三日月剣術抄 命の道
頑張って書きます
男は若かった 若者だった やせてはいるが 骨格はがっしりとして 手は大きい 普段は表情少なく前方をぼっと眺めている感じだ きょろきょろと眼球が動かないので,もの静かに見える 立ち居振る舞いに無駄のないのは武術修行のせいだろう すらりとした立ち姿は 百姓労働をしたことのない侍だからだ しかし 特徴のあるのは目つきだけで どことなく柔和でやさしい人好きのする顔つきの若者で性格は快活そうだ 時々思い出し笑いをしたように口元がうっすらとほほえんで見える 明るい性格の人間だと他人はつきあいやすいものだ 男の姿は侍のなりだが着ているものは貧しく田舎風で風采があがらない 下働きの中間などという 大きな屋敷に雑用奉公にあがっているこういう若者は京には珍しくない
徳川将軍が江戸に幕府を開いて長い歳月がたっているが公家は京から動こうとしない 西日本の経済は大阪に集中して繁栄を重ねている 京は宗教や文化 学問 技術の総本山のような権威を持って人々の心を支配している この侍姿の彼は田舎者と呼ばれたり 出稼ぎと人の呼ぶ地方から一年前に京に来た 田舎から出てきて 初めて見る京の賑わい 人の多さに彼もやはり驚いたものだった 大勢の人間が狭い土地に住んでお互いに見知らぬ同士が瞬時に自他の身分を察知しあいそしてなじもうとする 田舎の人間にはこういう心の動きはない
それにしても、、、男は一人ごとを言った 苦笑いが出ているのが自分でもわかった 京の人間のプライドの高さは鼻持ちならない 彼が京に来て半年が過ぎようとしていた 奉公先は公家の屋敷だった あてがわれた粗末な長屋の畳のない一間で寝起きし 朝から晩まで 雑用に追われる 上役の年寄の頭に使われる二人の小物の彼は一人であった 京都の町衆ならいやがってしないような 汚れた仕事でも 頭はねぎらいの言葉もなしに命令した 仕事自体は何の苦もない 肉体は楽なものだった 彼が若く 力がみなぎっていた しんどい しんどいという疲れが出たというこのあたりの言葉は彼には無縁だった
ーそれにしても、、、ー 彼は又心の中でつぶやいた
頭の年寄から 飯炊きの女中まで どうして こう自分を見下すような態度をとるのだろう 彼は越後の国で生まれた 昔から越前 加賀 越中 越後の北陸道筋の人々が京大阪に奉公に行くことは多かった 機織り 酒の杜氏 土方人足 畑下働き 物売りなど厳しい労働と旅とをからめた仕事を昔から彼らが受け持ってきたのだ 仕事といわれるもので疲れることはないが日々どことなく 心に楽しめない泥のようなものが彼の中でたまっていく 町衆から見下すような言い方や田舎者としての軽い扱いを受けることが多いのには うんざりしてしまう 一生懸命 京風の言葉や習慣を学んで彼らのふるまいを真似して それとなくなじんでしまう人間もいるだろうが 彼はそんなことをしたいとは思わなかった
なんとなく 退屈で 不愉快で楽しめない かといって ここを去って越後に帰るのも逃げ出したようで
いやだ どこかへ行ってしまおうか そんな想像もするにはするが 旅の資金はないのでどこへも行けない ヒマになるとついそんなことが思いうかんで仕方がないのだ それもまあ 仕方のないことだ 冒険に対するあこがれが若者の心にはいつもあるものでそれが彼をいつも刺激した
今そんな彼の目の前に 小判が二枚ある 山吹色 金色のずっしりと重たいものが天から降ってきたように 彼の部屋の床板の上に置いてある 最初彼はそれを中々手に取ろうとしなかった 小判だ 大金だ 二枚もあれば つましくしていれば一年は暮らせるだろう 店に入ってこれを見せれば 自分の姿を見てお高くとまっていた京の商売人もたちまち表情が変わるはずだ 今日その男はやってきた 得体のしれない男は黙ってこれを床に置いた 男は最初にあんたの剣術の腕を貸して欲しいと彼は切り出した そして笑った さわやかな笑顔だったので その時 彼はついうなづいてしまったような気がした と同時になんとなく気はゆるせないとも思った 商人風の髪型で垢ぬけた着物で愛想も悪くないがその目を見れば 只者ではなさそうな感じ よく見ると冷たい光の目だった 物事の先を読んで 決して狙った獲物は逃さない ここまで度胸がすわってさらりとものが言える 武術も相当の使い手かもしれない
町衆の喧嘩の助っ人かなと思ったが それにしては金額が大きすぎるのではないか、、、男は続けて行った
ーこれは手付け金だ 勝負が終わったらもう二十両払うー
驚いた彼は黙って男の顔を眺めた 男は無表情に話を続けた
ー一体一の勝負だ 立会人もいる 正々堂々の剣の立ち合いだ 相手の腕はたいしたことはないー
それだけ言って 彼は笑った 悪い話ではないのだと言いたげだった
ーあんたの腕なら 楽勝や、、、。-
彼は ここでやっとあることを思い出した 十日ほど前のことだった その日は屋敷の頭の供で京の町を大きな荷物を持って歩き回っていた 配り物の包みが沢山あって それをいくつもの風呂敷に包んで抱える 二人で通りを歩き狭い小路をいくつも抜けては あちこちの家に回っては一軒づつ 屋敷からの包みを配って歩く 頭の老人が家の戸口で口上をのべてそれで終わりなのだが世間話が続くときもある こういう時は老人の挨拶の間は少し離れて控えていればよい いつものように彼は老人が何を言っているのか気に全く留めずに退屈そうな顔で彼は町家の建て込んだ狭い小路に立って 空を見上げていた
不意に 彼らのいる小路の向こうから 中年の男が突進してくるのが見えた 両脛があらわに見えるほど 地面を蹴って走ってくる 浪人風で大男だった 同時に町家の二階の屋根に何かがスルスル動くのが見えた 猫ではない 人だ 影のようにそれは疾走する男に屋根から追いすがろうとしている 小路の向こうから走ってくる男は屋根の男から逃げているのだ 彼はそう思った 浪人はもう目の前に来ていた 血相変えて突進してくる このまま行けば老人と激突だ
戸口で雑談をしている老人の横に彼はすべるように出て二人の間に入った 老人はまだ男に気がついていない 夕暮れだった かばわねばならないだろう 日にちの経った長ネギのような干からびてやせた老人がこの勢いで体当たりをくらったらひとたまりもない 浪人風は走りをゆるめないが彼が脇に抱えた風呂敷包が小路をふさぐよう見えたようだった 目を怒らせている 突進してきた男が彼の目の前で足を止めたと同時に どけ どかぬかと言いながら 刀に手をかけようとしている ひどく興奮している かっと開いた目から恐怖の表情が見て取れた 自分たちを待ち伏せと勘違いしてしまったようだ 彼が大きな風呂敷が狭い路地をふさいでいるのが 浪人風の恐怖心をどうにもならないところまで刺激したかもしれない 違う 誤解だ 彼は心の中でつぶやいたがそれでも口よりは手が速い それが侍で 侍と侍が不意に交わるとささいなことが面倒なことになることが多い
ーおのれっ!-
ぶつかりそうな間合いから浪人風は一声叫ぶと刀の柄に手をかけた そして そこからは普通の人間には見てとることのできない動きの世界が始まった 彼は浪人にあわせてすいと無言で一足とびで前に出て風呂敷包みをそのまま 男にかぶせるようにして男の正面をふさいだ そしてぴたりと浪人風の抜きかけている刀の柄頭を手のひらで押さえた 一瞬互いの動きが止まった 浪人の右手がなおも刀をぬこうとするのを彼は今度は両手でくるむように包むとそのまま自分の股にはさむようにして刀を手前に引き出した 男の指をほどいたと同時に 一歩退いて彼は刀を奪っている 凍り付く浪人に声はなかった 一瞬で立場が逆転してしまった 自分の目の前に刀を持った新たな敵が出現したのだ 浪人は驚愕の表情でそれを見るといきなりくるりと振り返り 前来た通りに向かって一目散に走り去っていった ここまで逃げ足は速いと立派な兵法だろう あっという間に角を曲がって消えていった 抜き身の刀が一振り彼の手の中に残った 何があったのか 二人のもつれあいを老人は驚いた顔をして見ていたはずだが どこまで理解したのか老人は無言だった そのうち じんわりと不可解な恐怖がわいてきたようだった 自分から落ちている道端の風呂敷包みを拾った そして 薄気味悪そうに彼を見て今日はもう帰ろうと小声で言った
ー足の達者な男だったな あれは中々なものだ。-
彼がそういうと謎の訪問客はくっくと笑った
ーそれにしても よく素手で奴の刀を取り上げたものだ いや たまげたー
ーなあに 刀を抜くときは 誰もが片手になるものだ それを両手でおさえれば 巻き取るのはわけはない それに刃物は鞘にまだ入っている 危ないことはないのだー
彼はそう説明した 体が勝手に動いたことでも修行の成果が出ているわけで 純粋な喜びが味わえるのが彼はうれしかった あの時 浪人との間合いは短かった こちらは短刀だけで 敵に刀を抜かれると厄介になるととっさに思った 後は体が自然に勝機を求めた 無心であったが記憶は全く途切れていない、冷静に対応できた 素手で刀にたちむかう技は古来沢山ある、
ーということは、、、-彼は思った
目の前の男の正体はあの時屋根にいた男だろう 一部始終を上から見られたわけだ まだ三十歳前だろう どんな男だろう こうなるとこちらも相手に興味が沸いてくる 忍者か そんなたぐいの身軽な仕事人だろうか ニコニコ笑っているが油断は禁物か、、、
ーいや あんたはたいした度胸や 野郎はな 真剣勝負の約束をしておいて逃げ出したのだ 金を受け取っておいてな 怖気づいて消えようとしたのだー
足の達者な浪人は金で真剣勝負をしようとして 怖くなって逃げたらしい
ー奴は始末した まあ 裏切りものは死んでもらうしかない それは前もって何度も念押しして言ってあったんだがなー
さらりと言うと 男は こないだの刀のものと空の鞘を 彼の足元の床にからりと投げ出した どこにしまっておいたのか 体のどこかにひそませていたらしい これも手品めいた余興のつもりか 変わったことをやってみせる奴だ
ー俺の名は隠岐丸という それから俺たちは隠し名で呼び合うようになっているので 本名は誰に聞かれても言わんでいい 勝負のことはあくまで内密のことになっている 他人にこのことを話せば命はない 一度自分が受けた勝負を拒んだら命はない 逃げた奴は必ず消す とにかく約束は違えたら 必ず死んでもらうことになる 仕事は簡単 真剣で試合をするということだ 立ち合いは一対一で正々堂々の勝負は保証する 勝っても負けても金は払われる 斬られれば痛いが死ぬとは限らんしな 無傷で勝てば 大金を抱えて遊んで暮らせる おぬしの腕で貧乏公家の下男なんかすることはなかろうー
勝負や、、、隠岐丸はそういってニヤリと笑った 目が冷たい光を放っている 相当人を殺めた人間のような気がしてきた さてと言ってすっと立ち上がるとそれじゃあ明後日 迎えにくるから 待っていろと言った そして去った
真剣か、、、
一人になって金を見ながら彼は考えた 剣の道 子供の頃から修行にあけくれてきた 筋がいいとか できるとか そんなほめ言葉がとびかったの最初の一二年だった 道場で大人たちが彼の動きを驚いて注視するようになった 近在から噂を聞いて見に来るようになった 小天狗 牛若丸 そんな呼び名がささやかれるのを彼は背中で得意になって聞いていた 動きが速い 見えない すべるようだ 蛇のようだ 人々は勝手に色々な表現をした 越後の小藩で彼は子供の時から好奇の目に囲まれて育ってきた 年も十五も過ぎると大人に準じた体格と筋肉に包まれるようになる そのころになると 新潟の港町に父親の役目の補佐で過ごすことが多くなった そこで 何度も真剣をやった いわゆる 決闘 果し合いではない 斬りあいだ 港で町人 やくざ者の喧嘩がこじれると侍が出てくることがある 北前船のつく新潟の港はにぎわいを極めていた 商人 船乗り 旅人がもみあうように場所をとりあう どこにいっても声をからして人が叫んでいる 忙しいを通り越して戦場のような町中に各藩の出先屋敷番所がそこここにある 各藩の御用で働く使用人や出入り商人やそのあたりに暮らす町人の中で自然と藩の勢力に区域を分けたなわばりのようなものができる 大勢が集まって暮らす町にはつまらぬことやいざこざが人々の生活を刺激する 喧嘩 口論が人々の娯楽であり 気性の荒い漁師や命知らずに船乗り 地回りのやくざ者 博打と喧嘩 刃物を振り回す者もいる 町に滞在する力のありあまる若い侍が賑やかな港町のいたずら者になることもあった 真剣を抜いて斬りあいは長年の修行でそれなりの自信があるものであるなら やってみたくなるものだ 興奮と刺激を求めて若者は血をたぎらせる 城下でやれば不祥事になることでもここでは多めに見られる たしかに今まで何度も彼はそんな危ない道を楽しんできた あっけないほど簡単に彼は挑んでくる相手を料理することができた 刀の切れ味は鋭い それを十全に使えるものにとって力の入れ具合でいくらでも相手の姿を変えることができるものだ 彼はそれを楽しんだ 人が恐怖におののき 血迷い そして自暴自棄になってみじめに負けの中に沈んでいくのを 冷静に見ていた 町の喧嘩で命までとる必要などない うめきながら逃げていく相手に彼は怒りや敵意を覚えなかった むしろ面白かったと礼をいいたいほどだった 武者ぶるいという体の震えや手のこわばり よけいな興奮もない どうも自分の情動が普通人でないようだと思いつつ彼はそれを気にしなかった 白刃を前にして恐れがないからといっても自分は悪鬼ではないだろう なんとなく刀を握っての斬りあいが楽しいだけだ 駆け引きや進退に没頭すると雑念が消えるし心が無になっていく 斬りあいで相手の前に立つと互いの剣の道筋が何本か見える その斬り筋の向こうに勝利がある どれかを選ぶ場合もあったし どれをたどっても勝ちをとれる場合もあった 剣は面白い 心からそう思っている彼に真剣勝負を避ける理由はなかった
ー奉公はやめだ - 彼の心はあっさりと決まった
二日後 彼は大きな妓楼の中庭にいた 大勢の見物が渡り廊下にひしめいている 一階の四方の廊下には 身なりのよい武士の席がしつらえてあり 二階の四方の障子は外されて町人がずらりと並んで庭を見下ろしている 夕刻には酒食が行きわたり 音曲が賑やかにさっきまで 響きわたっていた 物々しい 供を連れた殿様風の一行が席につくと ざわめきがおさまった 総勢百人近い見物に見えた なるほど こういうことだったのか 彼は納得した 隠岐丸は彼の衣服を用意していた こざっぱりとしたものだった 彼は言われるままに着替えたが 袴はつけなかった 庭は隅に春日灯篭があるだけで すべて片づけられ 白い玉砂利がしかれている びっしりと屋根に並んだ提灯に火が入り昼のような明るさだった
そろそろ 出番だ 彼が控えの間で待っていると隠岐丸が迎えに来た 暗い灯の廊下を曲がって 急に試合場に入ると大きなどよめきが聞こえた 先の試合か 座敷の隅から立ってみると座っている大勢の後ろ頭の向こうに試合の結末が見えた
庭には白刃をかざした男とその足元にうずくまる男がいた 切り上げたのか 勝った男の刀の切っ先は天を向いている 長い刀身が灯に映えて光って美しかった 納刀を忘れたかのようにそのまま刀を振りかざしていると大勢が喝采を送った 勝者の得意げな振る舞いに酔ったのか足ふみ 拍手が二階から聞こえる 一階の賓客は座布団に端座したままで 大人しいが興奮しているのは見て取れた うずくまった方はそのまま倒れて手足を震わせている 男の血が肩のあたりから湧き水のように玉砂利を赤く染めはじめた 小者が数人で戸板に乗せて運び出すと 血に汚れた砂利を入れ替えた 手慣れた速さだった
隠岐丸が先に庭に降りて彼に目配せした 自分の履物が玉砂利の上にあった
対角線の向こうに 相手がいた 審判役はいない 勝手にやれということか 相手が抜刀しているので 彼も草履をはくとすぐに刀の鞘を払った あたりはしんと静まった まだ 相手は遠い ここであれこれ考えてもどこでどうなるものでもないと思いながら 彼は切っ先を下段に落としたまま敵を見た
いきなり寄ってくることもなく 相手は正眼に構えて立っていた 動かない そして固い 両腕から血管が浮きそうなほど強く握りしめているのが見て取れた それから少しづつにじり寄ってきているが 腰が浮ついている 緊張のあまり我を忘れているのだろうか それとも これはワナで 何か奇手を用意しているのか
彼は ずいと近づいた 下段の構えのままだ 刀は垂れ下がって切っ先は白い玉砂利を舐めそうだ 剣先が少し遊ぶように横に動いた 正中線が開いているが これも八双という構えの一つ 誘いの構えだ 彼はもう一足前に出た 八双の構えで中心を空けて打ち込みたくなる間合いに入ったように見せたが実はここからでは相手の剣は届かない 当然こちらも届かないのだがギリギリの一線で必ず反応は見えるはずだ たくみに誘ったつもりだが 敵は動かない 堅固な構えを作ったままこちらをにらんでいる
ー勝ったー
彼の頭の中のどこからか はっきりとした声が聞こえてきた 相手は緊張のあまり動きが鈍くなっているのだ 心配ない 彼は構えを正眼に直すとそのまま 右足前ですり込んだ 斬りあいの間合いに入った瞬間に左足前にふわり体勢を差し替えた ここで相手の剣気がほとぼしった 突いてくるか 構えの変化がゆっくりなので 相手には自分の中段の胸のあたりが空いたようにも見えたはずだ こちらの剣先の行方を確かめる余裕は彼は与えなかった 刀の切っ先はもう互いに当たりそうなところに来ている 彼はそれでも冷静に十分に相手の全身を見ていた 相手が正眼からそのまままっすぐにすり込んで突いてきた 読みは当たった この突きの線はかわせるのだ ほとんど 触れるか触れないかあたりから 彼の刀身が柔らかさで相手の剣先を横に制していった 弧を描くように綺麗に右側に刀がはじかれていき 彼の刀身は位置を変えていない そしてそのまま彼は相手のがら空きになった攻防の斬り筋に刀を這わせて右腕を切り落とした
とっ、、、ー 軽い気合で刃を当てた 体を乗せずに手の内を軽くしめるだけ 刃はそれなり深く入るだろうが この程度なら致命傷にはならないだろう 相手の腕の骨まで断ち切ることはしなかった
んんんん、、、、絞り出すような 甲高い呻き声が響き渡った
相手は刀を取り落として膝をついて右手をおさえている 切り離してはいない あふれる血を体にかぶりながら 左の手で右手を抱えて必死で傷を抑えようといる 深手ではあるが すぐに血止めをすれば 手は動くようになるだろう 傷は骨までいっているはずだ 回復しても 元のようには使えまい
左側に彼は体転したまま 相手のこめかみに 剣をつきつけて構えを保ったが 相手の戦意がないのを見て取って 大きく下がって元の位置に戻り刀についた血のりを拭いて納刀した 場内は静まり返っている 一太刀で勝負を決めたのだが 見物の方ではもの足りなかったのか 傷を負った方は 結局立てずに気を失って倒れた 医者が介抱している あたりから不意に怒号のような歓声と拍手が沸き起こった 終わったのか 自分の出番は、、、大勢の目が自分に一心に集まっているのを ようやく彼は感じはじめた お互い礼もせずに名乗ることもなく この庭におりて勝ち負けを争った 何の栄誉もない勝利だったが とにかく無傷で彼が勝ち 相手は残る一生を怪我を抱えて生きる身となった 大金をかけた勝負なら仕方あるまい 始めから終わりまで 興奮はなかった 起こること 勝ち負けの結果として自分が負わねばならないことなど 頭の中ではすでに計算ずみのつもりだった
その夜 彼は誘われるままにこの妓楼に泊った そしてこの大仕掛けな見世物の元締めだという男と酒を酌み交わした 男は座敷に入ると上座に座り自分を黒笠だと名乗った 膳が運ばれると上機嫌な様子でまあ飲めと彼に酒をついだ 傍らには隠岐丸がいる 彼の前にも膳があるが 酒は飲まない様子だった
ーおぬし なかなかやるではないか 水際だった手練だったなあ でもなあ なんで面を打たなかったんやー
杯を飲み干すと彼はその質問には黙っていた たしかに相手の踏み込みが大きかったので 小手よりは面が打ちやすかった しかし面に刃物を入れると深手の恐れがあった 殺すことはない これは武芸の試合なのだから 彼の心を読み透かすように黒笠は皮肉な顔で笑った
ー真剣だからな 面をうてば血も吹き出るし 見物もよろこぶ どっさり祝儀も出るぞー
黒笠は薄いくちびるをしならせて 笑うと杯を干した 中年 中肉中背 これといって 目立つところのない侍姿なのだが 目つきが厳しく 口が少しゆがんでいる くぐもった声でぼそぼそとしゃべるが 相手の腹に響くような声に力があった 顔には複雑な表情がころころと浮かんで消える 一種異様さがあった 性格はとても読めそうもない男だった
ーこの男は何かしらの悪に染まっているー 彼はそうなんとなく感じた 悪に染まりそしてそれを自分でかみしめて生きているようなふてぶてしさが彼の内面からにじんでくる
ーまあ 狙いはたしかだったな あんだけ 固く構えてしまっていればな おぬしの誘いに乗るのも無理ないわ 下段の刀を正眼で相手の額につけてから 左足前に 体を差し替える この時に ほんの少し 剣を先に左に振ると一瞬中段から上ががら空きになったように見える でもそこから突きこんでも こちらの構えは先に直ってしまっているので 突きの線はない 死に太刀になった剣をはじくのは楽なもんだからなー
黒笠は試合での彼の仕掛けの一部始終を読み切っていた 隠岐丸はそこまで見えなかったようで 顔に感嘆の色が浮かんでいる
ー簡単素朴な技ほど実戦には使えるものだ でもまあ 真剣の勝負で平然とこんな見え透いた手で相手を穴にはめるとは たいした度胸やのうー
黒笠の目にどことなく感嘆の光が浮かんだようだったがすぐにまた額にしわがよって表情をいかめしくさせる
ーおぬし 一体何者だー
そういってからまた にたりと笑った 隠岐丸の見つけてきた 金の卵を産む雌鶏に間違いない 彼はつがれるままに酒を飲んだ 上等の酒だ 黑笠は彼の豪快な飲みっぷりを見ると 酒が好きか 酒ならいくらでもあるぞ 女も呼べ たらふく飲んで好きなだけ遊んで 又 勝負せいやといって笑った
その晩 黒笠は帰っていった 朝 彼の目がさめると一緒に泊った隠岐丸が隣の部屋からやってきた
ーああ あんた よう飲んだな たまげたぞー
昨晩の酒の味は格別だった 大方杜氏が故郷が北陸からの出稼ぎなのだろう 飲んでも飲んでも腹におさまり 気持ちが落ち着いた
ーあんたの名前は黒笠が 綺羅にしようと言っていた キラ。綺羅侍 変わった名前だがな 刀の光が動きの中で絹のようにきらめくので それにしたということだ 今日から綺羅と呼ばしてもらうー
ー綺羅か わかったー どうぜ本名は名乗れない 金で人を斬って見世物にしているのだ ここまで来たのだ 名前などなんでもいい
ー試合は毎月最後の辰の日に開催ということになっている 相手は決まり次第 俺が教えるから心配することはない 一回の立ち合いで報酬は二十両だ 祝儀が出れば別に渡すー
ー月一度もあるのか こんな 大がかりな見世物が よく人が集まるものだなあー
ーなあに この世の中 金と暇を持て余しているものは山ほどいるものだ 血を見て興奮したいものもいれば 刀の斬りあいを見たことのない武家も来る 賭けが楽しみで来るのもいれば 大盛況といった塩梅だ 黒笠は 目端が利くし 顔も広い 口の堅い人間で回りを固めているから こんな大がかりなことをしていても秘密は守られているのだー
黒笠は大阪奉行の同心与力だそうで 俺はその密偵だったのだと隠岐丸は言った
ー今は日がな 試合に使えそうな腕のたつ侍を探し回っている 中々おらんでな これが、、、-
おぬしは出ないのかと彼が尋ねると 隠岐丸はとんでもないといって笑った
ーあんなところで 平然と刀を抜いて斬りあいができる者など そうはいるものではないぞ たいていは金につられて やってきたはいいものの 本番ですくみあがって 腰がたたなくなってしまうものだ みっともなく 刀を振り回して 互いにぐるぐる逃げ回ってな そんな試合になったら 見物は黙っていない 黒笠からは大目玉くらうことになる まあ 誰しも命は惜しいからな どれほど道場で修行して技ができても 白刃の前にたって落ち着いていられる人間などそうはいないのだー
ー俺の前に出ていた男はどうだ 中々出来ていたようだったが、、、-
ーあいつか 奴は鳴神と言う名でな 常連だ 阿波から出てきた男だ 剣の腕で仕官をしようと色々と奔走していたのだが うまくいかずに 賭け試合にのめりこんでいった男だ 大阪新刀にほれ込んで 試合で稼いだ金をつぎ込んでで助広をこないだ一振り買った それでも足りずに色々と刀屋を覗き込んでいるようだー
なるほど浪人か、、、ただ剣の腕が立つというだけでどこかの殿様に召し抱えられるなどということがないことは彼もよくわかっていることだった 天下泰平の世の中に一体武術の技量がどれほど求められているというのか
ーまあ 鳴神は 太刀さばきも大げさでな 豪刀でばっさりやるのが得意なわけでな 弱った相手にも容赦はしない 凄惨な結末を待っている見物をいつも酔わせる 黒笠にとっては得難い存在なわけだー
そんな奴の相手を探すのは容易ではないのだ 奴は血に飢えている 世の中に対する怒りを斬りあいにぶつけているのだ 隠岐丸は苦笑いした
ー高い見物料を取っているのだ 料理の仕方が派手で命まで奪えば人は納得する とにかく恰好のつくような斬りあいをしてもらわんとな ー
隠岐丸はそういって彼の顔をじっと見た なるほど 二十両という金はたしかに大金ではあるが それを必要としている相手には当然相当の腕と度胸と覚悟とが要求されるわけだ それにしても殺してしまうほどのことになるならまともに考えれば そんな斬りあいをして一体金になんの価値があるというのか
ー俺のあとに出たにあと一人出ただろうー 試合のあとに控えの間に戻るように言われたが 彼は廊下で 背の高いやせた 白髪の男とすれ違っていた
ーああ 浅伝か、、、あのじいさんは居合だ 腕は立つのだが なんせ 年よりでな 試合に花がない 太刀筋も速くて見えないし すれ違いざまに抜いて終わりだ まあ 剣の玄人なら面白みもわかるのだろうが 町人の客には受けは今一つといったところだー
居合か、、、居合なら正面からはその太刀筋は見えない いや横で見ていても素人には何がおこったのか 見て取るのはむつかしいだろう
ーまあ 剛腕の鳴神に 技の浅伝 華麗な太刀さばきの綺羅の三枚があれば当分 客はひきもきらんだろうよ 問題はそれに見合うような相手を見つけることだがな、、、-
十や二十両で命まで捨てるという侍はそうおらんでな、、、隠岐丸は彼の顔をじっと見て笑った
ここに長逗留していたら二十両など今月のうちになくなるぞと言われ 彼は運ばれた朝食をとって妓楼を出た 払いは黒笠がしてくれたらしい 隠岐丸の紹介で花街のはずれの小料理屋の二階に泊ることにした ここなら酒には不自由しないだろう 隠岐丸は言った
ー酒か 酒は上物がいいー 郷里にいるときは 夕暮れとともに 新潟の港町の立ち寄り先で 酒が出た
それから 藩の仲間や出入りの商人 顔見知りの町人とにぎやかに あちこちと飲み歩いたものだ 酒を飲むと心がしんとする 落ち着いて一人呑む酒が彼は好きだった にぎやかな酒も好きだった 懐には大金があるのだ しばらく 酒と肴で一日を過ごそうと彼は心に決めていた
二か月後
その日隠岐丸は 侍の姿で今日の街を歩いていた こざっぱりとしたなりだった 刀の二本差しは重たいが腰が据わる 上物の羽織の袖が手首に当たる感触を楽しみながら 彼はゆっくり目に歩を進めていた 今日は剣術の町道場を一渡り見て歩いた 侍の子弟でも 剣術修行をしないものもいる 武術に打ち込むことでなにがしか出世になるという時代ではないからだ だから 町人相手に技を教える道場も多い 道場の窓の下で 木刀竹刀の打ち合わせる音や歩幅の様子を聞くだけで彼は中で稽古をしている連中の腕前をおおよそ知ることができた できる奴は多くはない 道場の師範代や古株の中から知り合いを作っておいて 情報を仕入れる 真剣試合に使えそうな剣士をどこかで見つけてこなければいけない 少し上等な身なりでいかにも剣客に興味があるという顔で道場の出入りの誰彼に近づいて腕の立つ男や金に困っている男 冒険を求めている男を探して歩いた 大阪奉行の密偵だったはずのそれが今の彼のほとんど全部の仕事だった 楽とか面白いとかいうのなら 全く気楽で遊んでいるような毎日を隠岐丸は過ごしていた
ーそれも悪くないだろう。ー
町を歩けば通りには大勢の町人が働いている。声をからして物を売るもの。 小さな体が隠れるほど物をかついで運ぶもの。商売の家には主人がいて番頭がいて小僧がいて女どもがせわしなく店の内外を出入りしている。誰もが自分の役割を演じてその中でその日を送っている。そして夕暮れになれば仕事をやめて狭い家の中でまた自分の家族と過ごしその中で又自分の役割を演じて眠る。一生はその繰り返しだ。誰もそのことに誰も疑問を持つものはいない。不満があってもそこからはみ出してしまえば生きる道はない いそがしそうなふりをして自分が役にたつ存在であることをいつも気にしながら毎日を送るしかないのだ そこから飛び出してしまえば どこにも彼らの生きる道はない しかし一生懸命そんな生活にしがみついたところで それがそれほど楽しい暮らしだろうか そうではないだろう
隠岐丸は今までそんな普通の人の生活を送ったことがなかった 彼は父母を知らない 物心がついたときには人の家にいた 親方とか頭とか言われるような人に連れられて あちこちと旅をする 子供が欲しい家に売られるのだ 商売で子供を必要とする稼業もあった 物売り 盗み 芸人 元気で利発な子供はそれなりに価値があるものだ 彼は仲間の子供たちの誰よりも動きが機敏だった 大人の顔色を読むのもうまかった 役に立つ子供は重宝されるものだ 彼の育ての親方は彼に特殊な技術を仕込んだ 世の中の裏では色々と面倒を解決する商売があるものだ 彼は必要とあれば人の家屋敷に忍び込む 殺しもする 下手人が誰ともわからないような仕掛けを親方は考えて彼に実行させた 親方は金ですべての仕事を請け負っていた あらゆる顧客の依頼をあとくされなく処理する 決して秘密は洩らさない 隠岐丸は長く彼の下で働いた 彼はあらゆる業種の人々の生活に通じていた 必要とあらばその世界にもぐりこみ情報を集める 若いのに何人も手下を使った 金と腕 緻密な作戦 巧妙な話術で協力者を見つけて彼を喜ばせて目的を達成する もともと彼には才能があった むつかしい仕事ではなかった 裏の稼業の元締めの親方があっけなく死んでしまったが彼は二代目をつぐことはしなかった 彼にはすでにそれなりの顧客ができていて もっと楽に稼げる道が見える気がしていたからだ
大阪奉行の黒笠の密偵になったのも好奇心がはじまりだった 御用の筋であるということで豪商や寺社 特殊な人間の集まるところに彼は出入りした 裏の世界を知っているものが表の世界から隠された人々の秘密に入り込んだ 人の生活のあらゆる暗部 恥部 欲のありかと恐怖の存在を彼は冷静に見つめていた
幸せというものは何なのか 彼にはよくわからない 元々肉親のない彼には人の情愛というもののありかは わかりようがなかった 人は利用しあって生きている だが利用価値の低い人間はつらい肉体を酷使した仕事でせせこましい毎日を送らねばならない すべては金のためだ 金があればそういう暮らしはしないのではないか もっとどこかで楽しく遊んで日々を送るのではないか 誰もそうするはずだ 隠岐丸の頭の中でこの信念が子供の頃からゆらいだことは一度もなかった 剣技を見せるために命を張って斬りあいをしている連中もいる それも金のためだ
ー俺ならしない もっといい生き方を俺はできるから、、、 ところがどうだ、、、あいつは、、、ー
彼は綺羅のことを考えていた あれから二度 綺羅は真剣をやった どれも一太刀で相手に勝っている 致命傷は与えていない まるで魚をおろすように人を斬る 恐れというものがないのか 刀を抜いた時から綺羅は何かに魅入られたように人が変わってしまう 彼は勝ちを求めるが 無理はしない 太刀筋とそれにともなう身ごなしの美しさは満座の客をうならせてしまう
ーああいうのが生まれついての剣の使い手というのだろうな、、、-
普段の彼は全くさわやかな若者だ 口数は少ないがニコニコとしていて 夜は酒を飲んでいる この頃は昼間は近くの道場で頼まれて剣を教えているらしい 小さな町道場で子供や老人も来る 今では界隈の人気者になってしまっている 誰にでもやさしいからだ 彼の周りには人や生き物が自然によってくるようだ 彼自身は物静かなのだが 彼の周りはなんだかいつもにぎやかだ 隠岐丸自身も最初は田舎出の彼の身の回りの心配をしたが今は世話焼きが何人もできて 彼は何の不自由もなくたんたんと毎日暮らしている
ーなんで ああ ほがらかに生きているのだ。ー
心の中にいくつもの秘密の部屋があり 沢山の掟や契約にうづもれて生きて来た隠岐丸にとって綺羅のような男は初めてみる侍だった 大方の侍の持つ鬱屈した心の動きが綺羅にはなかった
ーそれに比べて 黒笠はどうだ、、、ー
あの男、、、この大がかりな人斬り見世物の舞台設定から役者作り あらゆる手配を彼は頭の中で組み立てて実行していった その間 大阪奉行の役人与力として勤めも果てしている 頭の切れて 腹が太い でもそれだけではない 黒笠には生まれついての暗い悪へのあこがれがあるのではないか 彼はいつもそんなことを感じてしまう 悪へ傾斜していく心が彼の毎日を虚無に引き寄せているのだ 闇の世界が似合う男なのかもしれない 初めて隠岐丸が近づいてきたときも一目で彼の能力を見抜いたかのように 黒笠は 彼を厚遇した 隠密として密偵として間者になって 忍びもすれば 殺しもする 隠岐丸が見えない手下や闇のつながりをあやつって目的を達するのを黒笠は当然自分も知ったことのような顔で 黙ってみていた 人のすることには正義も悪もある 彼は自分の利益になることなら たいがいの悪は見逃す 黒笠は自身が今まで作ってきた人脈で相当の隠し金をため込み それを惜しげなく使って 自分の今ある地位を安泰にしている 彼が金をどこから吸い上げて 大阪奉行のどのあたりの上役まで撒いているのか 隠岐丸は知らない 彼は金を作りそれをばらまく 裏で手を回して密かに権力をにぎり人を操る
ーそれにしても わからんな、、、あの男の考えることは、、、-
彼が日々繰り返す権力と金を求める行為が自己の出世保身のためだけでないことは確かだ 黒笠は京大阪で人斬りを見世物にして 金儲けをしはじめたときから隠岐丸は彼の真意がどこにあるかわからなくなっている こんなことが表ざたになったら彼の地位は当然危なくなるだろう それではなんのためにこんなことをしているのか 隠岐丸は首をひねりたくなることもある
ーたしかなことはただ一つ、、、-
黒笠はこの奇妙な事業を楽しんでいるのだ 彼の試合を見る目がそれを語っている 二人の男が太刀を振りかざして近づいていく 死を決して 度胸を据えて勝ちをとりにいく お互いの狙った剣筋をあやまたず打ち込んでどちらかが血にまみれて倒れ伏す一部始終を黒笠はなめるように眺めている まるで自分の仕掛けた罠に二匹の獣が落ち込んだしまったかのように 彼は二人の生き死にを弄んでいるのだ
黒笠の剣の腕は相当なものだと聞いたことがあった 奉行所随一の使い手とどこかの道場で話が出たのを耳にしたことがある 才能があったのか それとも長年の鍛錬のたまものか とにかく彼も又剣の魔力にとりつかれた男の一人なのだろう
実際の戦闘 果し合いを別にすれば 本物の殺し合いに太刀を構えて侍同士二人が向き合うなどということはないことを隠岐丸は知っている 誰かを本気で殺傷するのなら 確実に何人かで敵の油断の時を襲うのが鉄則だ 始めの仕掛けの武器は 手裏剣 吹き矢などで飛び道具が一番だ 刀はどんな場所でも振りやすい 脇差程度の長さのものと揉み合った時に刺し通す短剣があれば長い刀は全く必要ない
太刀など無用の長物だ 隠岐丸はそのことをよく知っている それでも人は太刀を好む 太刀の斬りあいを名誉のことのように考えている 太刀が使えないのにそれよりも長い竹刀で道場で稽古をしている そんな侍の腕などは恐れるに足りない 隠岐丸は斬りあいをしてもたとえ一対一でも侍に勝つ自信は十分にある。実戦と虚勢の道場剣術の違いを彼は知り尽くしていた。
ー刀の価値を侍は知らない。ー道場剣術では刀は使えない もっとも 人を斬ることなど今の世にどれだけあるだろうか。長い刀はその証拠だろう。
彼は一度綺羅に刀を見せてもらったことがあった。親父の使っていたものだといった彼の刀は定寸に満たない短いものだった。板目肌の波紋がそれなりに美しいが今出来の強靭な鍛えの鋭さがない。大人しい刀だった。隠岐丸が長いのは嫌いなのかと聞いたら 別にそんなことはないという返事だった。
ー長さなどどうでもいいのだ。この男には、、、。-隠岐丸はその時思った。
その時綺羅の差している無銘の古刀がどうしてか名刀に思えて欲しくなったのを彼は覚えている。古刀は血になじみやすいと綺羅は言った。大勢と斬りあうのなら新刀では刃に疲れが出て切れ味が落ちるだろう。綺羅は言った。どうしてそんなことがわかるのかと尋ねたら 懐紙で血糊を拭くときにわかると綺羅はそっけなく答えた。馬鹿に長いしかもそりのほとんどないようななまっすぐな太刀をこれ見よがしに下げて歩くのが今の流行りだが綺羅はそんなことには全く無関心のようだった。
ー俺とあいつと立ち会ったらどうだろうか。ー
あの剣の申し子のような男なら勝てるだろうか、、、彼は頭の中で綺羅と立ち会ってみる
ー実戦の経験なら俺の方がはるかに上だ。ー隠岐丸は心を遊ばせた。
遠い間合いにお互いがいたとして、、、多分隠岐丸の投げた手裏剣を彼はかわすだろう 手裏剣を握りこんだ瞬間の体構えで綺羅はそれを察知するに違いない こちらがまっすぐに綺羅の体の中心めがけて投げ込むとして綺羅はそれを冷静に見ているだろう そして撃ち落とすか かわすかするだろう その時綺羅は動くはずだ しかし 綺羅なら手裏剣をかわしながらも どこにも自分の体を逃がすような体勢を作らないだろう そんな無駄なことは綺羅はしない かわしながらも後手にはまわらずすぐに流れるように綺羅は間合いに入り込んでくるだろう こちらが後手になる 綺羅の剣が襲い来るのだ そうなるとどんなに体勢を維持しようとしても綺羅のその一足の踏み込みで彼は自分の攻防の一線を明け渡してしまうだろう 手裏剣を打ったことを後悔しながら綺羅の剣先を受けようと抜いた刀を前に振りかざし振り下ろしたところで そこが負けとなるはずだ 綺羅の刀はそこには来ないからだ 自分のがら空きになっている頭か手首か胴のどこかに綺羅はきれいに自分の剣を打ち下ろすか刺し通すかするだろう
ー奴には見えている、、、俺は勝てない でも俺はそれをわかっているー
隠岐丸は心の中で負け惜しみの言葉をかみしめた まあいい 剣の勝負など所詮 侍のすることだ
ーそれにしても面白いものだな、、、-
黒笠だけでない 自分も綺羅の太刀筋に吸い寄せられて見入っているのだ 試合の始まりから終わりまで構えから足の運びまで まるで自分のことのように彼の姿に目が釘付けだ あの若者には 人を惹きつける何かがある それは技だけはない それはなんだろう 隠岐丸は考えた
その晩 隠岐丸は綺羅を連れて 町はずれの寺の境内にいた あちこちにかがり火がたかれている 本堂の裏の空き地に大勢の男がひしめきあっていた 土俵のように地面が丸く火に照らされている その周りで皆酒を飲んで声高に話している それでも祭りのような雰囲気とは違う 殺気だったものがうずまいている 侍姿が多い 町人は少し離れて座っているようだ
ーなんだ 何が始まるんだ 真剣かー
綺羅が尋ねると隠岐丸は笑ってまあ見ていろ これはこれで面白いと言って笑った
頭の髷を奇妙に結ったカブキ者風の侍が長い刀を差して 空き地の中央に立った 腕組みをして尻をはしょっている 目をつぶって大きく息をしている 刀の柄が体よりうんと前に飛び出ている 変な恰好だがこれが不良侍の流行だ 対面から出てきたのはたすき掛けの男で町人髷だ 背は低いが胸は厚い おがむような恰好で両手で刀を顔前に立てて いきなり 刀を抜いた 始めは正眼に構えると 気合もろとも 何回か刀を上段に振り上げてあげて気合をかけて振り下ろした ガチガチと鍔本から音が聞こえるほど手首がこわばっている じっと見つめている相手に向かってさらに大声で気合をかけた
カブキ者の侍が長い刀を抜くとまた男はわあああああと大声をあげた 相手の町人は又暗闇の虚空に刀を全力で振りまわしている
ーなんだ どこ見とんのや はよ せい とどかんやろがー
見物がどやした どっと笑いが起こってそれから大勢が掛け声をかけ始めた 侍の方の声援が圧倒的に多い 声援に押されたか 侍の構えに余裕が見えて来た 全力で振りかぶっては振り下ろしてくる町人の太刀筋を読み始めたようで 侍の前にかまえた左足がこまかく 間合いに入ろうとしている 相手は全力で振り回している 振り下ろし 横殴り 袈裟 刃筋は出ているようだ 振りが鋭いので受け損ねて斬られれば致命傷だろう 見物は興奮して叫び声を上げている 綺羅と隠岐丸は篝火の熱を頬に感じながら黙って二人の斬りあいを見ていた 何度も二人は近づいては離れを繰り返している 侍の顔が恐怖にひきつっているのがわかった どうした しっかりせい 背中から仲間らしい侍が声援を送っている
中々難敵だな、、、これは、、、-
綺羅がつぶやいた 太刀風も鋭く無暗矢鱈に振り回してくる男にどう立ち向かうのか 侍の方は剣を合わせる拍子をとれずにいる じりじりと下がって もう後のないところまで来てしまっている 腕はたいしたことがないのは構えがとれていないのですぐにわかる 相手の太刀風の凄さに射すくめられている。
それでも仲間の前で弱みを見せまいとカチカチと剣を短めに振り下ろしている
掛け声もろとも大きめに踏み込んできた町人の振り下ろしを侍の剣が横殴りにはじいた キイインという鋭い音がして火花が散って お互いの剣が左右に大きく別れる 力任せの町人の斜めの切り込みを打ち合わせたが受け流しきれず体がぶつかった はじかれて互いの立ち位置が入れ替わっていた 二人とも構えまで完全にくずれて体が泳いでしまっている 町人は その時片膝をついて体勢を維持して片手斬りで侍の足にきりつけた 二の太刀を打とうと上段に振りかぶった侍の脛が斬られて ばったりと倒れた
それまでだ 誰かの怒号が聞こえると侍の周りを仲間が取り囲んだ 町人が口から内臓が飛び出そうなほど激しい息をして構えを解いた 真っ青になりながら刀をにぎりしめている 勝った 勝ったぞとそれからつぶやきだした 仲間らしいのが 近寄って男の握りしめた刀を指を開いて鞘におさめた 男の息はおさまらない 体中が震えていた。
ーこれで一両だ。-隠岐丸が冷ややかに言った
ーそうか、、、ここで買ってもたったの一両か。ー
ーああ これではな シャモの喧嘩だ こんな程度では金にはならない。-
(面白くもないか、、、こんな斬り合いは、、、。まあ黒笠はここを捨て試合と言っているのだ。)
隠岐丸は苦笑いをして綺羅の顔を見た。綺羅は無言でうなずいた。大勢の見物人が酒によってそれぞれの赤い顔が松明にともされて悪鬼のように見える。
上座のような寺の境内側に十人ほどの侍の集団がいて床几に座っている。この場を取り仕切っているように見えた。派手な恰好のカブキ侍が殺気立って
大声で呼び合って試合の支度をしていた。仲間同士で度胸づけをしている。
(あの連中はハナワ組と言って江戸から来ているのだ。将軍の旗本侍の次男三男でろくでなしの集まりだ。京大阪で遊びまわって金が足りなくなって
ここで真剣試合の真似事して稼いでいる。そのうち 消えてなくなるだろうが 今は重宝しているのだわ。)
隠岐丸は冷たく笑った。彼にとってはここが便利な人集めの場所になっている。金目当てで真剣をやりたがる者の中から上等の腕を
持つ者を見つけて本試合に出す。二十両で見ごたえのある技で相手を料理する剣士を見つけるのはあの手この手を考えねば
ならない。
(ごろつきやヤクザ者に刀を使える者はいないが斬られ役を探すのも大変でな。これをやっていると色々手間がはぶける、、、、。)
(これも 黒笠が考え出したものか。)
綺羅の問いに 隠岐丸はああそうだと答えた。毎月末の戌の日にやるのだとつぶやくように言った。
(本試合は月末のトラの日で捨て試合のここはイヌの日というわけか。)
綺羅はここでも黒笠の心の内面の意地悪な暗さを感じた。
(ここのところ ここも実は盛り上がっていてな。人だかりの騒ぎだ。)
隠岐丸があごをしゃくった先を見るといつの間にか向こうに女が立っていた。袴姿のたすき掛けで小太刀を持っている。綺羅は驚いて声をあげた。
(女ではないか、、、。)
上背はあるものの それでも小柄の男以下で細身に見えた。向こういる相手の男は巨漢と言っていい 肥満体で腕の太さは目を見張るようだ。
(いやあれでなあ、、、やるのだ。もう三人もハナワ組の江戸侍を斬っている。腕は確かでな。このあたりにいる半端な腕ではかなわん。金がいるらしい。
試合の引き受けてはいないと言ったらそれなら相手が太刀で勝負して自分は小太刀で相手すると言い出してな、、、。)
綺羅は女の姿をもう一度見た。思いつめたように眉根をよせて闇をにらんで口をひきしめている。二十歳は出ているようだが それほど若くは見えない。袴の裾が
短く白足袋から脛が見えていた、よほど深く腰を落として構えるのか。新陰流の系統は身を縮めて構えを堅固にする。防御中心の戦いをするのなら
刀が短くても さほど不利にならないと考えているのかもしれない。
(それにしてもいい度胸をしているものだ。たまげた、、、。)
(なんでも敵打ちのために金を稼がなければならないとか言っていたな。実家が刃傷沙汰に巻き込まれてそのせいで嫁ぎ先を離縁になったらしい。
仇打ちの相手を探してそいつを切り殺さないと自分の家が断絶になるそうだ。)
それでこれだと言って隠岐丸は又静かに笑った。彼にとっては全く不合理で無意味なしがらみで女はここで殺し合いをする。それが自分の意志でしていると本人は
思っている。どう見てもバカバカしい見栄にしか隠岐丸には思えなかった。自分の家が侍の家という身分にこだわっているだけではないのか。彼にはそれが滑稽に思えた。女が前に進み出た。
大勢の見物の前に落ち着きはらっているようだが顔面は蒼白だった。介添え人もいないようで小太刀の鞘を払うと左手でそれを帯の背中に差した。
相手の巨漢がこれ見よがしに持ってきた大太刀をスッパ抜いて鞘を仲間に渡した。腰には脇差がこれも長い。もう勝ったと確信しているように女を無視して
じっと刀身をにらんでそれから酒をあおった。この刀は今流行りのものだ。身幅が広く反りが少ない 長い包丁のようにも見えるが 大きなのたれ波の刀紋が白く輝いて見える。
ツバも透かしだがやけに大きい。重いが打ち合えば衝撃で相手をはじき出せる。腕力でふりまわすことしか考えないような未熟な腕にはかえっていいのだ。
(この勝負どうなると思う。)
(男の方は突きまくってから面打ちで来るだろうな。小太刀では先をとって打つのは無理だ。)
小太刀は切っ先が身幅が細くなる古刀のように見えた。刃の厚みもないようだ。打ち合わせて相手の刃をとめられるか。しかも女の身だ。腕の太さは相手の半分もない。
突進して来る男の攻撃を受け止めるよほどの自信があるのか。
(女の身で無謀なことをするものだ。)
綺羅は思った。女の命知らずな行為に彼は同情を持たなかった。剣で戦う、、、命のやり取りの場に出たら普段の感情の動きというものはなくなる。
あるのは敵をうちふせたものが勝者となり敗者はそのまま消えてなくなってしまうということだけだ。
(とにかく来たものをかわして 崩れたところを飛びこんでしとめるしかないか、、、。あれで女でなければ本試合に出すのだがな、、、。中々いい女だろう。美形だ。)
隠岐丸の一言に綺羅は無言だった。二人はもう構えて向かい合っていた。女は前膝をぐっとかがめた低い体勢。後ろ足の膝が地面につくほど低く構えて顔前に剣を立てた。
刃の長さは顔を守るのがやっとというところだ。小太刀には鍔がない。受けるとしたらよほど引き付けて正確に刃横を当てて相手の剣の勢いをとめるしかないだろう。
(覚悟はいいか。女と思ってみくびったが今日はゆるさぬからな、、、。手加減はせぬからな。)
巨漢が上段に振りかぶるなり間合いに入ると 刃を返していきなり 横殴りで胴を払う。太刀風が聞こえるほどの鋭さだった。女は飛び下がった。そこを男が又一歩入って突く。
女は今度は右横に体をひねってかわした。男はそこで元のいた位置にもどっていた。巨漢とは思えない素早い後退だった。女は又構えを低く元に戻している、、、が少し元の場所より後退していた。
それを見て落ち着き払った男がにやりと笑った。刀を大きく頭上に振りかざして上段の構えをとった。前より間合いが開いているので女の飛び込みがないと踏んでのことだろう。巨漢の侍は序盤で
優位を確保したようだった。
(行くぞ。そりゃ、、、。)
今度は 右袈裟に切りつけて体当たり気味に突きを入れた。女は反応よくかわして小太刀で男の突きを受けた。そのまま横に飛び下がった。
(こりゃいかんな、、。こいつは今までの侍と違う。)
隠岐丸は独り言のようにつぶやいた。傍でみていればよくわかる。男の間合いの取り方は巧みだ。遠間を確保して無理な踏み込みをしないで突きを入れてくるので女の小太刀は差し違えるほどの近さに
よることができないのだ。
(たしかに進退はできている。でもそれほどたいした腕でもない。)
今度は綺羅がつぶやくようにいった。男は無理をしないで女を料理しようと思っている。このまま 何回か女の堅い守りの布陣をかきまわしていけば 勝機が転がり込んでくると思っているのだ。
負けはないという余裕が巨漢の侍の動きをよくしているように見えた。女の方は必死の形相で小太刀を低く構え続けている。見物が怒号をあげて男に声援を送っている。それを背中に浴びて 男の
長い軌跡を描いて女に打ち下ろされる。女はかわすのが精一杯になってきた。かなり元の位置より下がっている。不意に男が刀を下した。
(女。もっとこっちへこい このまま見物の中にまで下がって行って逃げ出すつもりだろうが そうはいかんぞ。)
女はそれを聞いて低い構えから身を起こした。小太刀を下に向けて中央に待つ相手の方に二三歩寄った。と同時に男の懐に刃を立てて飛び込んだ。体ごとすりこんで刃を男の胸につきたてる捨て身の攻撃だ。
(ウワッー。)
男は大きな鍔を盾にして女の突進をからくもふせいだ。女は突き飛ばされたがそのままくるりと受け身をとって 下がって構えている。満座がどよめいた女の反撃だった。
(おのれー。卑怯な真似をしよったな。)
男の油断を女は見逃さなかった 男は顔を真っ赤にして怒り狂っているが危なかったと思っているのか 少し腰がひけている。見ると男の着物の片方の上袖が斬られてた。下がり際に女が斬りつけたのだ。男は肩で息をしている。
女の方も今の攻撃でかなり消耗したようだ。お互い 遠い間合いでしばらくにらみ合っていた。男がじりっと前に出た。正眼に構えている。いきなり片手になって女の顔をついた。女は刃で受けず
横に転身したがよろけるように後ろに下がった。逃げるつもりか顔が横に向いている。男は好機を逃さずに大きく踏み込んで女の袈裟斬りに刀を振り下ろした。かわした女の体が地面に転んだ。
女の起き上がる頭に白刃が襲った。その時人影が動いた。
(ガキッ)
綺羅の脇差が男の刀を止めていた。男は叫んだ。
(何をしやがる。邪魔するな。)
綺羅の脇差の鍔が男の刀身をすいつけるように動いた。と同時に体を入れ替えるようにして綺羅がくるりと動くと男は女のいる間合いからはじき出された。綺羅が脇差を正眼に構えて女を守っている。綺羅が叫んだ。
(今 砂を巻いたろう。)
(何だと、、、そんなこと するはずなかろう。)
(嘘をつけ。おまえは 目つぶしを女の顔にかけた。俺は見ていた。)
綺羅が周囲に聞こえるように大声をあげると男は刀を下げて複雑な顔をした。綺羅は女を立たせた。右の半面を見ると目が開かなくなっている。
(自分で転んだのだ。)
(これは剣の勝負だろう。卑怯な真似をしたのだから 勝負はなしだ、、、。)
(馬鹿な、、、 ここまで勝ちに勝っているのだ。ここで引き下がれるか。)
(女の目はどうする。)
(転んだのだ。)
(俺は見た。おまえは握りこんだ目つぶしを女の顔にかけた。素早い動きだが俺は見たのだ。)
立ち上がった女は無言で片手で目を押さえて小太刀をたらしている。この先の勝負の続行は死を意味する。
(俺が代わりに相手になろうか。)
(何、、、。)
(俺なら小太刀もいらぬ。短刀で相手しよう。)
綺羅は帯にさしてあった 自分の短刀を指さした。男の顔が怒りと混乱で又 真っ赤になった。周囲の見物は黙ってこの成行きを見守っている。待てと大声が後ろからした。江戸侍の中から
首領らしいいい身なりの恰好の一人が出て来た。
(おい 人の勝負いきなり割って入って 俺と勝負しろはどういう了見だ。)
(話は今しただろう。これはまともな勝負じゃない。この先はおれがゆるさん。)
(なんだとう。若造 生意気な口をたたきやがって こんなことしてただですむと思っているのか。)
(すむかどうかやってみるか。俺はこの勝負は俺がこの女と変わろうと言っているのだ。そっちが勝ったら三両だそう。)
三両という綺羅の言葉に首領の男の顔が反応した。男は綺羅の顔をまじまじと見なおした。
(斬られて三両払うのか・、、、。短刀で他は使わないのだな。)
(そうだ。そちらも そのかわり卑怯な真似をするなよ。)
又 首領はまじまじと綺羅の全身を見まわした。それから 短く笑った。
(てめえ 使い手だな、、、。さんざん 相手の太刀筋をみておいて 勝てると踏んだのだろう。甘いな。そんな 計略に乗る阿呆がいるか。相手は俺だ。俺と勝負しろ。)
今度は綺羅がまじまじと相手の姿を見た。
(俺はかまわぬ。誰とでも勝負する。女はさがらせるからな。)
綺羅の落ち着き払った受け答えを大勢の見物が静かに聞いていた。綺羅は隠岐丸に目配せして女を頼むと言った。不意に首領が大声で笑いだした。
(わかった、わかった。もういい。今日のところは勘弁してやる。女の命はくれてやる。貴様名前は何という。)
(キラ、、、そちらの名前を受けたまわろう。)
(俺はハナワだ。キラとは変わった名前だな。本試合に出ているのか。道理で味な真似をする。)
(しないのなら俺は帰る。)
綺羅は刀を鞘におさめて歩き始めた。隠岐丸に連れ添われて女が従った。
(若造今度あったら容赦しない。女も覚えていろよ。ナマスに切り刻んでやるからな。)
帰り道 綺羅は何度もつけられていないか振り返った。大丈夫 奴らは来ていない。手下を置いてきたからわかるのだと隠岐丸は言った。
(ハナワは癖の悪い男だ。この先つきまとわれるだろう。今日はあんたは綺羅のところに行ったほうがいい。ねぐらは連中が突き止めたから。)
面倒なことになったと隠岐丸は思っていた。まさか 今晩のことは黒笠が仕組んだというわけではないだろうが 綺羅は行く先々で向こう見ずなことをする。自分に何の得もないことでも
あっさりと危険をおかして平気でいる。そんな男に自分はどうしてか心の中で加勢するような気持になっている。こんな男は見たことがない。面白いやつを見つけた。
隠岐丸と別れて寝静まった町を抜けて女を連れてねぐらの小料理屋の二階に戻った。
女は座るなり両手をついて頭を下げた。
(雪乃と申します。このたびは危ないところをお助けいただきまして 誠にありがとうございました。)
(ゆきのさんか、、、これも例によって隠し名というわけですか、、、。)
(今から本名をおあかしいたします。)
(いや いわなくてもいいです。)
書きました