夫やから!ほら!先輩来たで。ローランド先輩!」
部室に入るなり、ベルタに呼び止められたローランドは、どこか落ち着かない様子で振り返り、そこにクリスがいるのを認めると、さらにクールなはずの瞳を泳がせた。
「なんや、こっちも挙動不審かいな。クリスが用事あるって言ってますよ。あ、うち、教室に忘れ物したからちょっと行ってくるわ」
ベルタがさっさと出ていくと、部室内は二人きりになってしまった。
「あ、あの。先輩、ブラックキャットのライブ、行きますか?」
ローランドは思わず口に手を当てた。それはまさに、今から誘おうと思っていたライブだ。制服のポケットにはチケットが二枚入っている。
「ああ、行くつもりだ。だけど、一緒に行く予定だった奴が、都合悪くなったんで、チケット余ってるんだが、おまえ、行くか?」
大きく目を見開いて、ぽかんとするクリスを見ると、胸の奥がキュンっとなる。ローランドの脳内で、「それは恋だな」というアーノルドのしたり顔が浮かんでいた。
「えっと、実は私も2枚持っていて…」
がやがやと声がして、アーノルドとエレナが入ってきた。
「あれ?それって、ライブのチケットじゃん。二人で行くのか?」
「ああ、それが、クリスも2枚持ってて…」
「おっ!ラッキー!じゃあ、俺たちも一緒に行くよ。エレナ、一緒に行こうぜ」
「え?いいの?」
困惑する表情の中に、微かな期待がにじんで見えて、クリスの視線が下がっていく。アーノルドは、そんな分かり易い後輩のため、人肌脱いでやろうと考えた。
「おまえなぁ。」
「あ~はいはい。お邪魔はしませんよ。エレナ、ライブが終わったら、俺のお気に入りの洋食屋に行こうぜ。」
迷惑そうに眉を寄せるのローランドを宥めつつ、アーノルドは、エレナにこっそりウインクして見せる。エレナは、クリスたちの事も気になるが、自分が役得で、嬉しさを隠し切れず、ふふっと笑う。その自然な笑顔がきれいで、クリスはまた、自信を無くしていくのだった。
いよいよライブ当日になった。どんな服を着ようかとか、髪型はどうしようとか、散々悩んだクリスは、結局普段のライブとあまり変わらない服装になってしまった。そう、エレナに対抗したって、勝てる気がしない。とにかく今日はブラックキャットのライブを楽しまなくちゃ。自分を奮い立たせて、待ち合わせ場所に向かうと、すでに3人が楽しそうに話しているところだった。
「お待たせしました。」
「お、来たな。じゃあ、お茶でも行こうか。」
急いで駆け寄って声を掛けると、アーノルドが笑顔で迎えてくれる。クリスにはエレナの大人っぽい服装がやけに気になって、思わず視線が下がった。
「エレナ、どこかいいお店を知らないか?」
「そうねえ。この辺りなら、ライブ会場の裏側にあるカフェが穴場だと思うわ。」
「よし、じゃあ、そこに行こう」
ローランドとエレナのやりとりなど、部活中にもずっと見聞きしているのに、なぜか二人の息がぴったりで、胸の奥がざわざわする。
「そこでいいかしら?」
「え? あ、はい。付いて行きます」
心配そうに見つめるエレナの視線が辛くて、無理に笑ってみるが、どうにも今日はうまくいかない。視線を感じて見上げると、ローランドがふいっと顔をそむけた。クリスは胸の奥にずーんと大きな氷の塊がのしかかったような感覚に襲われた。
カフェに入っても、時々視線は感じるが、見上げるといつもふいっと視線をそらすローランドを見てしまう。もう何を飲んでいるのかさえ分からないくらい、場違いな自分を感じずにはいられなかった。
「おい、ローランド!いい加減、エレナにばっか、しゃべりすぎだろ。今日エレナを誘ったのは俺なんだぞ。邪魔するなよ。」
「別にいつも通りだろ。」
気が付くと、息が浅くなって、息苦しくなってきた。クリスはたまらなくなって、外の風に当たってきますと席を立った。
ベランダには、愛らしい草花がプランターいっぱいに花をつけている。そんな花たちが、心配そうにクリスを見ていた。昼下がりの爽やかな風が、クリスの息苦しさを少しずつぬぐってくれる。クリスはゆっくりと深呼吸して、ライブに集中しようと試みたが、胸の奥の重しがなかなかそれを許してくれない。
カタっと音がして、誰かがベランダにやってきた。振り向くと、バツの悪い顔をしたローランドが立っていた。
「大丈夫か?」
「すみません。ちょっと息苦しかっただけです。もう大丈夫です。」
クリスが答えても、心配そうな顔のローランドは動く気配がない。
「悪かったよ。今アーノルドに怒られた。しかし、何をどう話したらいいか分からなくて…」
「仕方ないですよ。好きな人の前だと、どうしても普段通りじゃいられなくなりますよね。」
「え…」
ローランドに視線を合わせないようにして、クリスは無理に慰めるように言った。誤解を解いてこいと言われたが、これでは全然伝わっていないではないか。ローランドは頭を抱えた。
「うーん、そうなんだけど、そうじゃないんだ。と、とにかく。今日はライブに集中しよう。」
「はい。」
ライブ会場に入って、会場が暗くなると、ブラックキャットのライブに慣れているローランドとクリスは、水を得た魚のようにノリノリでライブを満喫していた。ノリに乗って、ハイタッチしたり、肩を組んだり、最後にはハグまでやってのけた。
そして、ライブが終わって会場が明るくなると、アーノルドはエレナを連れて、夕食デートだとにんまり笑って別れて行った。会場を出た二人に夜風が当たって、ライブの熱気を消し去っていく。そうなると、波が引くように、二人の間に距離が出来てしまう。
「疲れてないか?」
「あ、大丈夫です。」
「…そっか。じゃあ、家の近くまで送ろう」
二人で夜の街を、肩を並べて歩く。クリスはさっきまでの熱気をぼんやりと思い出していた。ハイタッチした時、手が大きくてびっくりした。肩を組んでリズムに乗っているとき、時々目を合わせて笑いあえて、ドキドキした。それに、ライブの最期にハグしてもらった時、すっぽりと腕の中に囲われて、すごく安心した。このままずーっとそうしていてほしいと思ってしまった。
「今日は、悪かった。」
ぽつりとこぼされた言葉で、クリスの思考が止まる。ローランドは、神妙な顔つきでクリスに頭を下げた。
「どうして? どうして先輩が謝るんですか?私は、先輩とライブに行けてすごく楽しかったのに…」
「い、いや。しかし…」
クリスの瞳に光るものが見えて、ローランドは言葉を途切れさせてしまった。