306.駆け上がる翼
天竜が水を飲み干したところで、リエティールはふと気になったことを質問した。
「えっと……ロエトは誓約しないの? 一緒に戦っちゃダメ?」
誓約の水を用意している間も、ロエトはリエティールの後ろでじっとしており、一切関わっていなかった。お互いの命を守る為の誓約に参加していないということは、リエティールにとって多少なりとも不安な要素であった。それに対して、天竜は困り顔で小さく首をひねり答えた。
『戦っちゃダメってことはないけど、誓約はしない方がいいと思うの。 っていうのは、誓約を三人以上でやると良くないのよ。
まだ人間の間で誓約の魔法が失われていなかった頃私が偶々見ていたことなんだけど、四つの小さい国でいざこざが起きたの。 それで先例に倣ってトップで決闘をしようってなった時、決着を焦って四人が同時に戦うことにしたのね。
四人がそれぞれ誓約をして戦った結果、一人が戦いで即死、一人が瀕死になって後に死んじゃったの。 それを知った魔術師が言うには、同時に複数人と誓約をすると魔力が混ざって結果判別できなくなるんじゃないかって』
話を聞いたリエティールは誓約を行わない理由に納得した。もしここで天竜がロエトとも誓約をすれば、天竜の体内でリエティールとロエトを判別するための魔力が干渉しあい、結果としてリエティールもロエトも死亡するリスクが生まれる、というわけだ。
しかし、それでもロエトにはリスクがあるのかと、リエティールは心配になる。そんな気持ちが顔に出ていたのか、リエティールの様子を見ていた天竜はこう続けた。
『でも、ロエトは霊獣種でしょう? 霊獣種は体を維持できなくなるダメージを受けても、回復に十分な魔力があれば復活できるはずよ。 ここには風の魔力が豊富にあるんだから、そこまで心配しなくても大丈夫だと思うわ』
それを聞いたリエティールはロエトの方を向く。ロエトは天竜の言葉に同意するように頷いた。その態度を見てリエティールはようやく一安心し、胸を撫で下ろした。
『問題がなければ、そろそろ戦いを始めましょう? 私、楽しみでうずうずしてるの!』
天竜は間合いを取るように動くと、好戦的な笑みを浮かべリエティールの返事を待っている。朝の白んだ空も少しずつ青みを濃くしていき、気持ちの高ぶりを示すかのように天竜の体を鮮やかに染めていた。
「うん……ロエト、いこう」
『ああ』
お互いに頷きあい、リエティールは変化の魔法を解いてロエトの背に乗る。リエティールの姿が変わったのを、天竜は増々目を輝かせて興味深そうに、食い入るように見つめた。
槍を握り締め、深呼吸をして意識を戦いに集中させる。大きく息を吐いて真剣な表情で天竜を正面から見る。ロエトもリエティールの指示を聞き逃さないよう神経をとがらせている。
『先手は譲るわ、いつでもどうぞ!』
高らかに放たれた天竜の念話に、リエティールは一層体に力を入れると、
「行こうっ!」
と鋭く叫ぶ。
「ホロロロッ!」
応えるようにロエトも鳴き、天竜に向かって全速力で駆けだす。風の魔法を惜しみなく使いぐんぐんと加速していく。
正しく目にも留まらぬ速さ、普通であれば反応できないであろう速度まで一気に到達するが、それでも天竜の顔に焦りはない。
『速いね。 でも……』
天竜を間合いに捕らえ、リエティールが最初の一撃を突き出すよりわずかに早く、天竜はその翼を羽ばたかせて上昇した。
槍の穂先はむなしく空を突き、ロエトは少し進んだところで停まり、振り返って天竜を見上げた。
『私は風のプロフェッショナルなんだから、その程度の速度じゃ当たらないわよ! 次はこっちから行くわね』
そう宣言してから、天竜は大きく羽ばたいて高度を上げると、すぐにその体勢を下向きに反転させ、リエティール達目掛けて急降下を始めた。
「フルゥッ!」
いち早く危険を察知したロエトは地面を蹴って横に飛び、なんとか直撃は免れた。しかし天竜が通過した直後の強烈な風圧に踏ん張りが効かず、リエティール共々横方向へと吹き飛ばされ、地面に転がる。
『……へえ、なかなかやるじゃない!』
急いで立ち上がり再び立て直すリエティール達に向かって、天竜は猶更面白いというように笑みを深める。天竜が突撃した後には、数枚の羽根の先端が散っていた。
先ほどの突進の瞬間、避けるロエトの背の上でリエティールは槍の刃を天竜が通るであろう場所に対して一か八かと言う気持ちで振っていたのだ。それは当たりはしなかったものの、天竜の翼の先を僅かに掠め、羽根の先端を切っていたのだ。
それに気が付いた天竜は、自分の攻撃におじけづかず、果敢にも反撃を試みたその姿勢に感心をしていた。
『もっともっと、貴方の実力を見せて頂戴っ!』
興奮気味の天竜の言葉に、リエティールとロエトも釣られて高揚感を得る。そしてお互いに顔を見合わせる。
「やろう、ロエト! あなたの努力の成果を見せつけて!」
『勿論……っ!』
力強く地面を蹴り、ロエトは空中へと駆け出す。前脚の翼が風を捉え、二人は天竜と同じ高さまで上昇した。




