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氷竜の娘  作者: 春風ハル
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6.仕立て屋の娘-1

 女性は仕立て屋の一人娘だった。母と父と三人で、細々と暮らしていた。

 最初から資産を持っていた貴族でも、畜産業で成功した家系でも、他の町との交易をしている商家でもない、貧しいよりは少し上の、普通の家庭だった。

 畜産農家から直接、処理済の毛皮などを仕入れ、それを加工して服を作る。そうした仕立て屋はこの町にはそれなりに多く、客が分散するため際立って儲かる職業ではなかったが、質がいいと評判の産地のものである故に、他の国への輸出品として良く売れるため、減るということは少なかった。


 そんな仕立て屋の中でもこの一家の仕立て屋は変わっていて、輸出が主ではなかった。大掛かりな道具を用いて大量に作るということはせず、全て手作業で丁寧に仕上げることが売りであった。そのため売り上げの殆どは、つくった服を売ったものによるものではなく、持ち込まれた服の解れや破れを直したり、サイズの合わない服の調整など、仕立て直しによるものであった。

 しかし貴族や畜産家など富裕層の多いこの町では、それほど服を大切にする人は多くない。仕立て直すよりも新しい服を買うものの方が多いために、この地味な仕立て屋に訪れる者は少なかった。

 そうして、この店は人並みに儲けることも目立つことも無く、質素でありながら安定した暮らしを続けていた。娘も両親も、そんな暮らしに満足していた。


 そんな暮らしが一変したのは、ある一人の少年の訪れがきっかけであった。

 その日、店の扉を開けたのは、一人のへの字口の少年を連れた婦人と、その護衛と思われる一人の男であった。護衛を連れていることと、その身なりのよさから、貴族か畜産農家の家系のどちらかであろうと推測された。そんな珍しい客に、カウンターにいた父が「いらっしゃいませ、本日はどのようなご用件でしょう?」と尋ねる。すると婦人が口を開いた。


「実はこの子が、買ったばかりの服を庭の置物に引っ掛けて裾を汚してしまったのです。 新しいものを買うといったのですが、どうしてもこの服がいいと言いまして困っていた所、こちらの仕立て直しの技術がとても優れているとお聞きしたものですから、訪ねたのでございます」


 そう言い終えると、控えていた男が父に布で丁寧に包まれた服を手渡す。カウンターの上に広げてみると、確かに裾の部分にすったような跡があり、汚れと傷が残っている。父は娘を呼び寄せ、この傷を直すように言った。娘は長い間母と練習を重ね十分高い技術を持っていたが、客相手の本番はまだしたことが無かった。初めての本番が、身なりの良い豊かそうな、しかも初来店の客というのは、いささか厳しいかもしれないが、かえってよい緊張感を持って仕事をでき、良い経験になると考えたのだった。

 娘はやや強張った表情で奥から出てくると、婦人に丁寧に一礼してから服を見た。しっかりと状態を確認した後、婦人に


「承りました」


と再び頭を下げる。その時、婦人の隣でやや暗い表情をしている少年とばっちり目が合った。娘はにこやかに微笑んで、


「安心してください。 必ず元通りにします」


と言うと、少年はぱっと笑顔になった。心なしかその頬が赤いのは、冷たい外気に晒されていたからだろうか。その様子を見て婦人は穏やかに目を細めた。


 それから娘は、汚れを丁寧に落とし、質と色の変わらない生地を見定め、丁寧に傷を塞いでいく。小さな傷に数日かけて、ようやく処置が完了する。裏から見るとどうしても処置の跡が残ってしまうが、表から見れば全く跡は見えず、新品のように見える。処置の仕方を教えた母も、そのできに頷いて娘を褒めた。

 婦人が残していった連絡先に完了の旨を記した手紙を出すと、すぐ翌日に店を訪れてきた。護衛の男が扉を開けて入るよりも先に、その足元をすり抜けて少年が飛び込んできた。護衛の男が

慌ててかけた声よりも大きな声で、少年は


「おねえさん!」


とカウンターの向こうに声をかけた。その声に娘が急ぎ足で服を持って出てくると、少年はカウンターに飛び乗らんとする勢いで飛び跳ねて覗き込んでいた。男がすぐに引き離し、婦人の下に連れ戻す。落ち着きが無いその少年を、婦人が優しく撫でて宥める。

 娘がカウンターに出来上がった服を広げ仕上がりを確認してもらう。婦人が少年を抱き上げて見せると、少年は傷がなくなっていることに感動したのか、感嘆の声を漏らして傷があった場所を撫でていた。

 暫しの間仕上がりを確認していた少年は、不意に顔を上げて娘を見つめ、


「ありがとう、おねえさん! ぼく、またくる! おねえさんの、つくったふくがほしい!」


と言った。驚く娘に、婦人は「あらあら」と微笑みながら、


「この子の為に、新しい服を仕立てていただけますか?」


と尋ねた。婦人の問いかけに驚きから戻った娘は強く頷いて「勿論です」と答えた。その答えに、少年は本当に嬉しそうに笑っていた。


 その後、少年の採寸を済ませ、婦人達が帰って言った後、娘は気合を入れて服を仕立て始めた。父と母は、新しい上客ができたことと、娘の張り切っている様子に、顔を見合わせて笑みを浮かべた。


 この幸せの訪れが、平穏の終わりの始まりであることに気がつく者は誰もいなかった。

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