81.迫る危機
クシルブの門には今日も変わらず入街を待つ列ができていた。そこに配属されている門番達はいつも通りにテキパキと仕事をこなしていた。
そんな、いつもと変わらないと思われた矢先、列の後ろの方からざわめきが聞こえ、それが段々と前へと伝染してきたことに気がついた門番の一人が、何事かとそちらへ顔を向けた。
見ると、列の脇を走ってこちらへと向かってくる人影があった。それを見て人々がざわめいているようである。
門番は最初に、待ちくたびれた誰かが文句を言いに来たのだろうかと思った。そういうことは時々あり、彼は嫌そうな表情を浮かべたのだが、近付いてくるにつれそうではないことが分かった。向かってくる人影は誰かを背負っており、その顔は必死の形相を浮かべていたからだ。
それを見た門番はただ事ではないと悟り、一度検問を中止すると言い渡した。列は一層ざわつくが、緊急事態だと判断した以上致し方のないことである。
門番は急いでその駆けて来る人に近付いて声をかける。その人物は若い男で、全力で走ってきたのかぜえぜえと荒い息を吐き、大量の汗を流していた。その背に背負われているのは同じくらいの若い女性で、脚に目立つ傷が一つ、全身に細かな傷が幾つもついており、血を流しているのが見て取れた。目立つ傷は小さいが深そうで、何かに噛まれたのであろうと門番は考えた。
「まずは止血を!」
傷には何の処置もされておらず、汚れたままであった。大怪我ではなくともこのまま放っておけば悪化してしまう恐れがある。門番の呼びかけに、別の門番が待機場所から救急箱を慌てて持って来て、傷口の洗浄と止血の処置をする。
こうして傷を負ったエルトネが駆け込んでくることは過去にもあり、そういった場合の応急処置の仕方も彼らは熟知しているので、その手際はよく、止血の処置はすぐに終わり、全身の傷を治すために飲み薬も与え、安静にするようにと二人を詰め所に連れて行った。
簡易ベッドに寝かせたところで緊張が解けたのか、女性は静かに寝息を立て始めた。
門番はその女性を背負ってきた男に事情を聞くために、彼の息が整うのを待った。少しして漸く落ち着いた彼は、未だ焦りが消えない顔で門番に経緯を話し始めた。
「俺はランク2のエルトネのユーブロで、あっちは一緒にパーティを組んでいる仲間のエナ。
ニルファブの森で討伐対象のレフテフ・ティバールを狩って、その帰り際に……ルボッグに襲われた」
「ルボッグに? 中層に入ったということですか?」
門番はそう訝しげに聞き返す。
レフテフ・ティバールは森の表層部分に生息する魔操種で、またランク2くらいのエルトネは基本的に中層まで行かないようにと言われている。そしてルボッグはその中層に生息する魔操種であり、彼の話を聞く限りでは遭遇しそうにないと思われたからだ。門番からすれば、注意を怠って中層まで踏み込んでしまった自業自得なのではないかと考えられる。
ちなみに、表層と中層では差し込む光の量が違うために、生えている植物が変わる。特にその二つの境目には赤色まじりの葉を茂らせるセロクという植物があるため、比較的わかりやすいはずであった。
しかし、ユーブロはその首を横に振る。
「セロクは見かけていないから中層はまだ先だったずだ……それに、はやくドライグに知らせないと……!」
相当焦っているのか、ユーブロは席を立ち上がって門番に迫る。
「とにかくドライグに行かせてくれ! はやく、急がないと、ニール達が!」
門番はそう叫ぶように言う彼の気迫に圧倒される。そして、彼の口走った名前が彼の仲間であり、その人物がいないということは何か大変なことが起きているのだろうことも理解できた。
魔操種関連の緊急事態に関しては、素早くドライグに連絡するようにという規則があり、門番はユーブロが名乗っていることと、怪我人が実際にいること、そして彼の焦り様から、それが嘘ではないだろうと考えて中へ入ることを許可した。ただし、万が一と言うこともあるため、別の待機中であった兵士を一緒に同行させた。エナはそのまま詰め所で安静にすることとなった。
ドライグは朝のピークを過ぎ、昼の手前の僅かではあるが穏やかな時間を迎えていた。これから午後のピークまでは徐々に人が減り始め、受付も一休みできる時間となるはずであった。
しかし突如飛び込んできた一人のエルトネによって、そんなひと時はかき消されることとなった。
門番と共に駆け込んだそのエルトネは、受付に走るなりドライグ長を呼んで欲しいと頼んできた。それがあまりにも鬼気迫る様子であったため、受付嬢は呆気に取られてただ頷いて呼びに行くことしかできなかった。
「一体何事ですか?」
呼ばれて出てきたドライグ長は、見た目三十代程の男で、細身の見た目や雰囲気から文科系の人物といった印象を与える。
彼はラレチルと言い、見た目通りどちらかと言えば頭脳派の男であり、知識と冷静な判断力を持ってドライグをまとめる人物である。
彼と向き合ったユーブロは先ほど門番に話したときよりは冷静になっており、事の次第をできる限り丁寧に伝える。そして表層でありながらルボッグに遭遇したという部分で、ラレチルは眉を顰めた。
「表層部分までルボッグが進出していると?」
「はい。 それに、そのルボッグは普通じゃありませんでした」
ユーブロが答えると、ラレチルは相槌を打って続きを促す。
「奴等は、罠を仕掛けていました」
「罠を……!? それは、まさか!」
ラレチルは目を見開いて驚愕する。ユーブロは真剣な顔で頷く。
本来ルボッグはそこまで賢い魔操種ではない。一体ごとの強さはそれ程ではなく、一対一であれば駆け出しのエルトネでもそこまで苦戦はしない。ただしその真価は群れを成すことであり、数の暴力で人に襲い掛かるのである。しかも彼らは地の魔術を使い、土のあるところであればどこでも住処を作り出し棲み付いてしまう厄介者でもある。
しかしあくまでもその強さは数が多いことに対する評価であって、先述の通り知能が低いため、複雑な動きをしたり連携を取ったり、ましてや罠を作って仕掛けるなどということはありえないことである。
それが意味することは即ち、
「上位種がいる、ということか……」




