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氷竜の娘  作者: 春風ハル
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33.穏やかな時間

 髪や角以外の変化も確認しておきたかったが、いよいよ頭痛が耐えられなくなってきた。無理して意識をずらしていたのだが、無視もできない痛みになってきたため、少女は雪の上に横たわると目を閉じて深く呼吸をし、そのまま自然に身を委ねた。


 眠ってからも少女の精神が休まることは無かった。寧ろここからが本番であり、眠ったことによって脳の機能の全てが膨大な量になった記憶の整理に当てられるようになった。それは夢と言った形で現れ、少女は擬似的に氷竜の記憶を断片的に追体験することになる。

 継承を無事に終えた少女が記憶に呑まれることはもう無かったが、夥しい量の記憶の体験は少女に休む暇を与えることは無かった。


 氷竜が生まれた理由、世界の抱える誰も知らない秘密、氷竜が語ることを阻んできた「事情」の真実。そして最期に氷竜が響かせた咆哮の持つ意味も、少女は改めて、一つ一つ丁寧に刻み込んでいった。


(こんなに、こんなに苦しんでいたんだ、母様は……)


 喜びと悲しみ、希望と絶望、そんな表裏一体の出来事が氷竜の体験の中には山程あった。

 この世に存在を得て、やがて生まれてきた様々な生き物に強い関心を寄せ、特に人間と出会ってからの氷竜は喜びという感情に満ちていた。

 最初にそこにあったのは「弱きものに寄せる慈愛」のようなものであったのが、時を経て「親愛なる我が子」のものへと変化していった。

 それから、人間との交流が一切断たれた後、氷竜は暗い闇の中に落とされたかのように、一切の喜びを感じていなかった。あるのは孤独と苦悩のみ。やがて子竜を必死の思いで生み出した時に、希望の感情が芽生えたが、すぐに苦労に呑み込まれてしまった。

 そんな真っ暗闇の中、一筋の明確な光が差し込んできたのは、少女と出会った時であった。その光は決して途切れることは無く、氷竜の心を照らしていた。


(喜んで、くれてたんだ……)


 口で言われるのとは違う、実際に自分が体験していることで、氷竜が自分を本当に愛していてくれたことを身をもって知り、少女は嬉しくなった。


 しかし、プツリ、と光が途絶え、少女は何もない世界へ放り出され、やがてまた別の記憶へと戻されていく。

 記憶が移り変わるのはほんの一瞬であった。だが、その僅かな一瞬で少女は死というものを知ってしまった。




***




「あ、目が覚めたのね」


 少女が目を開くとほぼ同時に、そんな声が聞こえてきた。少女は何度か瞬きをしてあたりを見回し、ようやく自分がどこにいるのかを思い出した。

 そんな少女の様子を見て、ドライグの女性はくすくすと笑う。


「商人さん達は一度目を覚ましたんだけど、皆具合が悪いってさっきまた寝ちゃったわ。 まだ起きるのに時間がかかりそうだし、この調子だとお話できるのは明日になると思うわ。

 貴女も、今日はここに泊まっていって」


 そう言われつつ、まだぼんやりしている少女は女性に手を引かれ、奥にある部屋の中の一つへ案内される。

 その部屋は、ドライグに必須である、緊急時に使われる簡易的な宿泊用の部屋であった。狭い部屋には二段ベッドが二つ並べられており、一つの机が置かれている。

 そうそう使われる部屋ではなく、特にこの辺境のドライグでは、そうそう事件などが起こることもないため、建てられてから一度も使われていない。そのため普段は布団も何もないのだが、今は二つあるうちの一つの下段にはしっかりと布団が用意されており、それは少女が眠っている間に女性が用意したものであった。


「まだ起きたばかりで眠くは無いでしょうけど、夜になったらここでちゃんと眠ってね」


 少女は生まれて初めて見るベッドを凝視して、目をぱちくりとさせていた。徐に触ってみると、柔らかく手が沈み込む。その感触に少女は、こんな良い環境で眠ることができるのかと感動さえ覚え、そしてすぐに対価を支払わなければならないと考えた。


「お金、ちゃんと払います」


 そう言って少女はコートの内側に慌てて手を入れるが、女性はそれを優しく制止する。


「いいのよ、お金なんて! この部屋はそもそも誰も使っていなかったんだし、お金を取れるようなものじゃないわ」


 それを聞いても「でも……」と口にする少女の頭を、女性はぽんと軽く撫でるように抑える。


「こういうものは、素直に甘えておくものなのよ」


 女性はそういってウィンクする。そう言われて、少女は嘗て自分を救ってくれた女性や氷竜が、自分に対して無償の愛を注いでくれたことを思い出し、なんとか自分を納得させた。


 そういった風にドライグの中を案内された後は、酔いつぶれてソファに並んで眠りに落ちている商人達を除いた、ソレアと少女に夕食が振舞われた。肉と野菜がとろみのあるスープでよく煮込まれたデューウェットという料理に柔らかいパンが添えられていた。

 女性はこれも「賄いよ」と言って少女に無償で与えてくれた。少女は今までまともな料理を食べたことは無かった。強いて言うならば野菜の牛乳煮込みは料理ではあるが、調味料の無いそれはただ体を温めて栄養を取るためだけのものであり、舌を楽しませるようなものではなかった。氷竜の蓄えていた食べ物も、パン以外は果物や生野菜のようなものしかなく、したがってまともな料理はこれが人生で初めてのものであった。

 デューウェットを口にした少女はあまりの美味しさに衝撃を受け、暫し放心状態になるほどであった。心配した女性が少女に声をかけたが、少女が「おいしい……」と口を開いたことに安心して、満面の笑みになって「おかわりもできるわよ」と告げた。

 少女のついで、といった流で、普段はお金を払って食事をするソレアも無償の食事にありつき、「悪いな」と言いつつも手を休めない。女性はその様子に苦笑をしながらも「今日は特別ですよ」と返した。


 そうして穏やかな時間が過ぎ、やがて日が暮れ夜が来ると、本来は宿に泊まる予定だったソレア達も、商人達がまともな状態ではないということで、少女とは別の部屋に泊まることとなった。

 少女は初めてのベッドに興奮していたが、やがてその心地よさに負けて、ぐっすりと寝入った。

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