390.目覚めの朝
食事を終えた後、リエティール達三人は店を出て宿泊施設へと戻った。イップも同じように宿泊施設を利用していたが、建物は違うものであったため途中で別れた。
「おやすみなさい」
「はい、リエティールさんも、明日は頑張ってください。 おやすみなさい」
扉の前でそう言葉を交わし、二人はそれぞれの部屋に入った。
部屋に入ったリエティールは、ロエトを下ろすとコートを脱いで傍らに置き、すぐにベッドに横になった。
今日の試合で感じた高揚感、久しぶりにイップと再会できた喜び、そして明日に対する緊張感が、リエティールの鼓動を強く早めていた。
明日の為にも早く眠らなければならないとわかっていながらも、その高鳴りが耳元でなり続け、目が冴えてしまってなかなか眠れずにいた。
何度か落ち着きなく寝返りを打った後、
「ロエト、私が明日早くに起きなかったら、ちゃんと起こしてね」
と、傍らのロエトに声をかける。
「フルル」
了解したと首を縦に振って答えるその姿を見た後、リエティールも小さく頷き、それから無理やりにでも寝なければと、固く目を閉じた。
瞼の裏の暗闇を見つめながら、暫くの間は心臓の音に気を散らせていたが、いつの間にか眠りの底へと落ちていった。
辺り一面真っ白な空間で、リエティールはぼんやりと立ち尽くしていた。
頭は回らず、体も重たいが、なぜか耳鳴りがするように落ち着かなくて居心地が悪かった。
そんな風にボーっとしていると、不意に何かに引っ張られる。そちらに目を向けてリエティールは名前を口にした。
「エフィ」
そこにいたのはエフィ、エフナラヴァであった。リエティールの半分ほどの背丈しかないエフナラヴァは、小さな口でリエティールの服の裾を甘噛みし、こっちへ来いと言うように引っ張っていた。
されるがままにそちらへと歩きながら、ふと顔を上げると、そこでリエティールを待っている存在が目に入った。
「母さま……」
見上げるほど大きな「母さま」、氷竜がそこに鎮座し、優しく目を細めてリエティールとエフナラヴァを見つめていた。
氷竜がそのオーロラのような大きな翼を上にゆっくりと持ち上げると、エフナラヴァはリエティールをそこへ引っ張っていく。そして服の裾から口を放した。
リエティールは気が付けばそこで横になっていた。エフナラヴァがその胸の中に納まるように身を寄せる。
翼の天蓋に包まれると、先程まで感じていた居心地の悪さが、春の日の下の淡雪のように溶けていくように感じた。
リエティール自身もまた溶けていくように、気が付かないまま真っ白な闇の中へ意識を手放していった。
「……!」
翌朝、ガバリと音を立てるようにリエティールは目覚めた。窓からは建物の隙間から漏れ出る低い太陽の光がぼんやりと差し込んでいた。
「フルル?」
身を起こしたまま制止していたリエティールに、ロエトが不思議そうに鳴きかけた。その声にハッとして、リエティールは振り向き、そして目を合わせるとふっと微笑んだ。
「起きててくれたんだね、ありがとうロエト。 おはよう」
「フル!」
その笑みに応えるようにロエトも元気よく返事をする。
起きた瞬間から、リエティールの頭はすっきりと冴えていた。寝る前の興奮が嘘のように、ぐっすりと眠れていたようであった。
リエティールは胸元にそっと手を当てる。その手の中でペンダントがぬくもりに包まれる。
「ありがとう、エフィ、母さま……」
ささやきかけるように、小さく呟く。夢の記憶は、不思議とはっきり残っていた。
あの夢は、旅立つ前、リエティールが送っていた日常の一コマであった。氷竜の翼に包まれ、エフナラヴァの隣で眠ると、あっという間に心地よく眠ることができた。夢は、まさにその記憶をそのまま見ていたかのように正確であった。
リエティールは目が覚めてそれが夢であったと自覚してすぐ、それはしっかりと眠れずにいる自分を眠らせるために、エフナラヴァと氷竜がはたらきかけて見せてくれたものだと感じた。
言葉こそなかったが、エフナラヴァの無邪気な目も、氷竜の慈愛に満ちた微笑みも、リエティールに安心感を与えるものであった。
「……ふぅ」
一つ、短く息を吐き出して、リエティールは気持ちを切り替える。ベッドから立ち上がりコートを着込む。
「行こう、ロエト! 早く行かないと混んじゃうよね!」
「フルゥ!」
ロエトに呼びかけ肩に乗せ、部屋を出て施設を出、まっすぐに闘技場に向かう。
まだ早朝ではあるが人は既に集まりだしていた。リエティールはその人の流れに沿って歩きながら、途中で「選手専用入り口はこちら」と書かれた長い看板を見つけた。
その指示に従って先に進むと、リエティール以外にも複数のエルトネと合流した。まだ眠そうな目をした者もいれば、気合十分に体を動かしながら歩いている者もいる。
リエティールはそんな人々の姿を見ながら、一度大きく深呼吸して、それから再び中へ向かって歩き出した。その胸の高鳴りは緊張によるものではなく、期待によるものであった。




