第十八話
リーネは激しく困惑していた。
先ほどコウに抱きしめられた。驚きはしたが、嫌悪感のようなものは一切湧かなかった。
むしろ、遠くから他の生徒達が見ていると頭にあったのに、不思議と安心感すら覚えたくらいだ。
故に、嫌だったか聞かれた時にそれを否定し、その理由――――コウは憧れの対象であるし、信頼しているからである、と嘘偽りない気持ちを伝えた。
流石に面と向かって本人に憧れているというのは、リーネも恥ずかしさを覚えた。
しかし、自分の中で揺るぎようのない事実であるから、伝えたことに後悔はなかった。
(だって、コウは凄い人なんだから)
コウに助けられた時のことを、リーネはいつでも鮮明に思い返すことが出来る。
絶体絶命。まさにその言葉通りの状況だった。
魔力も朽ちて枯渇状態になり抵抗する術を失ったリーネは死を覚悟していた。
そんなリーネを窮地から救った彼。
あの日、あの時、あの瞬間の出会いを、リーネは身に余るような幸運であると思っている。
リーネから見た彼は、自分が持っていないものを持っている人物だった。
アヤに守られているという事実は、とても感謝しきれないことであり、同時に辛いことでもあった。
自分に窮地を跳ね除ける力があれば、と常々思っている自分の目に彼の雄姿が映ったその瞬間から、彼に対する憧れは芽生えたのだとリーネは確信している。
(それに、コウはそれだけじゃない)
更にリーネの憧れが強くなったのは、コウという人物そのものに触れてからだった。
悪い噂が取り巻いていることは自覚していた。
しかし、それでもリーネは友人を求める欲求を抑えることが出来なかった。
友人作りに奮闘したこともあったが、悪い噂は何処までも付きまとい、その結果は学園で友人を作ることのは無理だと、リーネを深く傷つけて終わった。
そう思ったのが彼と出会う少し前のこと。
故に、リーネの心の内に簡単に入り込んだ彼は、遮るものが何もない状態で、強い輝きを放つようになった。
噂に左右されることなく接して受け入れてくれた。
その事実はリーネの心を震わせるには十分だったのだ。だから、自分が彼に憧憬の念を抱いているとリーネは断言できた。
そこまで思い返してから、改めて目の前に立つコウを見る。やはり、困惑の気持ちが芽生えた。
リーネが憧れていると伝えると、彼は何処か寂しそうな、そして辛そうな顔を一瞬だけ見せたのだ。
それが垣間見えたのは一瞬だけだった。
今はもう既に顔に薄く笑みを浮かべ、いつもの飄々とした何処か掴みきれない感じに戻っている。
(見間違い、だったのかな?)
が、困惑の気持ちと先ほどの表情を見た瞬間、訪れた胸の痛みは消えることなく残っている。
(迷惑、なのかな……)
胸の内にある痛みは間違いなく本物だった。
ならば、見間違いじゃないとリーネは考える。
暗い気持ちがリーネを襲おうとした。が、それは心を覆う前に霧散した。
「ぁ……」
コウが優しい笑みを浮かべてリーネの頭に再び手を置いたのだ。そしてゆっくりと頭を撫でてくる。
それだけで心が安らいでしまったので、自分で単純だとリーネは思った。
(……でも)
それでもいいかもしれない。
他の男に同じことをされるとしたら、それはリーネにとって身の毛が弥立つ話である。
コウと同じく友人になったロンが相手でも、流石に身の毛が弥立つまで言わなくとも、拒否感というのは芽生えただろう。
しかし、何故かコウは大丈夫だった。
むしろ、ずっとやっていて欲しいとすら思える。
リーネは男が苦手である。
それは段階を踏まえず無遠慮に言い寄ってきたかと思えば、それを断った途端に掌を返され、最終的には自分が惑わせたなどと噂を流されたから、という経緯がある。
男に触られると思うだけでもリーネは嫌な気分になる。
故に、いくらコウが相手でも、拒否感を覚えないのはリーネ自身不思議なことだった。
(何んでだろう……?)
憧れの対象だから?
それもあるかもしれない。けれどリーネはそれだけではない気がした。
撫でられたまま無言の時間が続き、ふとリーネの中で湧き上がった思いがあった。
コウに頭を撫でられるのは久しぶりだという気持ち。
それはつまり、
(あぁ、そうか)
コウに頭を撫でられて拒否感を覚えない理由。
それは憧れの気持ちがある故でもあったが、一番の理由は別にあった。
(お父さんの撫で方に似ているんだ……)
撫でるやり方に種類なんてほぼ存在しない。
そこに存在するのは撫でる手から伝わってくる気持ちだ。
コウの撫で方はリーネを心から労わるような、慰めようとするような気持ちが伝わってくるのだ。
だからなのかと思い至り、リーネは長年抱いていた疑念が氷解したかのような感慨を覚えた。
彼からは不快感というものが一切伝わって来ない。男が女を見る時の嫌らしい感じ、それが全くないのだ。
様々な男から無遠慮に見られてきた自分が、そう思うのだから間違いない。
そうリーネは確信する。
しっかりとリーネをリーネとして見てくれている。リーネは先ほど覚えた感慨の後から、やって来る気持ちを捉えた。
それは喜び。
真っ直ぐに自分を見てくれるということが、これほどに嬉しいことなのだと始めて知った。
「やっぱり、コウは凄いです」
「ん? 何がだ?」
思わず呟いてしまった。それを聞き、動かす手を止めずにコウが訊ねてきた。
すぐにリーネは自分の内から溢れる喜びを伝えようとしたが、しかし思いとどまった。
(この気持ちは秘密にしておこう、かな)
自分だけの喜びというものを、もっと噛み締めたい。そう思ったのだ。
「ふふ、何でもないです」
「なんなんだ……」
意味が分からないとコウは首を傾げている。しかし、それ以上訊ねようとはしない。
その距離感、その気遣いを感じて、喜びが増していく。
コウと一緒にいれば、無限の喜びを味わうことが出来るのではないだろうか。
無防備な信頼を彼に寄せながら、リーネはそんな風に思うのだった。
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