302.聳え立つ難関
山間から天竜の禁足地の姿が確認できるようになってからもなかなか辿り着くことはなく、リエティール達は荒れ果てた道を只管に歩き続けていた。
ここに至るまで人とすれ違うことも、最近人が通った形跡を見ることもなく、奥へ進むにつれて道はどんどん荒れてゆき、もはや整備された跡すら残っていないただの山道となっていた。
途中、リエティールを乗せて飛ぶ練習を兼ねて、荒れた岩場を飛び越えたこともあった。それを数度繰り返したおかげか、ロエトの飛行は大分様になってきていた。
人間が来ないためか、魔操種の数も少ない。それでも時たま現れては、リエティールの姿を見てご馳走だとでも判断したのかいきなり飛び出してくる。その後は、なりふり構わず飛び込んできたところをロエトに迎撃されて倒されるか、リエティールの魔力に気が付いてたじろいだところをロエトに仕留められるかの凡そ二択であった。
そうして進み続け夕方、リエティール達はようやく禁足地の麓へと到着した。真っ赤な空に逆光の黒い影を纏った、見上げきれない塔のような山が聳えている様子は、思わず圧倒される威圧的な雰囲気を与えていた。
まず、リエティールは周囲を肉眼で見回してから魔力を放ち探知を行う。すると岩陰に一つの気配を感じ取る。もしや人が隠れているのではないかと考えたリエティールは、ロエトと共にそっとその場所に向かってのぞき込む。だが、そこにいたのは眠って休んでいた無垢種であり、無垢種はリエティール達に気が付くと驚いて遠くへと逃げだしていった。
「誰もいないみたいだね」
『そのようだ』
一先ず見られて困る存在がいないことに安堵した二人は、改めて目の前の山を見上げた。頂上を霞ませその全貌を見るには高すぎる、山と言っていいのかと思わせる奇妙な姿をしたそれは、上空から高い風の音を響かせて二人を見下ろしていた。
『先に上空の様子を見て来よう』
ロエトはそう言うと、姿を鳥へと変化させ羽ばたき上昇する。初めは問題なく飛べているように見えたが、少し高度を上げると急に体をふらつかせ、程なくして危険だと判断したのか翼を畳んで地上へと戻ってきた。
「大丈夫?」
降りてきたロエトに駆け寄りリエティールが声をかける。ロエトは翼を閉じたり開いたりして調子を確かめた後、大丈夫だと頷き、
『見えないがかなり酷い風が吹いている。 魔法で対抗したところで意味がないだろう。 ましてやリーを背中に乗せた状態で飛ぶというのは……不可能だ』
最後の言葉にはあからさまな悔しさが滲み出ており、自らの無力感に怒りを感じている様子であった。
そんなロエトにリエティールはそっと手を添え、優しく声をかける。
「ありがとう、私のために体を張ってくれて。 ロエトは何も悪くないよ。 元々そう簡単には登れないって分かってたもん。 落ち着いて考えよう」
そうしてロエトを宥めてから、リエティールは再度上を見上げる。
「飛べないならよじ登る……のも、きっと無理だよね……」
山の形状の全貌は幾ら見つめてもわからないが、以前本で読んだ情報を信じるとするならば、ほぼ垂直の状態が続き、さらに上部は反り返っているという。
加えてロエトも諦めるほどの暴風となれば、幾ら登攀能力の高い人物であっても体力が持たないだろう。途中で休憩するにしても足場がなく、足場を用意することができる状態でもない。テントや寝袋を無理やり吊り下げたところで、風に攫われてしまうのがオチだろう。いずれにせよ無事で済むわけはなく、登頂記録がないというのも頷ける。
それでも物は試しと、リエティールは手足を変化魔法を解いて変化させると山肌に手を添える。大陸に上陸する際に崖を登ったのと同じ要領で、爪を壁に食い込ませてよじ登る。
初めは問題なく登れていたが、風が吹きつけるようになると途端にスピードが落ち、ほぼ進むことはできなくなった。
少しでも気を緩めれば吹き飛ばされるという状況で、片手を離すというのは非常に危険を伴い、しがみついているだけでも急速に体力が奪われていく。
それでもゆっくりと気を付けていれば登れないことはないと、リエティールは感じていた。疲れた時には時空魔法ですぐそばに空間の入り口を作り飛び込んでしまえばその中で休憩できる。
そう考えると登れるようにも思えるが、大きな問題がある。それは時間がかかりすぎるということである。時間の進まない空間の中で休憩できるとは言えども、この速度では登りきるのに何日、何か月、下手をすれば何年かかるかもわからない。それだけの時間をただ登るだけに費やすわけにはいかないだろう。
それに、ロエトが登ってこられないという問題もある。肩に乗せるにしろ、防風の中鳥の姿でリエティールの体にしがみつくことは困難であり、かと言って掴める手を持っていないロエトに同じようによじ登れというのは無理な話である。
「飛ぶのは無理、よじ登るのもダメ、だったらどうすれば……」
夕闇に立つ前人未到の遥かな山を見上げながら、リエティール達はただ頭を悩ませ続けた。




