5.お姫様のような
少女と女性が二人で暮らすようになってから幾月かが過ぎると、少女は遊んでいる時間よりも女性の近くで作業をじっと見つめていることが増えた。ふと女性が何気なく「お手伝いがしたいの?」と訊ねると、少女はこくこくと頷いて、女性の顔を見つめていた。少女は女性にすっかり懐いた様子で、同じことをしたがっているようだった。
とはいえ針や鋏を持たせるにはまだずっと幼いため、布の整理を頼むことにした。色と生地の種類──少女にとっては手触りの違い──で分けるように言うと、頼まれたことが嬉しいのかすぐさま作業に取り掛かった。土地柄ウールと革、毛皮が多いが、時折綿やシルクなどが混じっており、その手触りが珍しいのか不思議そうに何度も撫でていることがあった。
少女はたまに、目の前にある柔らかそうな生地の山に埋もれてみたいという誘惑に惹かれそうになっていたが、それは駄目だと女性に何度も言い聞かされていたためぐっと我慢した。その代わり、ちゃんとできたら後でいっぱい抱きしめて撫でてあげるという約束をしていた。
女性が慣れた手つきで一着を仕立て上げた頃、少女はまだ大量の布の山に向き合っており、疲れているのかうつらうつらとしていた。女性が仕分け終わったほうの山を見ると、見事にしっかりと分けられていた。今までは積み上げた山の中から目的の生地を探すのに大分手間取ることも合ったが、これならばより一層作業が捗るだろう。
女性がお疲れ様、と声をかけて両腕を広げると、少女は覚束ない足取りで女性に寄り、もたれかかるようにその腕の中に抱かれる。女性が抱き上げ優しく頭をなでると、あっという間にかわいらしい寝息を立て始めた。
女性は腕の中で気持ち良さそうに眠る少女をじっと見つめる。その肌は降り積もる雪のように綺麗な白だが、ほんのりと赤みがかった頬は柔らかく暖かい。その白さに映えるような黒い髪は、女性が肩より上で切りそろえている。定期的にぬるま湯で丁寧に洗っているため、荒れもほとんどない。
それでいて笑顔は花のように愛らしく、その目は宝石のように透き通る綺麗な黄色をしている。更に加えて、とても無垢で素直で優しくありながら、大人のように耐える心を持っている。
まるでどこかの御伽噺の中に出てきそうなお姫様のようだ、と女性は思った。もしも同じようなお姫様がいたならば、きっとそのお姫様はハッピーエンドを迎えるだろうと想像した。
もしもスラムに捨てられさえしなければ、普通の家庭で普通に生きていられたら。もしかしたら本当にお姫様になれたかもしれない。そう思えるくらいに心身ともに美しい子だと、女性は感じていた。
女性は自分の手を見る。こんな風に自分の手をじっと見つめることなどいつぶりだろう。久しぶりに見たその手は、乾燥によって荒れ、シワもあり、いつの間にかずいぶんと年を取っていたことに気がつく。
自分の顔に手を触れる。鏡も無いので見られないが、恐らく自分の顔は年齢よりもずっと老けて衰えていることだろうと思った。スラムに落ちる前、鏡の前で身だしなみを調えながら触れた肌はもっと張りがあって瑞々しかった。女性は目を閉じ、ほうとため息をついた。
数えてはいないが、あれからどれ程の時が経ったのだろうと、彼女は遠い昔に感じられる過去に思いを馳せる。
もしもあの時、もしもこの子が自分の子として生まれてきてくれていたら──
女性は自分の腕の中の、あどけない寝顔を見つめる。
自分がこの子の為にしてあげられること。それは今まで通り精一杯生きることだ。
このスラムは過酷だ。人による争い事は少ないが、その分命の危険がどこにでも潜んでいる。そんな場所から少女が一人で出て行けるようになるまでは生きていたいと願う。
苦難を乗り越えれば、きっとこの子は幸せになれるだろう。
女性はもう一度少女の頭をゆっくりと撫でると、切れ端のベッドの上にそっと寝かせる。そして、次に少女が目を覚ます時にはお腹を空かせているだろうからと、クズ野菜を入れた生乳を火にかけ、次の服の仕立てに取り掛かる。
もう少しこの子が大きくなったら、今度は肉も買ってあげよう。あまりいいものは買えないけれど……と、そう未来を思い描きながら、女性は手を進める。
薪のはじける小さな音と、少女の寝息だけが部屋の中に響いていた。