341.一悶着
満足のいく食事を終えた後、リエティールは宿を見つけて泊まり、翌朝に目を覚ました。
身だしなみを整えて、早速フコアック乗り場を目指す。その途中でも既に他のエルトネも多く行動を始めており、着くころには大勢が列をなしていた。
朝早くにも拘らず混雑になったその現場では、いそいそとフコアックが準備に追われていた。この時期のためにフコアックの数を増やしているのだろう。所狭しと並んだフコアックへ次々にエルトネが乗り込んでいき、限界まで乗ると続々と出発していく。
ごとごとと重い音を立てて何台かのフコアックが出発した後、漸くリエティールも乗り込み、大武闘大会の開催地であるトレセド帝国へ向けて町を発った。
フコアックの内部はとにかくエルトネだらけであった。リエティールは席の一番端に縮こまって座り、押しつぶされないようにだけ気を付けながら、槍を傍らにロエトを膝の上に抱えていた。
普段であれば窓の外の景色を見たり他の乗客と言葉を交わしたり、暇であれば本を読むという事もできたのだが、あまりにも混みすぎているためどうすることもできないでいた。
身動きができないのであればできないなりに、この窮屈な時間をなんとか気を紛らわせようと、リエティールは乗客の様子を見ていた。
人に人が重なり全体を把握することは不可能であったが、やはり若い男性が多く見られた。戦いを生業とするのであれば、力も体力もある方が有利であることには違いないためであろう。
だが勿論それだけではなく、女性もいれば背が低い人物もいる。誰でもなれる職業である故に、傾向はあれど様々な人物がいるようであった。寧ろ、色白な少女であるリエティールが、この中では一番エルトネとしては意外な人物であろう。
皆それぞれ自分の能力に自信はあるのだろうが、やはり満員のフコアックの中という環境は辛いものがあるのか、殆どが憂鬱そうな表情を浮かべていた。
そのような環境である故に、ストレスが溜まっているのは仕方のないことである。そうすると些細なことでも大きな苛立ちへと発展するのは自然な流れであった。
「おい! お前今俺の足を踏んだだろ!」
「は? なんだよ、ちょっとぶつかたっだけだろ、いちいちうるせえな!」
丁度リエティールの目の前に立っていた二人の男がそう言って喧嘩を始めた。突然始まったその怒鳴りあいに、周囲にいるエルトネは嫌そうに顔を歪め、少しでも離れようと反対側に身を寄せた。
リエティールも巻き込まれたら大変だ、と思い一層身を小さくし、目を合わせないように逸らした。
踏んだ、踏んでない、謝れ、うるさい、だのという言い争いは徐々にヒートアップし、このまま大騒ぎになったらどうしよう、という不安が周りの乗客の間に一様に広まった時、リエティールの丁度向かいの席に座っていた人物が二人に声をかけた。
「お二人とも、そのあたりでやめましょう」
「あぁん? なんだお前?」
突然割って入ってきた人物に、最初に怒鳴った方の男が反応する。男の顔は凶悪に歪んでおり、普通であれば少し臆してしまいそうな気迫に溢れていたが、話しかけた人物は全く怯えた様子もなく平然としていた。
人混み越しに見えるその人物は、リエティールよりも背が高いが男たちと比べると肩ほどもない少年であった。黒い装束を身にまとい、黒い髪に黒い瞳をし、リエティールほどではないが日焼けとは縁のなさそうな肌色をしていた。
「俺はなあ、今こいつと話してんだ! 関係ないやつは引っ込んでろ!」
苛立ちを押さえることはもはやできないといった調子で男は怒鳴るが、少年はやはり全く動じずに言う。
「関係あります。 あなた達の騒ぎのせいでフコアックが停まってしまったら、今ここに乗っている人全員に迷惑が掛かりますよね? 更に後続のフコアックにも迷惑が掛かります」
冷静な口調でそう言い、少年は男に向かって続ける。
「フコアックは多少なりとも揺れる物です。 それに加えてこれだけ人がいればぶつかったり足を踏んでしまうこともあるでしょう。 嫌な思いをしたからと言っていきなり怒鳴れば、相手だって気分が悪くなります。 大変なのはあなただけではないんです」
更に今度はもう一人の男性に顔を向けて話し続ける。
「あなたも、わざとではないからと言って何でも許されるわけではありません。 迷惑をかけてしまったのならまず一言謝るべきです」
「な、なんだと? この、生意気な……」
自分より明らかに年下に見える人物に諭されたことが気に入らないのか、一瞬怯みながらも言い返そうとした男であったが、
「わかりましたね?」
一段低くなった声に、突如ナイフのように変じた冷たい視線を投げられ、男は二人とも口を噤んで寒気を感じたように顔色を悪くした。
そして互いに「怒鳴って悪かった」「こっちこそすまん」と謝りあい、先程までの激しい言い争いなどまるでなかったかのように静かに収まった。
その様子に周囲の乗客からは安堵のため息が漏れ、少年は視線を外し元のように静かに座るのであった。




