342.首都エルグルトス
そうして少しの騒動はあったが、その後は喧嘩が起こることもなく、いくつかの町を経由して休憩を挟みつつ、フコアックは順調に進んでいった。
目的地へと向かうにつれて、町で見るエルトネの数は目に見えて増えていた。日が暮れる頃になると、皆一度フコアックから降り一泊することになり、宿へと向かう。こうして人が溢れることを見越しているのか、至る所に宿が建ち並んでいた。
道のりも凡そ半ばという事もあり、ここからは自分の足で行く、と気合を入れて話しているエルトネも何人かおり、フコアックも多少は空くだろうかなどとリエティールが思っていると、この町から乗るエルトネも大勢いるという声も聞こえてきたため、すぐにその希望は潰えることとなった。
凝り固まった体をほぐし、宿でぐっすり寝た次は再びフコアックに乗って続きの道を進む。乗りつつ、この混雑で疲れて歩くのを選ぶ人が多いのだろう、などと思いながら、もう乗りかかってしまって戻れないことに若干の後悔を抱き、街道を歩いていく人の姿を見届けてフコアックに乗り込んだ。
昨日と同じ程度に人で満ちたフコアックの中で、昨日と同じように大人しく過ごす。二日目にもなると皆疲れているのか、昨日のようなトラブルが起きることもなく静かであった。
退屈な時間が流れており、乗客の大半はうつらうつらと首をもたげ、リエティールも同じように眠りに落ちかかり、実際に何度か意識を飛ばしながらいると、
「まもなく帝国の首都エルグルトスへ到着します」
という御者の声が聞こえ、乗客たちは顔を上げた。その顔には一様に「やっとか」という安堵が浮かんでいる。空が美しい夕焼けに染まり、町に赤い色を映している頃であった。
「お疲れさまでした」
降りた乗客たちに御者が声をかける。御者は途中の休憩で交代していたが、それでも長時間手綱を引いていたのだ、同じように疲労を浮かべていたが、安堵感も含めた笑顔をしていた。
フコアックから降りた地点から町の中へと続く門は案の定混雑していた。恐らく他のルートから繋がっている別の門も同じような状況だろう。もう日が暮れるというのに、この様子で中へ入ることができるのだろうか?と不安を覚える光景であったが、思いのほか列はスムーズに進んでいた。どうやら検査のための門番の人数がかなり多いようだ。
証明書の確認と身体チェックを流れるように行うその様は、まるでバリッスの背中の草を一本一本引き抜くような、流れ作業であった。門番の手慣れた様子から、普段からこの日に備えて訓練してきたのではないかと思えるほどであった。
リエティールが中へ入った後も、後から続々と人が流し込まれ、休む間もなく町の中へと押し流されていく。流石にそれから逃れることもできず、流されるままに進んでいくと、漸く自分の足で歩けるようになった時には、周囲は宿だらけであった。
近場の宿からどんどんと埋まっていっているようで、入口に満室を知らせる従業員が立っていた。
なるべく人混みから早く離れるため、足早に奥の方へと向かい宿を選んでいると、ある宿の入口に丁度入っていく人影が目に留まった。
一瞬ちらりと見えただけであったが、その背格好に見覚えがあるように思えたリエティールは、つられるようにその宿へと入っていった。
「やっぱり」
中へ入り受付に立っている後姿を見て、リエティールは小さく呟いた。そこにいたのは昨日フコアックの中で男二人の喧嘩を窘めていた少年であった。
ただ同じフコアックに乗り合わせていただけで特に接点もない相手であったが、何も知らない人だけよりかは、顔だけでも知っている人物がいる方が安心感がある。
ほっとしたのも束の間、リエティールはふと目をやった場所に書かれていた宿泊費を見てぎょっとした。
リエティールはすっかり失念していたが、ここは仮にも首都である。ウォンズの王都と同じように、物価は高い。勿論宿泊費もその例外ではない。ナーツェンのように親切心で泊めてくれるわけではないのだ。
ただ、払えないわけではない。リエティールは金貨や白金貨も持っている。ここに至るまででおおよそその価値が高いことは把握していた。それでも、普段の食事にかかる値段からすれば、ここの宿泊費はバカにはならない。
リエティールが静かに戦々恐々としていると、不意に少年が後ろを振り返ってリエティールを見た。
「……君は」
その黒い瞳でリエティールを捉えてから少しの間を開けて、少年は呟いた。それから何かを考えるようにまた少しの間を開けてから、リエティールに対してこっちへ来るように指をくいっと曲げて示した。
表情が動かない少年が一体何を考えているのかわからないまま、リエティールはこうしていても仕方がないとその指示に従って近づくことにした。
リエティールが近くに来ると、少年はいきなりこう言った。
「僕と相部屋にしますか。 そうすれば半額で済みますが」
「え?」
何を言われるのかわからなかったリエティールは、その提案を聞いて思わず間抜けた声を漏らした。
普通、よく知らない異性にそのような提案をされたならば警戒し、断るべきだと思うだろう。ただし、そこはリエティールである。そういったことに対する不安感は持っていなかった。
ただ予想外の言葉に驚いただけであったリエティールは、ややあってから平常心を取り戻し、自分にとって得しかないと感じたその提案に頷くのであった。




