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03_シャワーだっ!


『前から思ってたんだが、この街は今ひとつファンタジー感がない』


冷蔵庫に入っていた回復瓶を渡すと、彼女は礼を述べつつもどこか不満げに漏らした。


『ファンタジー感ってなんだ。僕の知らないニホン語だ』

びという奴だ。こう、水道とかも、普通に文明の利器が普及していて、異国情緒ならぬ幻想情緒が物足りない。あ、冷たくて美味しいな!この回復瓶。気の抜けたラムネみたいな味がする』


冷えるぅ、と頬に薄緑色の瓶を当てて漏らす刀花に、エクスは息を吐いた。


『よくわかんないけど、まぁこの街は結構特別だよ。ここはロクシェメリスからも近いし、世界でも最先端の技術が試験的にバンバン導入される。あくまで試験的にだけど』


魔導都市ロクシェメリスでは魔導研究の最前線だ。

魔導士なんてものは基本偏屈者だし、思弁的で理論に寄りがちだが、世知辛いことに金がなくては研究ができない。

そこで彼らも金を出してくれるパトロンが必要な訳で、それは貴族と呼ばれる由緒ある人たちに頼ることがスムーズだ。

便利ですよ、すごいですよ、楽ですよ、と貴族達にわかりやすく使いやすい魔術を売りつけることで、彼らは生計を立てている。


その結果として、この優雅都市アルミテでは数多くの先進技術や魔導器が流れてくるのだった。

例えばこの冷蔵庫は空気中の青系マナを収集して冷気に変換、常に一定量の冷風を発生させるという魔導器だ。

マナ式冷蔵庫なんかはかなり小慣れて来た技術なので、この街なら5万クラウンもあれば買える筈だ。


『数十年前の魔剣戦争時ならいざ知らず、いちおー今は平和の時代らしいからね。

 新魔術の研究とか、魔導兵器の開発ばっかりじゃやっていけないんだよ、魔導士も』


据え置かれている洗濯機を叩きながら、投げやりな口調でエクスは言った。

金、金、金、何をするにしても金がかかるのは、学校を出て1人で生活を始めてから嫌というほど知った。


『よくわからないが世知辛いなぁ。まぁでも、割と現代的な生活ができるのは悪くない』

『貴方のどこか現代的だよ』


エクスは刀花の格好を見ながら言った。

端的に言って──彼女は汗まみれであった。

薄い生地の衣装はびっちょりと肌に吸い付き、その身体のシルエットを浮かび上がらせている。

その黒く艶やかな髪もなんというか、へたっ、となってしまっており、昼間に迷宮ダンジョンで見た凛々しい姿とは大分趣が異なる。

そのスタイルが良さ、引き締まった健康的な身体は寧ろ強調されてしまっいるのだが──


『いろいろ目に毒だよ……なんでそんな汗かいてるんだ』

『78階分の階段も登らされたらこうもなろう! 何故かあのエレベーター動かなかったし』

『ああ、なるほどね……』


エクスは合点が行った。このマンションは高層建築技術の試作として立てられたものだ。

その分安全性には疑問があるし、備え付けられている新技術──昇降魔術エレベーターに至っては、魔導士がマナを適切量注ぎ込んでやらないと機能しない始末だ。

だからこそロクな蓄えの無いエクスでも手頃な賃貸料で部屋を借りることができた。


こうした不便な造りが、裏を返せば魔導士以外を寄せ付けないセキュリティにもなっているのだが、刀花はその辺を物理的にぶっちぎって来たらしい。


『シャワーを貸してあげるから、入ってきなよ』

『高層マンションにシャワー付きの個室とは……いや、便利だからありがたく使わせてもらう』


刀花は回復瓶を置きながら、少しだけ頬を紅潮させて、


『……まぁ、こうした境遇だ。私として多少のあれこれは我慢する。

 だがエクス、君は子供だ。興味はあっても覗いてはいけないぞ。いや、気持ちはわかるが、反射的に殴りつけてしまうかもしれん』

『誰が覗くもんか。汗くさいからとっとと入れって僕の気持ちを汲め!』


一応女性相手に言う言葉では無いと抑えていたが、我慢できずにエクスは言い放った。

刀花は少し複雑な表情を浮かべたが、『いや、そうだな。ありがとう。本当に何から何まで』と存外素直に礼を言った。


『じゃあ、お借りしよう。この借りは何かで必ず返すから安心してくれ』


そう言って刀花はシャワールームの方へと消えていった。

エクスは息を吐き、彼女の着替えを用意するべく衣装棚へと向かう。

無論女性ものの衣服などありはしないが、魔導士用のローブで一晩は代用してもらうほかない。


ちなみに、彼女が持って来た服に血は付着していない。

迷宮ダンジョンでは血まみれになっていたが、無秩序迷宮ランダムダンジョンは、踏破と同時に存在がまるごと消えるので、その一部である魔物の血なんかはそのまま分解される。

持って帰れるのは、冒険者バスターが専用のアイテム袋に格納し、その存在強度を意図的に維持したものだけだ。

なので彼女の衣服自体は洗えばちゃんとまた使えるようになるだろう。

洗濯ぐらいはしてやって、明日にはお別れするとしよう。


──でも、本当にありがとう、エクス。この恩は、君の善意は絶対に忘れない


「善意、か」


刀花の言葉を思い起こし、エクスはそう反芻する。

屈託のない、まっすぐな言葉だったと思う。

刀花は色々常識外の人間であるが、実際頼れた人間はエクスしかいないだろうし、その上で手を差し伸べたことに口々に礼を述べてくれた。


だが、そんな彼女にエクスは少し自嘲的な気分になる。

善意、と呼べるものがこの自分にどれほど果たしてあるか。

打算の方が多いんじゃないか、と。


──ニホン語を喋る意味不明に強い剣士。とりあえずデータは取っておきたい。


部屋に招き入れたのも、彼女が困っているからというより、【言語魔導士】としての興味が強かったことが実は大きい。

マイナー古代魔術言語を、母語のように操る彼女は、専門の魔導士としては目を惹かれる存在だ。

この工房も兼ねた自室で今夜彼女が眠る最中、オートで分析はさせてもらおうと、エクスは考えていた。


──まぁ、ギブアンドテイクではあるよ。別に向こうとしても別に損な話じゃない。


それは事実だ。

事実だが、まっすぐな謝辞を述べられると、少しだけ戸惑いに近い想いを覚える。

昼間蹴り飛ばした悪徳業者と、方向性こそ違えど、彼女の無知さを利用している点じゃあ同じじゃないか、と。


「いいんだよ、僕は別に善い奴じゃあないんだ。今のご時世、誰もが誰かを利用してるんだ。あの学院で思い知っただろう。だから──」


と、言いかけてエクスはふと言葉を区切った。

ロクシェメリスの魔導学院、そこにいた連中は今思い返しても気にくわない。

根本的に噛み合っていなかったのだろう。

連中が気にする事柄だったり分野だったりが、エクスにはまったくピンと来なかった。

まぁ、家柄なんてもののない“図書館育ち”のエクスは、そもそもからして嫌われていた気もするが。


そんな中にあって、いたのだ。

エクスにも1人だけ友達というか、根気よく付き合ってくれようとした奴が。

ロクシェメリスの魔導士には、自分の育ての親たる“図書館の女王”含め善い奴はいなかったように思うが、あえて例外を上げるのならソイツだけは──


『なぁ、エクス君! ところで君は何歳なんだい?』


と、そこで部屋の向こうから声がした。

刀花だ。

先ほどから流れる水しぶきの中に混じって気持ち良さそうな声がしていたが、シャワーを浴びて機嫌がよくなったのかこちらに声をかけてきた。


『何、突然。気になるの?』

『いや正直な、私は君の元に行けば、親御さんがいるんだろうと思っていたんだ。

 だけどどうにも君は一人暮らしのようで、ちょっと気になって……』

『十五だけど』

『へっ!?』


そこで刀花は妙な声を上げた。


『十五歳。まぁ確かに子供だよ。でも1人で生きているし、そもそも僕には親なんて──』

『十五歳だと!? え!?』


ドタドタ、と何やら騒がしい音がした。

何事だ、と困惑しているうちに──彼女はやってきた。


ほんのりと上気した白い肌が見えた。

髪を下ろした刀花は水を滴らせながら、その胸にローブを巻いただけの状態で、こちらに飛び出て来た。


『同い年!? 嘘! 正気か?』

『嘘は言ってないけど……』

『いや待て待て、ここの一年があちらの一年と同義とは限らない! あれ? ここの一年って何日なのか!?』

『え……365と1/4日』

『同じぃ!? 何故なんでそんなこと!? いや、待って。今はそんなことは……』


何かを葛藤するように刀花は頭を抑えている。

だが、エクスとしては正直、刀花が何を考えているのか全くわからなかった。

というかそれどころではない。軽く拭いただけの半裸の少女が迫って来ている訳で、エクスは言葉に窮していた。


──え、っていうかマジで何? これ、僕が悪いの?


『一人暮らしの男に、一緒に暮らそうとおしかけるって……え? ちょっと、そんな恥ずかしい』


──貴方の羞恥心の基準がまったくわからない。


頰を紅潮させて困惑している。

まぁ確かにエクスは小柄で、刀花は長身なので、ぱっと見では違いがあるように思えるが、今はそこはどうでもいいのではないか。

そう理屈で答えようとするのだが、目の前に迫る生暖かい存在感に、エクス自身は何時ものように言葉が出ない。


と、その時である。


エクスは後から振り返って、今日この日、この夜のことを一生忘れないだろうと思う出来事が起こった。


「ろ、ロードブリッジ君!」


ドアの向こうから、ノックと共に聞き覚えのある声がした。

それはよく通る綺麗な声であったが、言葉尻は緊張と共に震えているようだった。

もちろんそれは共通語で、刀花の話しているニホン語などではなくて──


「連れ戻しに来たんだから……いや、来たんです!

 わ、私のこと、覚えてないかもしれないんですけど、その──」


──忘れるもんか。他はともかく、貴方のことは忘れないよ。


エクスは本当に彼女のことを忘れてはいなかった。

事実“縁ある人間しか通れない扉”が開いている。

それもまたこの街に導入された先進魔術で、敵意センサーと共に施された試作セキュリティである。

そして試作ゆえに、この扉は大きな欠陥を抱えていると、その時エクスは痛感したのだった。


「メリィ・ビー! む、迎えに来ましたんだから!」


“図書館の女王”の下で育てられた時、幼い時分から縁のある少女。

唯一忘れることができなかった少女と、エクスはそうして再会した。

隣に訳のわからない半裸の剣士を添えながら。



……エクスの長い夜が始まった。




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