第十話
毎日ちまちまと書き連ねていたせいで、無駄に長く、しかも一貫性がない気がしますのです。読みづらいかも知れません。
拙い文章ですが、暇つぶしに貢献出来れば幸いです。
始業式の日は授業がないので、ホームルームが終われば放課後である。
ホームルームの長さはそのクラスの担任教師によって決まる。
従って、担任が長々と話すタイプなら長引くし、ぱっぱっと連絡を済ませるタイプなら、他に比べるとぐっと短くなる。
ホームルームの進行方法は教師達の間で細かく決まっていたりしないので、全ては担任教師の裁量によって決まるというわけである。
今日は何処のクラスも早めに終わったようである。
何故なら、全ての授業時間の終わりを告げる鐘が鳴る前に、学園の至る所で待ち望んだ放課後を満喫する姿が見受けられるからだ。
生徒は自宅へと帰らないのだろうか。
そんな疑問が湧いてくるが、それはクライニアス学園の特色の一つ、様々な国、地域から子供がやってきているという事実が、疑問に対する答えとなるだろう。生徒の全員が寮住まいなのだ。
クライニアス学園は各国々の中立地帯として存在するため、一つの国に近すぎない場所にあるので、生徒の全員が寮暮らしとなるのは必然であると言えた。
学園の創立者、ゼウマン・クライニアスが過去に一度廃れた街を手に入れたのは、その狙いがあったとも言われているくらいなのだ。
さて、生徒全員が小等部の入学で、約十年以上も暮らすことになるクライニアス学園である。
当然、青春真っ盛りな時代を過ごすことになる若者達のとって、ここは余りにも窮屈であった。
いくら許可を得れば学園の外へ出られるといっても、やはり手続きそのものが面倒であったり、いざ外に出ても、ほぼ辺境の地と言っても良い位置に学園があるため、近くの街に行くにも数時間かかってしまうことなど珍しくない。
しかし、それではあまりにも学園生活が不便すぎる。
そこで学園側が用意した答えは、学園内に街を作るというものだった。
正確には、生徒が必要としそうなものを取り扱う店を、学園の外にある街などで、様々な店の主人と交渉し、学園内に店を設置したのである。
これによって学園側は生徒達からの不満を和らげることに成功し、店側も、富裕層の子供に自分の店を紹介する機会を得たりと中々利益があったりする。
元々クライニアス学園となる前は街であったことから、土地は街を作るには問題のない程度には均されていたので、学園の案内図に店が広がっていくのに時間はかからなかった。
今では多彩な店が連なり学園生活を彩っている。
下手な街に行くより品揃えが良くなった学園では、ロンのカラクリ道具といった特殊なものでない限り、求めれば大体のものが手に入るようになった。
そんな経緯で国中から集められた店の一つである喫茶店にコウ達はやってきていた。
コウ達が席に着くと、静かにマスターがやってきて、グラスを置いていく。中身は冷えた水だった。
この喫茶店のマスター、名前を誰も知らないことで生徒達の間で知られていた。
分かることは、見た目から年は初老を迎えた辺りであること、一つ一つの動作が洗礼されていていること、髪の色は黒であること、そして物静かで寡黙なことである。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」以外の言葉は滅多に喋ることのない人物であるが、不思議と誰にも嫌われる事はない。
迷いを抱えて入店すると、店を出る時には迷いが消えているという噂が密かにあったりする。
コウ達の机にグラスを置き終えたマスターは、言葉を発することなく一礼すると、カウンターの中に入る。そこが彼の定位置なのだ。
何も言わずに去っていったマスターを無礼だと思う者など誰もいない。
グラスを手に取り口元で傾けながら、コウは店内を観察する。
店内は豪華絢爛とは真逆な感じで、質素な品々で構成されている。
派手さはないが、壁に掛けられた時計、出入り口に置かれた花瓶、机や椅子、壁や天井など、全てに統一感があり、騒がしさのない空間はとても落ち着ける。
お昼に近いこの時間帯、大体の生徒達は食堂や購買などに向かうので、主に飲み物を楽しむ喫茶店では、今のところ生徒の姿はそれほど多くない。
しかし、この店にはサンドイッチやパフェといった軽食もあるので、徐々に席も埋まっていくことだろう。
「コウ殿、貴方は何者ですか?」
遠慮など微塵もなく、単刀直入にアヤがコウに訊ねた。
コウはゆっくりと視線を、まずは前に座るリーネに移す。
現在、四人が座るには丁度良い大きさの長方形の机に、コウの前にリーネ、その隣にアヤ。そしてコウの横にロンが座っている。
コウが見るとリーネは小さく首を振った。
どうやら、コウが魔物を倒したことを、秘密にして欲しいという約束は守られているようである。
コウはリーネの律儀さ好ましく思いながら、それを表情に出さずに視線をアヤの方へ移した。
アヤは見るもの全てを見逃さないとばかりに、真剣な表情でコウを見つめている。その為、リーネが首を振ったりしたことには、気づかなかったようである。
その二人とは対照的に、食い入るようにメニューをロンは見ていた。
ロンを横目に見て呆れながら、コウはアヤに言葉を返した。
「何者かと問われれば、名はコウ・クラーシス。職業は学生、年齢は十七歳で趣味は寝ること。特技は何処でも寝られること、どんな状態でも決めた時間に起きられること。あと何か聞きたいことあるか?」
アヤが目に見えて苛立つ。
それがアヤの聞きたいこととは、見当違いなことであると理解した上でコウは言う。
故に、目に見えてアヤに苛立ったのは仕方がないだろう。
苛立ちを隠せないでいるアヤを見てコウは思った。まだまだ青いと。
コウが周りに感づかれないようにロンを投げたことを、アヤは初見でコウの実力に気づきかけたのだ。
武術においてアヤが秀でているであろうことを、コウはそれだけで察していた。
しかし、簡単な挑発に乗ってしまう辺り、精神面がまだまだ未熟なのかも知れない。
コウはアヤに暫定的な評価をそうつけた。
完全な評価としないのは、アヤが演技をしている可能性がなくはないからだ。
コウは油断しない。コウにとって可能性が僅かでも残っているのなら、それは考慮すべき案件であるからだ。
苛立ちをなくせないまま、アヤが口を開く。
「ふざけないで下さい! 私は真面目に聞いているんです!!」
言いながらアヤが机を振るわせる。置かれたグラスの中の水が揺れるのを、コウは視界の隅に収めながらアヤを見る。
リーネが慌ててアヤの腕を掴み、落ち着くように言っているが、それでもアヤは止まらない。
「貴方の見せた動きはただの学生、しかも、成績最下位と呼ばれている人物には不可能なものでした!」
「……一応聞くが、見間違いという線を考えたりしないのか?」
アヤの責め立てるような言い様に、ほぼ無駄だろうと思いながらもコウは言う。
帰って来た言葉は、コウにとって残念ながら予想通りであった。
「私は自分が見たものを信じます! 間違いなくコウ殿はただ者ではありません!」
滅茶苦茶な論理である。こういった手合いを説き伏せることは難しい事をコウは知っていた。
そう考えると、コウは心の中でそっと溜め息をつく。
親の敵を見るような目でコウを見ているのに、未だに「殿」の敬称で呼ぶのは何故だろうと思いながら、コウはリーネをちらりと見る。
最初はアヤを止めようとしていたリーネだったが、コウの学園の評価と本来の実力との差異は気になっているのだろう。腕は掴んだままではあるが、それ以上は止めようとする気配はない。
さて、どうしたものかと考えるコウ。その時だった。
三人が作り出す雰囲気をぶち壊すかのように、ロンが満面の笑みで高らかに言ったのだ。
「よし、決めた! コウ、俺は昼限定日替わりサンドとデザートにマスターの気まぐれパフェな!!」
真剣なやり取りが行われている場にいるとは思えない、驚きの空気の読めなさである。
どうやら、コウの奢りということでかなり集中してメニューを見ていたので、三人の会話など全く耳に入っていなかったようである。
「あれ、三人ともどうかしたの?」
呆れや途惑い、失望など三者三様な視線に、ロンは心当たりがないと不思議そうに首を傾げている。
コウは気が抜けたように息を吐くと、メニューを持ち上げてリーネとアヤに見せる。
それに対して二人は片方は力なく、もう片方は勢いよく首を振った。コウはその反応を確認してから、マスターの方をちらりと見る。
マスターはそれだけで察すると、落ち着いた動作でコウ達の元へと来るのだった。
コウが注文するとマスターは手元の紙に素早く何かを書き上げると、また静かに礼だけしてカウンターの方へと向かって行った。
どうやらこの時間帯は彼だけで店のやりくりをしているようである。
「お前は奢りとか無料となると、貴族とは思えない程に見苦しいよな」
「仕方ないだろう、世の中に新しい技術がどんどん生まれているんだから」
ロンが選んだものはこの喫茶店で一、二を争う値段と人気のサンドイッチとデザートである。
貴族の子供といえば、懐がとても暖かそうなイメージであるが、ロンの場合は家の方針で生活に必要なレベルでの仕送りしかない。仕送りが貰えるだけでも十分に有り難い話ではあるが。
「お前は変なガラクタの為に金を投げ捨ててしまうからな……」
「だから、あれはガラクタではないと何度言えば分かるんだよ」
そんな二人のやりとりは、震えるアヤの目の前で行われていた。
「好い加減にして下さい!!」
話の途中で放置された上に、関係ない話を続けられたのだ。アヤが震えていた理由は言うまでもない。
アヤは屹度ロンを睨み付ける。話がそれた原因はロンであると認識しているようだ。
「えっ、な、何? なんで俺は睨まれてんの!?」
メニュー選びに意識を深く傾けていたロンは、そもそもコウ達の話を聞いてすらいなかったのだ。アヤが怒る理由など見当も付かないようである。
そんなロンの様子で更に腹が立ってしまうのか、険しい表情でロンを一睨みする。ロンはすくみ上がって、口を硬く結んで俯き視線から逃れるしかないのだった。
次にアヤは食い入るような目つきでコウへと目線を移す。
その瞬間、アヤが荒々しい様子で、何か言おうとするのを察したコウが、僅かに眼を細める。
アヤはそれに気づくことなく捲し立て始めた。
「昨日のドリークの件だって後から聞いた話では、ドリークたちは何者かに操られていたのでしょう? それなのにただ逃げるだけで何とかなったなんて、運が良すぎるとは思っていたんです! 本当はコウ殿がなんとかしたのではないのですか!?」
言われてコウはリーネを見る。リーネは申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
それを見てコウは仕方がないな、とばかりに首を振った。
アヤの言動やリーネの側にいる時の様子を見た感じ、アヤはどうやらリーネを護衛していると思える節がある
恐らく、リーネは確かにコウがドリークを倒したという事を、秘密にする約束を守った。
しかし、アヤが護衛をしているとすれば、襲われたことやその概要を話さないわけにはいかなかったのだろう。
アヤの考えまでの道筋は強引の一言に尽きるが、偶然か必然か、真実へと辿り着いていた。
「アヤ」
流石に宥めようとしているのか、リーネが掴んでいたアヤの腕を引く。
しかし、アヤの怒りは収まらず、それでも食って掛かろうとするが、アヤはリーネがただ宥めようとしている訳ではないことに気がついた。
リーネの様子は何かに驚くようであり、何かを知らせようとする感じだったからだ。
「お嬢様?」
アヤは呆然とするリーネの視線の先を辿っていく。
視線の先には喫茶店特有の物静かで落ち着く雰囲気。それを楽しみながら、思い思いに自分の時間を過ごす生徒達の姿が見える。
まるで、アヤが騒いだことなど気がついていないかのようである。
そんな光景を見て驚いている様子のリーネに、アヤは首を傾げそうになるが、寸前でその意味に気がついた。
「……まさか!?」
アヤは立ち上がりながら、驚きを大声として表に出す。それでも周りの生徒達は何の反応も示さない。
普通、物静かな喫茶店で騒いでいる者がいれば、悪い意味で注目を集めるものである。
煩わしく思いながらも、意図的に無視する者もいるかもしれないが、大きな声を出しながら立ち上がって見せたアヤに、誰一人として反応しないのは絶対におかしい。
この不可解な現象の原因を考えるのに、リーネとアヤの元には何の判断材料はなかった。
しかし、二人は真っ先にコウの事を見た。
コウがやったという根拠は二人にない。けれども、二人は何故かコウがやったという気がしてならなかったのだ。
リーネは実際に見たコウ強さへの信頼から、アヤは実力未知数という情報から導き出された結果だった。
「意外と周りに対する配慮が足りないんだな」
二人に「どうなのか」と目で問われたコウは苦笑しながらそう言った。
どちらに言ったのか分からないコウのこの発言に、リーネは感謝と謝罪の意味を込めて軽く頭を下げ、そしてアヤは不気味に思った。
何故かコウの事を心底信頼してしまっているリーネはともかく、アヤはコウという存在に警戒心を強く抱いていた。
静かにするべき場所で騒いだのにも関わらず、誰からも注目されていない。
それは恐らく【魔術=認識阻害】によるものだろう。しかも、かなり高度なものである。現象が魔術によって成されたことは簡単に分かることだ。
アヤにとってコウを警戒する理由は、それを二人、特にある程度警戒心を持っていたアヤに、気づかせることなくやってのけたことである。
普通、魔術を使えば「魔光」と呼ばれる光が生じる。それは生物の体内に存在するエネルギー「魔力」と大気に溶け込むように存在するエネルギー「マナ」が混ざり合った際に起こる現象だとされている。
この魔光と呼ぶ現象、害はないがとにかく目立つ。
使用した魔力が少なければ、魔光の放つ光も弱くはなるが、少ない魔力で魔術を展開しても、目の前であれば気づく程度には光を発してしまうのだ。
そういった理由から、悟らせることなく認識阻害を展開したコウは、明らかに異常であると言えた。
「お互いにさ、いろいろと周りに騒がれたくない理由があるんじゃないか?」
苦笑混じりにそう言うと、コウはグラスを持つと中の水を口にする。
そうコウに言われてから、アヤは自分が発した言葉の内容を思い返した。確かに、あまり聞かれたくない内容であった。
「コウは何故"お互い"だと思ったのですか?」
驚きから抜け出したリーネが聞く。
アヤの話した内容は、力を隠すコウにとって、確かに、周りには聞かれたくないことだっただろう。
しかし、リーネの方は騒ぎになることは、不味い等々の話をした記憶はなかった。
「……そうだな、まだ確信があった訳じゃないんだけどな」
そう前置きを述べてから、コウは何故そう考えたことを話す。
一つ目の理由として、ドリークの群れに襲われたリーネ。その格好が制服ではなかった。
学園外で制服を着ていれば、メリットは多く、逆にデメリットは学園の生徒だと一目瞭然な程度である。
それでも制服を着なかったということは、何か理由があるとコウは考えたのだった。
二つ目の理由として、ドリークの群れがリーネを襲ったのは、何者かの手によって行なわれたと指摘した際に、リーネは自分が狙われていたのにも関わらず、動揺もなく、まるで"知っていた"かのように落ち着き払っていた。
襲われたこと自体をリーネ達の自作自演だとは思わないが、少なくとも何かしらの心当たりはあるのだとコウは考えていた。
そして最後の理由。
「この学園でアヤみたいに警戒心を露わにしていること自体が、特別に気をつけなくてはならない"何か"があります。と宣伝してるようなもんだしな」
この言葉の意味を理解し、アヤは噛み締めるように口を噤んだ。
少し話が逸れるが、クライニアス学園には様々な曰く付きの品が集められている。
それは各国々で禁書指定となった魔術書だったり、強力過ぎるが故に封印指定となった魔装具だったりする。
何故、生徒が通う学園に曰く付きのものが集まるのか。
学園が中立としての立場を保ち続けているのも理由の一つだろう。
しかし、大きな理由として、ゼウマン・クライニアス自らの直属として組織し、鍛え上げた警備部隊が存在するからである。
偉大な騎士と呼ばれた男が直接鍛える警備部隊。
それは王国騎士よりも人気、知名度が高いと言われる程で、その実力は計り知れないと言われている。
一説では、王国騎士と学園の警備部隊が同数でぶつかりあったら、まず王国騎士は勝つことは出来ないとまで言われている。
学園内外で生徒の身に何かあれば、この頼もしい彼らが動くという訳である。
元々、生徒の安全を守るために組織された彼らの実力が諸国に買われた結果、様々な曰く付きの品が集まることと成ったわけである。
そんな経緯から、学園内は安全が保証されているので、ただの生徒なら警戒などしないはずなのである。
理由を聞かされたアヤは悔しげに口を噛んでいる。言われて初めて気がついたのかもしれない。
それは未熟だからなのか、それとも気づけないほどに余裕がなかったのか。この時点でコウには判断がつかなかった。
「まぁ、そもそもここで騒ぐこと自体が良くないからな」
その言葉が説明の終わりであるとばかりに、コウは掴んだままだったグラスを勢いよく呷って、中身を全て飲み干す。冷たかった水はすでにぬるくなっていた。
「コウには驚かされてばかりです」
コウの洞察力にリーネはその一言しかないと言った様子だ。
感嘆の言葉を漏らした後リーネは同意を求めるように、アヤを見た。
「…………」
「アヤ?」
リーネはアヤを見て、何か様子がおかしいことに気がつく。アヤはまるで親の敵を見るかのようにコウを凝視しているのだ。
実を言うと対面に座るコウは、そのことに幾分も前から気がついていたが、あえて気づかない振りをしていた。
「コウ殿、貴方は、何者ですか……?」
何故なら、アヤが今にも飛びかからんばかりの体勢だったからだ。
立ったままだったアヤは重心を僅かに落とし、左足を後ろに下げた状態である。
「アヤ、どうしたのよ!?」
リーネが不安げにアヤの注意を引こうとするが、すでに臨戦態勢を整えたアヤはそれに答えることなくコウを見据えている。
「お前が何を想像したか当ててみようか?」
答えないアヤの代わりにとばかりに、コウがそう言った。その様子は普段と何ら変わらず、不自然な程に落ち着いていた。
アヤは目で先を促し、コウはそれを素直に受ける。
「油断できないリーネを狙う存在。そんなのを抱えている時に、実力を隠してリーネの前に現れた俺。暗殺には打ってつけな、謎の魔術展開技術。護衛をする身で、この三つを結びつけて簡略に考えれば――――俺が刺客ではないかという結論になったんじゃないか?」
コウの推論を聞いても、アヤは何も答えない。しかし、ここでその反応は肯定を意味していた。
アヤの考えを知ったリーネは驚いた様子である。コウのことを疑うという発想すらなかったようだ。
「アヤ、コウはそんな人じゃないわ!」
リーネは慌ててコウを擁護する言葉を口にするが、それでもアヤの表情は和らぐことはなく、むしろ険しさは増した。
「お嬢様とコウ……殿は会って間もないのですよね? 何故、奴から送られてきた者ではないと言い切れるのですか!?」
リーネが息を飲む。その様子から動揺が見て取れた。
コウも不思議に思っていたのだ。
確かにコウは、リーネのことをドリークたちから救い出した。しかし、それだけではコウの正体不明という情報を、押しのけてまで多大な信頼を寄せる理由にはならないだろう。
コウも理由を知りたく思っていた。
「それは……」
アヤの問いかけに対して、リーネは言葉を詰まらせた。
「根拠はないのですね?」
「ちが……!」
否定の言葉をリーネは言おうとする。けれども、それは最後まで発せられず、意味のある音にはならなかった。
リーネも頭では理解しているのだ。
コウの謎に関して、現状ではアヤの考え出した結論も正しいことを。
しかし、それを分かっていても、コウのことを警戒すべき相手だとリーネは思う事が出来ないのだ。
実のところ、リーネ自身も何故そうなのか分かっていなかった。
自分の中に矛盾を生み出す対となる思い。
それを言葉という形に出来ないもどかしさに、リーネは心が拗れるような痛みを覚えた。
アヤは反論を出来ないリーネを見て、勝ち誇るでもなく、怒りを露わにするでもなく、僅かな悲しみを混ぜた表情で見つめた。
そうしてから、次にアヤはコウのことを見る。そこにはやはり敵意に近い警戒心があった。
間をたっぷりと置いてから、アヤが重々しく口を開く。
「そろそろ観念した方が良いのではないですか?」
「観念? 俺は一体何を諦める覚悟をすればいいんだ?」
対するコウは何処までも軽い。まるで、日常会話を繰り広げているかのようである。
そんな惚けたような態度には慣れて来たのか、アヤは同じ調子で重ねる。
「誤魔化そうとしても無駄ですよ。好い加減にしないと、こちらも相応の対応をしてもいいのですよ?」
後半の言葉には重々しさが更に強められていた。その様子から考えて、対応というのは明らかに穏やかな方法ではないだろう。
アヤの言うことの意味に気づいたリーネは、悲しみと怒りでぐちゃぐちゃにした顔で、止めようと何か言おうとした。
「それ相応の対応、ね……」
しかし、リーネが何か言う前にコウがそう呟いた。
リーネの目はコウの方へ向き、そして釘付けとなった。
コウは喫茶店に入り、ここの席に座った時と居住まいは何ら変わりない。
リーネとアヤの方に向けられる目、軽く結ばれた口、普通の時と変わらない眉の角度。表情を窺う時に真っ先に目の付く部分は、全て普段と変わりないのだ。
そのはずなのに、リーネは何かが変わったように思えてならなかった。
リーネが"何か"を悟る前に、それに気づかなかったアヤが言葉を返してしまう。
「ええ、そうです。ですから、力を隠す理由とその正体を私たちに――――」
「好きにしろ」
アヤが言い切る前にコウが割り込む。
その声音は普段と変わりないのに、耳の奥に重く響いた。
「え?」
何を言われたのか分からないという風にアヤが言葉を漏らす。自覚のないまま、アヤはコウに呑まれていた。
コウは先ほどと変わらない語気で、再び口を開く。
「だから、好きにしろよ」
コウは言ってから大げさに首を振ってみせる。
それはまるで呆れたと言わんばかりの姿で、思わずむっとしたアヤは、無意識に自分を奮い立たせて何か言おうとする。
そこでようやく、アヤは何故、"奮い立たせる必要"があるのかと意識の隅で考えた。
しかし、アヤが理由に辿り着く前にコウの言葉は続けられた。
「確かに俺は学園で低い評価を狙って得ている。それは認めよう」
コウはその点に関しては素直に認めることにした。
突拍子もない理論ながら、アヤは偶然にも真相に辿り着いている。故に、誤魔化しても良い結果は得られないだろうと判断したのだ。
頷いてから、コウは「だけど」と続ける。
「それで? もしも、その理由を喋らなかったら、お前は俺をどうするんだ?」
「そ、それは、警備の方々に……」
「どう話す?」
アヤは押し黙る。押し黙るしかなかった。
仮にコウが実力を隠していることを警備部隊の方に伝えるとしよう。
その事実だけ、つまり隠している事だけを伝えれば、その情報に信憑性はあるだろうか。
陳情のすべなく一蹴されて終わりだろう。
では、どういった場面で隠していることを知ったかを説明すればどうか。
そうなると、リーネがドリークに襲われたことなどを言わなければならない。
それは不味いとアヤは思った。
「リーネが襲われたこと、学園に伝えてないだろ」
「ッ!?」
まるでアヤの思考を読み取ったかのような絶妙なタイミングでコウが言う。
分かりやすいほどにアヤの顔が驚愕の色に染まった。
「なんで知っているんだって顔をしてるな。だが、その理由は教えない」
コウは不敵に笑う。そこにアヤに対する侮蔑さえ含まれているような気がして、釣られてアヤが何か言おうとするが、それを制するようにコウの言葉は続けられる。
「改めて言うが、お前がどうしようと俺は止めないぞ。好きにしろよ」
「くっ……!」
コウの言うことは確かに正しかった。警備部隊に伝えることはあまり良策とは言い難い。
そもそも、コウが怪しい人物であると、証拠として提出できるものは一つもない。
あくまで憶測で話していることは、アヤ自身よく分かっている。しかし、コウの誰に対してもふてぶてしい態度、鋭利な刃物のような頭の切れは、どう考えても調査すべき対象だと思うべきだろう。
もしも物的証拠があれば、誰が報告したのかを知られずに警備部隊に伝えることが出来るが、それは無い物ねだりに他ならない。
では、アヤが自らこの場でコウを取り押さえればいいか。
それこそあり得ないだろう。
現状から鑑みれば、コウは相手に気取られることなく魔術を展開出来るのだ。
そんな相手に策もなく挑めば、初級の攻撃魔術ですら、やられてしまうかもしれない。
騒いで戦いを起こせば、コウの戦闘能力をこの場にいる生徒達の目の当たりにはなるが、それと同時にリーネとアヤも目立つ事になる。それは避けなければならないことだった。
手詰まりになり、悔しげに口を閉ざすアヤに、コウはなるべく優しく諭すような声で言った。
「別にお前を責めようと思っている訳ではないんだ。ただ、お互いに事情があるのなら、それを尊重出来ないか?」
「……それでも、コウ殿が怪しい人物だということに変わりはないのですが?」
「そこはまぁ、とりあえず信用するって感じで」
胡散臭いことこの上なかった。
しかし、その態度にアヤは毒気を抜かれたのか、ある程度は落ち着きを取り戻したようである。
微妙に警戒した様子は残しているが、それでも静かに椅子へ腰掛けた。
「それじゃあ、始めるか」
コウが唐突に言う。
何を言い出すのか予想出来なかったコウを除く三人は、顔を見合わせる。
それに対して答えるようにコウは先を続ける。
「やっと落ち着いたところで、話を始めようぜ」
ようやく合点いったリーネとアヤは理解の色を見せ、ロンはまだ分からないと言うように首を傾げている。
ロンには直接には関係のないことであったので、コウは放っておくことにした。
「俺が学園で成績最下位のレッテルを望んで貼り付けている理由は、答えられない。ここは理解してくれ」
その言葉にリーネは即座に頷いて見せ、アヤは本心で納得出来なかったようだが、それでも無理矢理自分を納得させてゆっくりと頷いた。
「俺は、とある人物の依頼によって学園にいる。レッテル云々は指示の一つだ」
ぴくりとアヤが反応した。
恐らく、先ほどの推測に繋がると思ったのだろう。しかし、それでも特に何か言うことはなかった。
とりあえず話を最後まで聞くことにしたようである。
「依頼人の詳細は言えないし、当然、依頼のことも余り言えない」
聞けば聞くほどに疑念を抱かせる話である。
コウはそれを承知でこう続ける。
「話せることはないに等しいが、少なくともお前らの敵ではないつもりだ。そこは信じて欲しい」
二人を見つめるコウの目は真剣そのものである。
人が人を騙す世の中だ、真剣な目をした者が言うことは、全て偽りのない言葉であるなどと、そんな風には言い切ることは絶対に出来ない。
そのはずなのに、リーネとアヤはコウの目を見ると、どうしても嘘を言っているとは思えなかった。
二人の中で捉えきれない漠然としたものが形と成る前に、コウはいつもの何の気負いのなさそうな雰囲気に戻った。
「本来ならここで質問を受けたりするものなんだろうが、聞きたいことを喋らないって言ってるから質問なんか出来ないよな」
コウは苦笑を浮かべた。自分でも怪しいことも理解しているし、二人が困るであろうことも分かってはいるのだ。
事実、二人は困惑している。
コウが話したことはとても中途半端で、話した内容はアヤが考えた「リーネを狙う者説」を後押ししただけだからだろう。
それでも二人の心が惑ってしまうのは、コウが見せた真摯な眼差し故だった。
迷う二人に、沈黙を保つロン。そんな三人相手に話が広がらないので、話第転換の方向性としてコウは内心気を引き締めながら、気になっていたことを切り出すことにする。
「とりあえず質問とかは後回しにして貰うとして、こっちも聞いて置きたいことがある」
ともかく話を進めようというコウの考えが伝わったのか、二人は特に異議を唱えることなく、何だろうかと聞く様子を見せた。
それを確認して今から自分が言うことにどのような反応を示すだろうか。そう思いながらコウは口にする。
「お前ら二人にはどんな事情があるんだ?」
不意打ち気味な問いかけに、リーネは感情の動きを全く表に出す事はなかった。不思議そうに首を傾げている。
しかし、リーネと初めて出会った時の様子から考えて、コウはそれを予想していた。
故に、コウが二人の反応を見る時に重きを置いたのはアヤの方であった。
先ほどまでの会話から、アヤが感情の制御が未熟であることをコウは見抜いている。
「…………」
一見、動揺などないように、真面目な表情を浮かべているアヤ。
しかし、ここでそれは仇となってしまう。
コウは自分の顔が笑みを作ることを止めなかった。決して馬鹿にしたわけではない。ただ、嘘をつけない実直なアヤのことを微笑ましく思えてならなかったのだ。
コウが突然笑みを浮かべたことに気づいたリーネは、疑問に思ってその謎を解明すべく、コウの視線の先を辿っていく。
そして、アヤの様子を確認すると、リーネは困ったような、そしてコウと同じような微笑ましそうな笑みを混ぜて見ることになるのだった。
「な、なんですか?」
二人からいきなりそんな表情で見られ、当然困惑するアヤ。
これが仮にコウだけが見ているのであれば、何なのだと問い詰めるところである。
しかし、リーネまで同種の笑みで見て来るので、そういうわけにもいかず、ただ困るしかないアヤだった。
「いや、な、お前は実に分かりやすいなと」
コウは笑いながらそう言い、アヤが何か言う前にどうしてかの理由を簡潔に述べる。
先ほどのコウの問い。
もしも隠し事などなかったら、不意打ち気味に放たれたその問いかけに、戸惑うか、不思議そうにするかである。
そういった意味でリーネはある意味正しい反応だった。
対して、先のコウの事情に関する話で困惑していたはずのアヤは、問いかけの直後に真面目な表情を浮かべていた。
これは内心の動揺を隠そうとしたアヤの行動なのだが、それが逆に、何か隠していると物語ることになってしまったのである。
説明を聞き、自分の行動が裏目に出てしまったことを知ったアヤは恥ずかしそうに俯いた。
コウとしては嘘のつけないところは好意的に思えるのだが、駆け引きにおいては致命的なところである。
これ以上アヤの話を続ければ、彼女の自尊心傷つけることになると判断したコウは、速やかに会話を主軸に戻す。
「まぁ、それはまたの機会に話すとして、それで、どうなんだ?」
降って湧いたような和やかな空気が広がる前に、コウが話の流れを修正したので、真剣な表情を作るのはそんなに苦ではなかった。
リーネは今回の話においてもう一つの核心に触れられたことで、緊張した面持ちである。
「私の方の事情は、コウと同じようにお話出来ません」
「それは、俺が言わないから、……なんて幼稚な理由じゃなさそうだな。どうしてだ?」
少し考える素振りを見せてから、リーネはコウの目を見て真っ直ぐ見つめる。
「話してしまうと深く巻き込んでしまうことになるからです」
"深く巻き込む"という表現に引っかかりを覚えながらも、コウは納得の意を伝える。
「なるほど、それで話せないと」
この反応にリーネの方が驚いた様子を見せた。
まさか、これで納得されるとは思わなかったのだろう。驚きには拍子抜けという感じすら見える。
コウとしては自分が無茶苦茶ことを言っている手前、あまり追求する気はないだけなのである。
「それじゃあ、誰に狙われているかも話せないのか」
コウの言った何気ないこの一言に、リーネは僅かに動きを止めた。
そして確かめるように、コウに言うのだった。
「残念ながら私達も相手のことは分からな――――」
「確か、"何故、奴から送られてきた者ではないと言い切れるのですか"だったか?」
「……やっぱり、そこは聞き逃してくれていませんでしたか」
それは先ほど、コウへの疑惑から、激昂したアヤが漏らした言葉だった。
アヤの言葉は明らかに相手を知っている口ぶりである。これを言った時、リーネが流石に動揺したこともコウは見逃していなかった。
「回りくどいことはなしにしないか? 別に言えなかったら言わないでいいからさ」
「そう、ですね。すみません、変に誤魔化そうとしてしまって」
頭を下げるリーネの横で、アヤが縮こまっている。またもや自分の失敗が発覚した為だろう。
そんな二人にコウは朗らかに答える。
「別にいいさ。さっきのもまた、深く巻き込まないように、ってやつだろ? それと、誤魔化そうとしたということは、分かっているが話せないんだよな?」
そこまで見抜かれていたのかと、リーネは自分の行いが稚拙に思えてならなかった。
恥じからか顔を俯かせてしまうリーネ。これでコウの前に座る二人共が顔を俯かせていることになった。
今は認識阻害で周りから注目を集めることがないとはいえ、これは客観的に見てどう見えるのだろうかと、他の三人から忘れられかけているロンは心の内でそう思うのだった。
ロンが思ったことを同じく思ったようで、コウはやや強引ではあるが話をまとめることにする。
「ともかく、これでお互いの事情のこと……まぁ、内容は全然だったが、話し終えたよな?」
ここで後回しになっていた質問などをするべきなのだろうが、お互いにほとんど黙秘することを宣言してしまっている。
お互いの事情がどういったものなのか。それを朧気ながら見えただけでも、今回はそれでよしとするしかないようだ。
リーネもそう考えたのか、苦笑を浮かべながら頷いた。
その隣のアヤは深い追求を続けたそうにしている。
しかし、自分たちのことも話せないのだ。そして、何よりリーネが頷いて見せたのだからと、強引に自分を納得させたのか、リーネに続いて頷いている。
コウはそれを見届けると、微笑を浮かべ、小さな虫を払うように手を振る。
その動作をしてからすぐ後にマスターがやって来て、注文していた品を机に置くと、静かに礼をして去っていった。そのことから、先ほどの動作で認識阻害を解いたのだと窺えた。
「タイミングが丁度よくて助かったな」
一仕事を終えた後のようにコウは息をついた。
「タイミング? 助かった?」
険悪なムードが過ぎ去ったのを感じたのか、ロンがおずおずとした様子で会話に参加する。
「あのままだと、マスターが俺らのことを認識出来なくて、俺達は注文したのに行き成り消えた客になるところだったんだよ」
「……そんなまさか」
リーネがぼんやりと呟く。
普通なら【魔術=認識阻害】は気配を希薄にする程度の魔術である。
なので、対象を肉眼で見てしまえば、そこで展開した魔術は無意味となるのだ。
超高度な展開を行えば、肉眼で見ても認識出来ない、つまり透明人間のようになれると、確かに認識阻害を説明する書にはあるのだが、それは最早眉唾物の話であった。
よくよく考えれば、アヤが大きな声を出した時も、一般的な認識阻であれば、魔術が解ける切っ掛けになるはずだったのに解けていなかった。
リーネの脳裏に「規格外」という文字が浮かんだ。
「まぁ、流石に魔術で探られれば、そこまでのレベルじゃなくなるけどな」
目の前に置かれたブラックコーヒーを啜りながら、コウは何てこともないように言った。
無理のない自然な態度が、逆にコウの実力を裏づけているようである。
そんな姿をリーネは唖然と見つめてしまう。
リーネの視線に気づきながらも、それには触れずにコウは口を開く。
「重要なことを決めるか」
突然そう言ってからコウは間を置く。リーネとアヤを見比べるように見る為である。
二人とも根本で意味合いは違うのであろうが、緊張しているという点では同じであった。
それをコウは見届けた上で言う。
「互いに事情があることを知った上で、これからも関わり合うことを続けていくか?」
コウの言い方には躊躇いがなく、どちらでも良いというある意味冷たく突き放すようでもあった。
事実、コウはここでリーネ達が拒絶してみせれば、遺恨なく関係を無にしようと考えていた。
二人はどんな判断をするのか、コウはそれをただ見守る事にする。
「コウは……」
リーネが静かに言葉を吐き出す。
確かめるように、窺うように、そして、同じく突き放すように。
「どうしてこうやってチャンスを与えてくれるのですか? コウは私たちが何か事情を……しかも、魔物に襲われるような厄介なものを、抱えていると分かっているのですよね?」
これからもリーネ達に関わっていくということは、また魔物に襲われるような危険に晒されるであろうことは、想像に難くない。
それでも、コウが何故そう言うのか。リーネは気がついていた。
自分たちがどんな答えを出そうとも、コウはそれを受け入れることを。
それが、縁を切ることであろうとも、――――厄介ごとに巻き込むことになっても。
短い付き合いであるはずなのに、そうするコウの姿がリーネの脳裏には簡単に描くことが出来た。
だから、リーネからこれが最後であると警告する。離れるなら今の内だと。
「それを言ったら俺だって、もしかしたら厄介ごとを抱えているかも分からないじゃないか」
「でも、コウは私たちに選ぶ権利を与えてくれました。それって、コウの方は受け入れてくれるということですよね?」
今の状況だけを考えれば、はっきり言って、リーネ達と関わることで、コウにはあまりメリットはないはずなのだ。むしろ、デメリットしかない可能性すらある。
それに対して、コウの助力が得られるのであれば、リーネ達にとって完全にメリットになるのだろう。
どうしてかなのかと、質問に質問で返された形であるが、コウは気にしたようすはなかった。
チャンスを与えるとかそういうわけではないんだけどな、と言ってから、笑みさえ浮かべてコウは短く言った。
「友達だから」
「えっ?」
思わずリーネは聞き返した。完全に予想の外からの返答だったからだ。隣で固唾を呑んでことの成り行きを見守っていたアヤも驚いた様子である。
「友達だからだ」
再びコウは言う。そこには恥ずかしさもない。堂々とした様子である。
リーネは損得勘定や利害関係などを予想していた。けれども、コウの答えはまさかの”友達”である。
危険ごとに飛び込んでいくのに、それは余りにも稚拙な理由だった。しかし、コウは真剣にそう言っていた。
これが演技であったりすれば、リーネはこの世で信じられるものは何も無いだろうとすら思えた。
あぁ、とリーネは心の中で呟きながら、自分の中でぎちぎちに固まっていた疑問が氷解していくのを感じた。
何故、根拠もなくコウのことを信頼してしまうのか。
それはコウの人となりに触れていたからだ。それが理由だったのだとリーネは理解した。
「出会ってから、まだ顔を合わせたのは二回目ですよ?」
咄嗟に出てきた言葉は否定に類するものだった。それが弱々しく震えていることを誰も指摘したりなどしない。
何故なら、それはリーネ自身がよくわかっていることだったからだ。
この時、リーネは声だけではなく、心が震えていることも自覚していた。それが悲しみとは程遠い理由であることも、自覚していたのだった。
「何だ、知らないのか? 人と人の関係を決定づけるのは時間だけじゃないんだぜ?」
普段と変わらない音調でコウはそう言った。
その言葉は、降り積もった雪が暖かな日差しによって大地に溶け染むように、リーネ達の心に入り込んでいく。
リーネは横にいるアヤを見る。
未だに驚きから抜け出せずにいるのか、口を半開きのまま固まっていた。少々間抜けな表情だが、そこにはコウに対する否定的な色はない。
思えば、喫茶店に入り話を始めてから、コウの態度は一貫として友人に対するものだった。
彼は初めからそのつもりであったことが、簡単に窺えたではないかと、リーネは自分が酷く愚かしく思えてならなかった。
「それで、どうする?」
子どもを諭すような口調でコウが再び問う。急かさないようにという気づかいもあった。
もう、リーネに迷いはなかった。
「私は、コウのお友達でいたいです!」
控えめな声量で、しかし、はっきりとリーネはそう言った。固まっていたアヤが慌てた様子で何か言っているが、最早リーネの耳には何も入らない。
リーネにとって、初めてコウの友人になれたと思えるようになった瞬間だった。
難産でした。
これを投稿する数時間前に、五時間ぶっ続けで書いていた文章データが消し飛んだのは良い思い出です。ええ、もう二度と体験したくないなって思いました。
正直、突貫工事のせいで内容滅茶苦茶感がたっぷりです。
あと、ロンが空気過ぎてやばいです。
深夜テンションで考えたタイトルなので、もしかしたら後日変更するかも知れません。