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蝶々がスクリーンに現れたのなら、それはそのシーンが夢の中の場面だということを示唆しているのです…、
…映画にはそうしたオサダマリがある。
…であれば、いま僕は夢の中に佇んでいるのでしょうね、眼前を白い蝶が通過しましたから。
蝶は、ほんとうなら高原のみどりが似合いそうな白い翼を、都市の光線のさしこむ一室に遊ばせています。光線はしかし人工灯ではなくて太陽のものであり、カッとした印象は、どうやら夏のひかりでありそうだけれど、やっぱり生活からたちのぼる塵埃を含むがために、純な感じをさせない。
街の、人の、手垢のにおいがする光線なのです。清冽さを失った輝きはそれでも何やらノスタルジックですし、お仕着せめいたアパルトメントの窓より、サンサン注ぐありさまは、額におさめて、平穏な日常、とタイトルを与えたいようなものです。
…しずかに漂うていた蝶の翼は瓦解し、音もなく光の中へとほどけて融けて、今度は空気を飾る塵となって舞い、遊びます…、
…こんな現象がなに食わぬ顔して起こるのだから、やはりここは夢なのでしょう…、
浮遊塵がキラキラ果敢ないように淡いように遊ぶさまを見るのは大層好きで、半日でも一日でも見惚れている自信があるんですが、どうにもそのちょっとした性癖は、幼少期の原風景に拠るのかもしれない。
むかし、むかし。ちょうどこんな部屋で、僕の両の目玉は、塵の綾なす流動的タペストリー、かたどられては崩れさってゆく美しい無意味のマンダラを弄んでいたのです。