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たとえば。
僕は小学生の頃、女の子の皮膚にウブ毛が生えているのを知った時、ずいぶん驚愕した覚えがあるのですよね。
何故かは分からないけれど、女の子のからだには、フヨフヨと黒く醜い毛のような、生物学的な痕跡が存在しないものだと思い込んでいました。
女性の肌はみんな陶器めいた、ガラスめいた、ツルツルのものだと思っていたんですね。天使とか人形とか宝石のような。そんな、もの。
だけれど、ウブ毛の存在を知り、女の子も息吹きしている生命体に過ぎないことが咀嚼され消化されると。
僕はあらたな心の瞳をひらき、僕の世界はみずみずしく膨れあがったのでした。
まず生命というものの定義が広がりました。オスとメスというものの定義が更新されたように思われた。
いや、もちろん知識の上ではオスとメスがこの世に在るのだなんてことは知っていましたが、肉体感覚として広がった感じがしたのですよね。
われわれは一対となる雌雄の属性にわかたれ、そして精妙なメカニズムによって途方もない、途轍もない、曼陀羅を織り上げているのだと。そのことに一挙にリアリティがともなったようでした。
ザアッとエネルギーが流れ込んでくる感じがしました。モノクロだった視界が一挙に色付いた感じ。そんな感じでした。
そうして、以前以上に生命というものを果敢なく思うようになったのでした。
海という言葉を知っているのと、実際に海を目にし、その水に触れてみるのでは大違いということなのです。
もしかしたら、これも妹の流菜の皮膚を見、知り、理解したことだったのかも知れません。
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かようにして、僕は妹の経血から、またひとつ世界を広げたわけになります。
さて、しかし。こうも整然とした感想がトイレの中で結実したわけでは無いのですね。まだ胸にあったのはボンヤリした萌芽のようなもので、カミナリに撃たれた直後のフランケンシュタインのモンスターさながら。
自分の心が備えだした新しい基軸を、もてあまし気味にしていたばかり。
扱いかたも分からない不可視の機械を手に、ふらりと、しかし普段とそう変わらぬ様子で、トイレのドアをひらき。
その外にまろび出ました。
そこには僕の感覚の教師、妹の流菜が立っていたんですね。