30.辺境のドライグ
ウォンズ王国の町の中でも特に田舎町とされる辺鄙な町、エトマー。ドロクの町ができる前はここが世界最寒の町とも呼ばれていた、氷竜の禁足地からそれなりに離れた場所にある小さな町、というよりも集落や村と言ったほうがしっくりくる場所である。
嘗てはここが人間の生活圏の端と言われ、辛うじて数種の植物が育ち、自給自足が可能な土地であった。しかしそんな場所にわざわざ他所から来る者も無く、時たま、最寒という肩書きに釣られて記念に、という物好きが現れるくらいである。基本的には住人が仲間内だけで協力して暮らしているような場所であった。
ところがドロクの町が開発されると、この町から世界最寒という称号は剥奪される。特徴の無くなったこの地に訪れる者は遂にいなくなる、と言うことは無く、むしろドロクへ交易に向かう商人が中継地点として寄ることが増え、結果的に良い経済効果が齎され、町は少しずつ発展に向かっていった。
行商人にとっての要所となったことと資金が少し潤ったことで、「エルトネ」と呼ばれる者達のための、依頼などを受注したり休憩したりする建物「ドライグ」が建てられた。とはいえ、結局のところこの町を訪れるのは行商人の護衛をするエルトネばかりであり、依頼等も出ないため、半ばただの飲み食いできる集会所、のような認識になっている。
そんなドライグの中の一席に、苛立ちを露にする三人の壮年の商人の男達と、そこに同席しているがたいの良い、青年と言うには年を取っていて、壮年と言うには少し若い、護衛のエルトネの男が座っていた。
商人の男達が愚痴を吐いているのを、エルトネの男が少し困った様子で静かに見ている、といった様子であった。
「せっかくここまで時間と金をかけて来たって言うのに、なんだってドロクの町が閉鎖されてるんだよ!」
「全くだ! ドロクの町で商売する為にこんなところまで来てるって言うのに、これじゃ商売上がったりだ」
「そもそも何が原因なんだ?」
矢継早に出てくる愚痴を、エルトネの男は苦笑を浮かべながら口は出さずに大人しく聞き流す。
この商人達が荒れるのも無理はない。この町はただの中継地点であり、本命はドロクの町で仕入れたものを売り、良い畜産物を仕入れて戻ることだ。ここまで来るのにかかった時間と資金は戻ってこず、商品も仕入れられないとなったら、当然だろう。
閉鎖が解かれるまで待つと言う手もあるが、王宮から鳥の霊獣種が飛んできて閉鎖の連絡がここまで届いたのはつい先日という話で、しかも原因は分からず、そこに住んでいる領主との連絡も絶え、町の中がどういう状況かも判明していないらしい。何が起こったかわからない限り、そして安全が確認され、町が正常な状態に戻るまでは閉鎖を続ける、という内容であったため、待っていては余計に金がかかってしまうことも考えられた。
結局、帰還して別の町へ行くのが一番だと言う結論に至ったのだが、商人たちは気持ちが治まらないらしく、こうして何度も同じような愚痴を繰り返していた。
そんなテーブルに、給仕の女性が三杯の酒を持ってきて商人たちの前にそっと並べていく。そしてエルトネの男の前には、エフォックと呼ばれる黒く温かい飲み物を差し出す。
「お久しぶりです。 なんだか大変そうですね、ソレアさん」
そう話しかけられた、ソレアと呼ばれたエルトネの男は、困ったように笑いながら頭を掻き、
「まあ、事情が事情だからなあ、こうなってしまうのも仕方ないんだよ……うん、良い香りだ」
とエフォックの香りを楽しんで頷いてから、一口飲み満足げに笑う。それに釣られるように女性もまた小さく笑って、
「ふふ、喜んでもらえて嬉しいです。 でも、あんまり無理はしないでくださいね? ストレスは体に毒ですから、それを飲んでリラックスしてください」
と忠告する。ソレアは再び苦笑を浮かべ、「まいったな」と言いつつ頷く。
彼はこの行商部隊の護衛依頼をいつも受け、まあまあの頻度でこの町を訪れていた。故に女性とも顔なじみになり、それなりに親しい仲であった。
彼の飲むエフォックは、寒いこの国では上手く育てらない植物が原料となっているため割高であるのだが、この店で彼女が入れるエフォックは彼のお気に入りであり、いつも飲んでいる。
「これからどうするんですか? あなた方より先に来た商人達も諦めて帰っていましたが、クシルブへ引き返されるのですか?」
クシルブとは彼が活動拠点にしている、この町から一番近くの大きい町のことである。彼らがその町から来ていることも女性は知っていたため、そう尋ねた。ソレアはそれに頷くが、難しい顔になり、
「そうなんだが、それよりも今後のことが心配だ」
と零す。女性も、彼がドロクの町のことを心配しているのだと感づき、同じように困った顔になる。
「何があったのか国もまだ把握していないようだが、俺は何となく嫌な予感がする。 領主が音信不通となるなど、並大抵のことではありえない。 なにか非常事態が起きたに違いない。
そういえば、閉鎖の連絡より先に来て向かった商隊は?」
ソレアがふと気になって尋ねると、
「何組かいらっしゃったのですが、ドロクに続く街道が途中から物凄い豪雪に覆われていて、皆さんとても通れる状態ではなかったと言って引き返していらっしゃいました。
商人さん達が諦めるくらいですから、相当だと思いますよ」
と答える。それに対してソレアは訝しげな顔になる。
「街道が通れないレベルで埋まるほど? 街道はドロクから定期的に清掃係が派遣されているし、そんなことになったことは今まで聞いたことが無いな……。 これは本格的に大変なことになっているのかもしれないな。
暫くは復旧も見込めなさそうだし、下手をすれば半永久的に続くかも知れんな」
「そうですね……。 ドロクの町は禁足地に近い、周辺のこともよく分かっていない土地ですから、長年大丈夫だったとはいえ、絶対安心とはとても言えないですからね」
女性がそう返すと、ソレアもまた同意するが、それだけじゃないと彼は続ける。
「ドロクの町に行けないとなると、この町を訪れることも減るかもな。 ……この味を楽しめる時間が減るのは残念だ」
彼は惜しむように手に持つカップを揺らす。芳ばしい香りがふわりと辺りに漂う。
彼の言葉に、女性も頬にて頬を当てて悩ましげな表情になる。
「商人の方々が来られなくなりますと、このドライグも立ち行かなくなるかもしれませんねえ……。 ああ、昔の自給自足の貧しい町へと逆戻りしてしまうのでしょうか……」
ほう、とため息をついて憂鬱そうな表情をする女性にソレアは、
「それは困るな。 依頼が無くても暇を見つけて手伝いに来るから、もしドライグがなくなってもエフォッグは淹れてくれないか?」
と言う。その言葉に何を思ったのか、女性は「あら」と声を漏らし、どこか嬉しそうに笑って、
「ええ、勿論。 お待ちしています」
と答えるのであった。
そんな愚痴とほんわかとした空間が混ざり合う奇妙なドライグに、扉が開かれるベルの音が響き渡る。反射的に女性が「いらっしゃいませ」と挨拶をする。商人たちはと言うと、酒のせいか愚痴の言い合いが更に盛り上がっていて、それどころではないようであった。
普段は彼らがここを訪れるときには他の客は滅多に訪れることは無く、珍しいなとソレアは思った。そんな思いで何気なく新たな客の姿を観察する為に目を向けたのだが、彼はその容姿に驚いて目を見張った。
入ってきたその少女は、身につけている衣服以外、つまり肌だけでなく髪も、その目さえも真っ白だったのである。まるで、人間の姿をした氷の霊獣種がやってきたのかと思ったほどだ。




