34.落ち着かない朝
初めてのベッドでの眠りは、少女を深い眠りに導いたのか、夢を見させることはなかった。少女は久しぶりに純粋な睡眠を経験することができた。
ドロクの町からこのエトマーへの道中、少女は客観的に見れば歩き通しであった。どういうことかと言えば、少女は時空魔法で生み出される、時間の進まない空間の中で定期的に休息を取っていたのである。それに加えて魔法で雪を退けることができるようになった少女は、普通であれば早く進んでも2、3日かかる野営が必要な道程を、たった1日で歩ききってしまったのである。
その間の眠りの中では、少女は浅い眠りにしかつけず、毎回欠かすことなく記憶を辿る夢を見ていた。それ故、深い眠りというのは少女には随分と久しぶりであったのだ。
目が覚めた少女はゆっくりと起き上がり辺りを見回す。それから惜しむようにベッドから立ち上がった少女は、寝る前に傍らに脱ぎ置いたコートに手を掛けようとして、机の上に置かれていた、身だしなみを確認するためであろう小さな手鏡に気がついた。なんと無しにそれを覗き込んだ少女は、自分の顔周りをじっくりと観察する。その時意識を集中して、ふと首の付け根辺りに違和感を感じて、ワンピースの襟を広げて中を覗いた。そして目に映ったものを見て、慌ててコートに手を掛けてそれを着込んだ。
何故か、それは少女がワンピースの襟元から「鱗」があることに気がついてしまったからである。先日氷の鏡で確認した時は、見える範囲だけを気にしていたので気がつかなかったのだ。寝ている間は無防備ではあったが、流石に襟の中までは見られてはいないだろう、と少女は思うが、それでもあまりの驚きに心臓が高鳴っている。
その衝撃でじっくり見ることは無かったが、少女は普通の鏡を見たことで初めて自分の目の色が氷竜と同じように白くなっていることにも気がついていた。
深呼吸をしてようやく落ち着いてから、身だしなみの最終確認をして少女は部屋を出た。玄関口のある、昨日話をした場所へ行くと、そこには同じ顔ぶれが揃って少女を待っていた。
「あ、おはよう!」
少女を見つけて一番に声をかけたのが、ドライグで働く女性であった。ニコニコとした笑顔に、少女も「おはようございます」と返し、周りにいたソレアや商人たちも軽く頭を下げて挨拶を交わした。
近付いて一番に、ソレアが少女に向かって口を開いた。
「商人たちに話はつけておいた。 クシルブまで乗っていく許可はちゃんと取れたぞ」
いい笑顔で告げるソレアの横で、商人たちはあまり良くない顔色でばつが悪そうに、
「いや、昨日は全く気づかんですまなかったな……」
などと、少女を完全無視していたことを反省しているようであった。二日酔いで萎れているのもあるのだろうが、商売が絡まず酒が入っていなければ、いたってまともな人々のようであった。
そういった話をしていると、ドライグの奥から昨日はいなかった人物が現れ、少女達の方へ近付いてきた。全員が気がついて顔を向けると、そこにいたのは背が高く、しかし力仕事はあまり向いていなさそうな、優しげな顔をした男性が立っていた。その男性は、
「いや、昨日は顔を出せずにすみませんでした、皆さん」
と申し訳なさそうに口を開いた。女性やソレア、商人達はそれが誰かを知っているようで、口々に気にしないでというように返していたが、少女だけは誰か分からず、頭上に疑問符を浮かべていた。そんな様子にいち早く気がついた女性が、小さく謝ってから男性が何者かを説明する。
「この人は私のお父さん、そしてドライグ長……このドライグの責任者なの」
そう説明された男性は、少女に向き直って、
「自己紹介が遅れてすみません。 今紹介されたとおり、私はこのドライグの責任者をしているセシフです」
と名乗った。少女がそれに頭を下げると、それで、とソレアがセシフに話しかける。
「昨日はどうなさったんですか?」
「ああ、実はですね、皆さんご存知のことと思いますが、ドロクの町で問題が起きましたでしょう? その件で最寄の町であるこのエトマーに対して、国から色々と要望が来まして……。
近々調査隊がドロクの町に向かうということで、滞在に向けた準備や道の除雪の協力要請……」
そこまで話しかけて、女性から待ったがかかる。
「ちょっとお父さん、そういう大事な話はこんなところで話していいものじゃないでしょう!」
そう叱られて、セシフはしまったという顔で、視線を女性からソレアたちに戻し、
「……すみません、ここで聞いたことはくれぐれも内密にお願いします」
と頼んだ。内容がなんであれ、国からの連絡である以上、そう簡単に外部に漏らしていいことではない。知り合いであったが故に口を滑らせてしまったが、もしここに外部の敵意あるものがいれば、情報を元に何らかの妨害をされることもありえたのだ。セシフはすっかり元気をなくしてしょぼくれてしまった。そんな彼を女性は呆れたような目で見ていた。
そんな様子を見てソレアは苦笑しつつも、次に少女に向き直って、
「……それで、共に行けることになったのだが、如何せん彼らがまだこんな調子なのでな、もう少し待っていてほしい」
と言いつつ、二日酔いの商人達を見る。顔色の悪い彼らは面目ない、と言った様子でセシフよりもしょぼくれており、女性が用意したのであろう飲み物を弱弱しく飲んでいた。
そんな、どことなく沈んだ空気を掃うかのように、女性はパンと手を打ち鳴らし、
「さ、朝食にしましょう!」
と明るく言うと、厨房のあるほうへと足早に去っていった。セシフは慌ててその後を追うようにその場を去り、残された少女たちは取りあえず大人しく席について待つことにした。
出されたのはトーストに、生野菜でできたダラスという料理を添えたもの、それにトルゴイと呼ばれる家畜の乳を醗酵させて作られるデザートまでつけられていた。
ここでも少女は無償でご馳走されることに抵抗を感じて、女性に困ったような視線を向けていたので、向けられた女性は問題ないという風に笑って、
「代金は商人さん達からいただくわ。 商人さん達についていくなら貴女も一緒の一行って考えてもいいでしょう? 昨日のお酒の代金とまとめて払っていただくから、貴女は心配しないで食べて」
と言った。通常商人がエルトネなどを護衛として雇う時は、そのエルトネに掛かる費用も責任を負うことが多い。少女はエルトネでもなければ商人と正式に契約をしたわけでもないのだが、女性は少女を納得させる為にそれらしく理由をつけたのであった。




