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氷竜の娘  作者: 春風ハル
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3.ばあば

「あ、う…」


 少女の小さな呻き声で、いつの間にか眠っていた女性は目を覚ました。彼女が少女の方を見ると、もそもそと動いているのが見えた。

 このまま動き回って怪我でもしたら、と慌てて立ち上がり駆け寄る女性を見て、少女は顔を強張らせ怯えた様子を見せた。女性ははっとして歩みの速度を緩め、目線を合わせるように屈むと、「ごめんね」と言い、優しく少女の頬を撫でた。


 少女は怯えと困惑の混じった表情で女性を見つめていたが、泣き出すことは無かった。幼い割には随分と肝が据わっているように見えた。

 濡らした布で少女の眠たそうな顔を優しく拭く。冷たかったのか、少女はびくりと身を震わせたが、目を閉じてじっと耐えていた。


「あなた、お名前は?」


と女性が尋ねるが、少女は首をかしげて「あー、た? な、まえ?」と拙い言葉を発するだけであった。落ち着き方の割には、やはり見た目通りに幼く、言葉も殆ど知らないようで、女性が色々と尋ねてみるもののたどたどしく復唱するだけであった。

 ただ、「ママ」や「パパ」といった一部の言葉には、手や顔が動いたり、やや語気が強くなるなどの反応を示し、全く言葉を知らない様子ではなかったので、1歳を少し過ぎた程度だろうと女性は推測した。


 女性からの質問は、いつの間にか少女に言葉を教える行為に変わっていったが、そのうち少しずつ少女の口数が減り、表情も虚ろで元気がなくなっていった。

 そういえば、と女性は慌てて食べ物の用意をする。昨日の夕方に寝かしつけてからまだ何も口にしていないので、少女の様子が悪くなるのも仕方の無いことだった。むしろよく文句も言わずに我慢していたと思う。


 残念ながら、この町では穀物を含めた植物由来の食品は値段が高く、いくら物を売って生活できているとはいえ、スラムの女性に買える物ではなかった為、幼い子どもが無理なく食べられるような、ご飯やパンなどの柔らかい食べ物は無い。

 代わりに、特産品である畜産物の中でも乳製品は、彼女でもある程度の量を買えるくらいの安値のものもあった。


 女性は水洗いした空き缶の中に生乳を入れ、窯の火に当てて温める。温度を確かめつつ、ほんのり温まったところで火から降ろし、小さな器にへ注ぎ移す。

 ちなみにこの器などの食器や調理に使っている道具は、女性がスラムを巡り廃墟の中から使えそうなものを選んで持ってきたものである。

 水は雪を火に当てて溶かせばいくらでも手に入る。沸騰させてから冷ましているので、ただ溶かしただけのものよりも綺麗な状態だ。


 少女に与える準備ができたら、与える前に大きめの器に生乳を注ぎ、その中に女性でも手に入れることができる、貴重な植物食品であるクズ野菜を洗い入れて火にかけておく。


 それからようやく、待ちくたびれた様子の少女の元へ行き、温かい生乳を匙で掬いそっと口元へ寄せる。警戒して拒否されたら、と心配もあったが、少女がしっかりと飲んでくれたため女性はほっと息をついた。


 全て飲み終えると少女は少し満足したのか、暗かった表情が和らいでいた。

 女性は少女の口を拭くと、火にかけていた野菜の様子を見る。生乳は沸騰しており、元々小さかったクズ野菜にはしっかりと火が通っていた。調味料は入っていないため味気ないものではあるが、彼女にとっては貴重な栄養源となる。


 女性が器に一掬いし、口にして温まっていると、少女がじっとその様子を見つめていることに気がつく。

 女性は少女に微笑を返すと、匙で野菜を掬い、息を吹きかけて冷ましてから少女に与える。少女は女性の顔色を伺いながら、恐る恐るといったように口に入れると、ゆっくり味わうように咀嚼する。

 固形物を口にできたことで満足感が更に得られたのか、少女の口元には笑みが浮かび、女性の顔をキラキラした目で見つめていた。女性が再び与えると、我慢していたのを解き放つように「もっと」と言って何度もねだってきた。女性は「はいはい」と言いながら、少女が完全に満足するまで野菜を与え続けた。



 食事を終えると、少女は先ほどよりも元気に言葉を発するようになった。やはり空腹を我慢していたようだ。

 その様子を見てほっとしたが、同時に1歳程度の子どもが欲求を我慢するなど、普通だったらありえないだろうと女性は考える。

 一人でいた時は大泣きしていたが、一度泣き止んでからというものの、知らない大人に急に近づかれても泣かなかったり、いきなり触られたり話しかけられても、嫌がったりしなかった。


 もしもこの少女が捨てられた理由が口減らしであったのならば、食事に関して抑圧されていたのかもしれない。

 そうだとしたら、お腹が空いたと暴れたり泣いたりしたところで何も与えられなかっただろうし、もしかすると手をあげられていたかもしれない。

 それが積み重なり、大人と言う存在に逆らうことはできないと、本能のレベルで刷り込まれてしまっているのかもしれない。


 本当のところは分からないし、考えすぎかもしれない。けれどその可能性は十分ある。先ほどより表情がはっきりしたため分かるようになったが、「ママ」や「パパ」に反応を示しても、その顔は少し暗い。

 そんな少女に、自分が親代わりになるとしても「ママ」などとは呼ばせることはできないと、女性は考えた。


「ばあば?」

「そうよ。 私は、あなたのばあば、ね」


 少女の反応から察するに、祖父母とは殆ど接触が無かったように感じた。年の差も考えると、それの方がしっくりくるだろうと、女性はそう思った。

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