96.思わぬ遭遇
ドライグに来たリエティールは「アカドモアレ」という薬草の採取依頼を受注した。池等の浅瀬に生える草で、その根には解毒の作用があるため、解毒薬の原料としてよく使われるそうだ。
繰り返しになるが、この薬草は池等の水の流れがない場所の浅瀬に生える。しかしこのクシルブの近辺には独立した湖沼などは存在しない。
ではどこで採るのかというと、この近くには一本の川が流れている。源流は遠く東の山であるとされ、西南に向かって緩やかに流れている大きな川である。
この辺りでは特にその流が遅く滞る場所があり、そうして一部が池のようになっている。川とつながっているので厳密には湾処のような物である。アカドモアレはそこに生えているようで、リエティールは地図をよく確認してからクシルブを出た。
東門から出、街道を右に少し逸れてまっすぐ行くと例の川に突き当たった。ちなみにこの川はその流れの遅さから「泡も留まる」として「泡留め川」と名前がつけられている。
リエティールはドライグの受付から言われた通り、その川沿いを上流に向かって歩いていく。そうすると程なくして目的地である流れの滞っている地点にたどり着いた。
浅瀬にしゃがみ込み、ドライグで貰った薬草の見本と特徴が描かれた資料と見比べながら、慎重に選び丁寧に根を引き抜く。一見するとそれはただの雑草にしか見えず気をつけなければ踏んでしまいそうであり、それで解毒作用のある根が切れてしまえば価値は一気に下がってしまう。
幸いにも生えている場所が水中と言うこともあり、引き抜く難易度は高くなかった。問題はその見分ける手間と、水の冷たさであった。流石に手袋のまま水に手を入れるのは憚られたので、彼女は今素手でアカドモアレを摘んでいるのだが、流石に冷たく赤くなっていた。
もしも手先が氷竜の鱗で覆われていたのならば、この冷たさも平気だったのかもしれないが、覆われていないものは仕方が無い。
ある程度摘んだところで、リエティールは指先に息を吐きかけて擦り合わせる。あまり冷たいままにするのも良くないと考えて、リエティールは周辺に魔操種が居ないか見回してから、少し離れたところに腰を下ろし、マッチの火で焚き火を作って暖を取った。
今回彼女が受けた採集依頼は人気がないのか、他にこの辺りで活動しているエルトネは見当たらなかった。川辺を歩いていた時はちらほら見かけたのだが、池のようになっているここでは移動しにくいというのもあるだろう。
ここは中心部が深く直径も長いため向こう側へ行くのも一苦労なのである。移動するには外周をぐるりと回るか冷たい水の中に入るしかない。流石に冷たい水の中に好き好んで入ろうと言う者は殆ど居ないようであった。しかも中央は相応に深いので、全身ずぶ濡れになることは必至である。
リエティールは支給された籠の中のアカドモアレを数える。籠の中には濡れた布が入っており、薬草の鮮度劣化を防いでいる。依頼ではこの籠に半分以上の量があればいいといわれており、今の時点でも規定量には達していた。しかし多ければ多いほど報酬も上乗せされるらしいので、せっかくならばもっと摘んでいきたい。
リエティールは焚き火の側に座りながらぼうっと水面を眺めていた。この辺りはエルトネが居なければ魔操種もあまり現れない。その理由については受注した時に受付嬢から聞いていた。
なんでも水辺に生えている草の中に、この近辺に生息する一部の魔操種にとっては毒になるものが混ざっているらしく、うっかり食べてしまうと酷い場合行動不能になってしまうらしい。そういう危険を察知してか、この辺りにはあまり寄ってこないそうだ。そして加えて人間も寄ってこない。するとより強くそれらを捕食するような魔操種も必然的に寄り付かなくなるのだ。まさに天然の魔操種避けであり、そういう点では初心者に向いた安全な依頼である。
ただ、アカドモアレ以外にも解毒薬の材料となる薬草は存在するために、特別報酬が良い訳でもないため、初心者も他の依頼に多く流れてしまうのだという。
そうして暫く休憩し、そろそろ摘むのを再開しようかと立ち上がったところで、リエティールは静かなはずの水面が波立っていることに気がつく。
水深はそれなりにあるので何か生き物が棲んでいてもおかしくは無い。リエティールが離れたことで安心して出てきたのだろうか。
リエティールは何が出てくるのか少しわくわくしながら、近付かずにその水面をじっと見つめていた。
やがて水面が大きく盛り上がり、そこから生き物が顔を出した。擬態のためなのか、深い水辺と同じ青みがかった濃い茶色をした毛並みで、丸みを帯びた形をした顔には、小さくつぶらな瞳があり、同じく小さな耳を動かして様子を窺っているようであった。
そのどことなく可愛らしい姿を、リエティールはどこかで見たことがあるような気がして必死に思い出そうとしていた。
「あ……!」
そして、それが以前ソレアが言っていた、ドライグで似せ絵を見た「レビル・ビパック」であることを思い出し、思わず声を上げた。
するとビパックはその声に気がついたのか顔を向け、リエティールとばっちりと目があった。
「ピャアー!」
そんな叫びにも似た鳴き声を出して、ビパックは素早く水の中に引っ込んでしまった。リエティールは慌てて駆け寄るも、岸辺からではビパックが顔を出した中心部の水底までは見ることができなかった。




