06_ステータスだっ!
当たり前だが、エクスの部屋にベッドは一つしかない。
一人暮らしで、誰かを部屋に招く気もなかった彼としては、寝具を余分に買うことなんてない訳で──必然的に倒れた刀花をベッドに寝かせることになる。
そもそも工房も兼ねたこの部屋は、魔導士にとって自身の脳内に等しい。
なのでよっぽどのことがない限り部屋に入れることもない訳なのだが──
『──起きたの?』
『あ、ああ……川が見えていた。船をこぐ変な悪魔とか、天使とかも合わせて見えてた……』
『何を言ってるのかわからないや。もう頭の方はダメみたいだね、助からない。悲しい。さようなら』
はぁ、とエクスは息を吐くと、何か言い返したくなったのか、がばっ、と刀花は身を起こしていた。
『私は生きているぞ! 僕らはみんな生きている!生きているから嬉しいんだ!』
『おはよう。とりあえずは快復したようで何よりだ』
起き上がった刀花にエクスは回復瓶を渡した。冒険者用の物だ。
本当は風邪の薬を調合した方がいいのだが、そちらは医療士の領分なので、さすがにエクスも門外漢だった。
とはいえここまで持ち直したのならもう大丈夫だろう。ごきゅごきゅと回復瓶を煽る刀花を見ると、まぁ顔こそ赤いが活力は取り戻したようだ。
『はぁ……すまない。何だか記憶が曖昧なんだが……』
『倒れたんだよ、貴方は。99階建のマンションを裸で登ったりするからだ』
『は、裸じゃない! 後半をカウントするにしても。八割ぐらいはちゃんと服を着ていたぞ!』
刀花は恥ずかしげに布団でその身を覆う。
あ、そこは恥ずかしがるんだ、とエクスは意外に思った。
『合間に服とか適当に見繕って着替えさせたりとかしたけど、医療行為だし、許してほしいな』
『うむ、それはありがとう。世話をかけさせてすまなかった』
そちらは特に気にした様子もなく、あっけからんと言う。
やっぱりこの人の羞恥心の基準はわかんないや、とエクスは内心でぼやいた。
『まぁ、最初の方はメリィも手伝ってくれたし、だいたい僕は大したことしてないよ。お礼ならそっちに言って』
『そういえば彼女は?』
『帰ったよ』
メリィ・ビーは、あの屋上での再会から次の日、エクスとは別れていた。
どうもわざわざ学院に休みを申請して、高速旅団に同行する形でこの街まで来ていたらしい。
優等生な彼女はほぼほぼ単位も取り終えているだろうし、時期的な融通は利きそうだが。
『とりあえず、手紙はちゃんと返すことは約束した。
言葉をちゃんと交わしていこうって、そういう感じでね』
『……ふむ、なんだか意外だな』
『何がだい?』
刀花は、うーん、と首を捻りながら、
『あの巨乳なメガネっ子、そんなにあっさりと身を引くのか……? 私など無視してやることをやればよかったものを』
『よくわかんないけど、貴方がメリィをどういう存在として覚えているのかはわかったよ』
メリィの体型については間違いではないが、それで人を覚えてるのは流石に失礼過ぎる。
エクスはとりあえず日本語での発音で彼女の名を教えた。イントネーションは多少違うが、刀花も覚えることはできた。
『ふむ、ともかくだ。本当にすまないな、エクス』
おもむろに刀花はそんなことを言い出した。
君、はついていない。対等な扱いを感じさせる呼び方で、彼女はエクスに礼を述べた。
『なんだい、かしこまって』
『一晩の約束が、何日か延びてしまっただろう? それだけじゃなく、私の看病だってしてくれた。なんとお礼を言ったものかわからないよ』
『別に……だいたいメリィがやっていったし』
ぷい、とエクスは顔をそらして言った。
寝袋代わりに毛布にくるまり、刀花の近くの座椅子で寝ていた彼は、少し衣装や髪が乱れている。
その足元にはタオルや回復瓶のほかに、引っ張り出した医療関係の魔導書なんかが転がっているのだが、そちらは彼女には読めないから気づかないだろう。
『……別に、僕は善意でやったんじゃないよ』
まっすぐな視線を見ず、エクスは宙に、つい、と指を振るった。
【如月刀花】
[状態]HP70% 風邪(中)
[装備]なし
[スキル]未登録
[ステータス]
攻撃:101
防御:567
魔攻:0
魔防:65535<EX>
敏捷:2875
幸運:1171
[備考]
[ADD]
・【譎る俣譌?。瑚?】
『うおおおおおおおお! ステータスだああああああああ』
『うわっ、どうしたんだい』
突然騒ぎ出した刀花にエクスは気圧される。
刀花を【分析】した結果を、空気中のマナで投影したのだが、えらく騒がれてしまった。
【分析】というのは、【鑑定】から分岐するスキルで、要するに人に対して行える【鑑定】である。
割と使い勝手がいいので、エクスは【鑑定】を取るついでにこちらも取っていた。
それを刀花に見せるようにニホン語変換をかましたものがこれである。
──片手間にあんなマイナー言語のコード変換を作るなんて、うーん、我ながら凄い。
天才的だね、と内心自画自賛しつつ、ステータスが出た時点で何故か感動に打ち震えている刀花に声をかけた。
『うおおおお! 私はこんなステ振りなんだな? やっぱりアレか? これはやっぱり凄いのか? わかりやすく魔防極振りって感じだし、っていうか多分これカンストしてるよなっ!』
『ステータス自体も結構面白いんじゃない? まぁ探したら貴方以外にも多分こういう体質の人いると思うけど』
だいたい1000を超えたら、冒険者としては一流の域とは聞く。そう考えると特異体質なのは間違いない。
攻撃と防御が低めなのは刀花が現在何も武装していないからだろう。
『え、エクスの見せてくれない? 私のと見比べたいんだ。私、昔からやってもいない作品の攻略本見るの好きで』
『僕の? ええと、何時取ったかなぁ? 学院を辞める前の定期分析が最後になると思うけど。確か魔力は攻防共に2000行ってたかな』
『……なんだか、健康診断の結果みたいだな。この世界のステータス』
最新のデータも【分析】を自分で使えば確認できるが、それなりに手順を踏む必要があるのでやりたくなかった。面倒なのだ。
『まぁステータスなんて、クランの面接時に提出する程度にしか使わないし、僕にとってはどうでもいいよ』
【分析】も一世代前に比べると精度は上がったが、かといって過信するものではない。
実際の戦闘では、経験だったり、噛み合わせだったり、立ち回りだったりでまた大分変わってくる。
そもそもエクスは冒険者ではないので、そうした殴る蹴るだの野蛮なことには興味がないのだ。
『僕が興味があるのはここ!』
だからエクスは声を張り上げて、ステータス下部の文字列を指差した。
[ADD]
・【譎る俣譌?。瑚?】
『文字化けしてるな?』
『うん、変換かましたんだけど、なんか妙なのが出てきた。
翻訳の都合かと思ったけど、どうにも違うみたい──たぶんこれ【分析】でも引っかからない何か、なんだ』
【分析】というのは、つまるところマナで形成された架空領域の蔵書にアクセスし、そこに集積されたデータと照合する魔術である。
過去にこの世界のどこかで前例が挙げられていれば、自動的にそれが何かを判別してくれる。
『何もないなら【未判定】って出るはずなんだ。
でも、訳のわからない文字がでている。どうにもこれが──興味深い』
エクスはそこでメガネを、くい、と上げた。
『ニホン語に精通してることといい、この謎のスキルもどきといい、僕は貴方を研究材料として見ている。
だから貴方が寝ていて、何も抵抗ができないと知りつつ勝手に【分析】もかましたし、他のデータも取らせてもらった』
利用しているんだ、とエクスは言って、
『だから……これは善意でも何でもないんだよ。僕は打算のために貴方を助けたんだ』
『ふふ、そうだな。うん、わかった。そして改めて──看病してくれて、ありがとう、エクス』
突き放したように告げたつもりだが、柔らかい笑みで持って返されてしまった。
変に突っ込んでこない感じが、まるで意地っ張りな弟を見る姉のような雰囲気で、エクスはひどくもやもやした。
──だから僕は善意なんかで人を助けないって。
『その上で提案なんだけど』
エクスは強引に話を進めるつもりで言った。
『そっちが行く場所ないんだったら、しばらくここに住んでもいってもいいよ。
ギブアンドテイクの関係でやっていこう。もちろん生活費は払ってもらうけどね。少なくとも食費と光熱費は絶対』
どうやら刀花はニホン語しか喋れないらしいし、断言してもいいが、彼女の言葉がわかるのはこの街でエクスだけだ。
だから諸々とりはからう代わりに、刀花にはエクスの研究対象になってもらう。
お互いにとって悪くはない話の筈だった。
──……いろいろと、巡り合わせだね。
本来なら、エクスは会ってすぐの人間を部屋に住まわせるつもりなんてなかった。
だが、昨日の屋上でのやり取り、メリィに対して──届かない筈の言葉で、それでも何かを伝えた姿。
それを見ていたら、まぁ、悪い人ではないんだろうな、と思ったのだ。
『……どう? まぁ嫌なら出てってね』
尋ねると、刀花は少し思案するように腕を組んでいた。
断るなら別にそれはそれでいい、と思っていたが、
『エクス。あまり女性に対して一緒に住もうとか、軽々と言うんじゃないぞ。
私じゃなかったら勘違いするところだし、そういう軟派な男は往往にして軽く扱われる』
『貴方は僕のなんなんだよ!』
『刀花ねーさんと呼んでくれ。あ、もちろんここに住んでいいのなら住みたい』
だから同い年なんだって、と思いつつ、しかし──あっさりと彼女は了承した。
『え、何? 交渉成立でいいの?』
『もちろんだ。要は私がエクスを信じるか、という話だろう。
なら信じるさ。なんといってもエクスは、目に隈を作ってまで、つきっきりで看病してくれるような善い奴だからね』
まっすぐに告げられて、エクスはいたたまれなくなって視線を逸らした。
『そうか、じゃあ、これからよろしく。
とりあえず寝ててよ。元気になったらまた今後のことを話そう』
自分は善い奴なんかじゃない。善い奴というのは、そう、あの気丈な幼馴染のような──
「──お、お邪魔しましたんだから!」
その時、聞き覚えのある声がした。
続いて、ぴんぽーん、となる魔導ベル。妙な抑揚で、緊張で吃ってしまったらしい挨拶。
そして勝手に開く扉。
エクスは確信する。この“敵意がなく縁があれば勝手に開く”扉は間違いなく欠陥品だ、と。
「お、お隣に引っ越してきた。メリィ・ビーです!
どうぞよろしくお願いします……! え、ええ、え、エッくん!」
菓子折りだかなんだかを持ってきてやってきた彼女は、赤面した口調で言うのだった。
エクスは目の前の幼馴染に対して、あっけに取られる思いだった。
「引っ越してきた……? 学院は……?」
「必須な単位はもう取り終えたんで、専門科の試験までは遠隔教育でも大丈夫だったの。
それで、その、この前のアレで、私、別に嫌われてる訳じゃないってわかったから」
学院の委員長であった筈の彼女は、もじもじとしながら意味不明なことを言っている。
数日前に別れて、そのまま部屋を借りてきたということなのか──この隣に?
──え? マジ? 正気かい、メリィ・ビー。
『ふむ』
後ろで刀花が回復瓶をちびちびとやりながら頷いている。
『身を引いたのではなく、一気に詰めに来たのか。
なるほどエクスは無駄に意地を張るからな。距離は近ければ近いほどいい。電撃作戦で一気に既成事実を掴み取るのは正しい一手だ』
──そのしたり顔、異様にムカつくよ、刀花……
何はともあれ、エクスと刀花の生活は、そうして始まったのだった。