288.身だしなみ
翌日、リエティールはトファルドの屋敷で王城からの迎えを待つことになった。昨晩トファルドの部屋に伝書鳥がやってきて、今日の午前中にも遣いを送ると連絡がきたそうだ。内容としてはまずレシンの受けるべき罰を決める裁きの場に、被害者としてトファルドとリエティールの参加を求め、それが終了した後、王城へ案内する、というものであった。
焼いたパンにダラス、デザートにトルゴイといった朝食をとりながら、トファルドはリエティールに尋ねた。
「そうだ、一つ聞きたいことがあるのだが、君のその服は魔道具なのか?」
「えっ?」
突然尋ねられたことに驚き、リエティールは思わず間の抜けた声を出す。そして何と答えるべきか続く言葉が出ないうちに、トファルドが先に続けた。
「昨日、君はあの炎の壁を特殊な装備らしきものを何一つ身につけずに突破した。 あれは直接触れたならば、鉄のようなものはすぐに溶けるほどの高温で危険なものだ、生半可な装備で突破できるものではない。
だとすれば、君が今身につけているその服こそが魔道具だと考えたのだが、違うか?」
否定のできない正しい推理に、リエティールはどう誤魔化せばいいかと視線を泳がせる。
「えと、そう、です……多分」
相手に確信を突かせない曖昧な答えを探し、口を突いて出たのはそんな頼りない言葉であった。
「多分? わからないのか?」
全く悪気のない様子でトファルドがそう問いかける。自分が使っているものの詳細が分からないということに純粋な疑問を持つのは当然のことだろう。
だがリエティールは内心の焦り故にそれすらも何か疑われているような気がし、トファルドから目を逸らしたまま頷き、力のない声で答えた。
「あの、えっと……これはおばあちゃんからもらったもので、よくわからないんです……でもいろいろ守ってくれるので、魔道具だとは……思います」
実際には氷竜と彼女自身が魔法を施しているのだが、それを正直に話すわけにもいかない。
出所不明と伝えれば詳細が分からなくても不思議ではないだろうと思い、そう答えた。すると案の定トファルドは深く疑うこともなく納得した様子で「そうか」と言い、一口パンを食べた。
なんとかやり過ごせたかとリエティールが内心ほっと一息ついていると、不意にまたトファルドが言葉を発した。
「興味があるのだが、調べさせてもらってもいいだろうか? 詳細が分かるのは君にとっても悪いことではないと思うのだが、どうだろう」
「えっ、その、それは……嫌です」
いきなり飛び出した提案に、リエティールは咄嗟にそう答えてしまった。するとトファルドは再び不思議そうな顔をするが、彼が疑問を口にするよりも先にリエティールは言葉を繋げた。
「これは、形見なので……あまり手放したくなくて、その……」
そう言ってから、断る理由としては弱いだろうか、身につけたままでいいから調べさせてほしいと言われたら断れないだろうか、などと不安が押し寄せ、リエティールの言葉尻は弱弱しく消え行った。
なんと言われるだろうかとびくついているリエティールに、意外なところから助け舟が出された。
「ほら、困らせるのはやめてあげなさい。 誰であろうと自分の大切なものを他人にあれこれされるのは嫌なものでしょう」
そう言ったのはトファルドの隣に座るルーフェカであった。彼女は上品にエートを一口啜ると、柔らかく微笑んでリエティールに顔を向け、穏やかな口調でこう言った。
「あなたは形見を大切にする優しい子なのね。 それはとても良いことだわ」
そう言われると、リエティールは強張っていた肩の力が抜け、心の内の不安が解れたような安心感を得、その口元にも自然な笑顔が浮かんだ。
一方のトファルドは、何か言ってはいけないことを言ってしまったのだろうかといった様子で、困り顔で頭をかいていた。
その後、何事もなく食事を終えると、トファルドは身支度をすると言い部屋に戻り、セルフス達は屋敷の掃除の続きを始めることとなった。
リエティールも当然手伝おうとしたのだが、フルールにそれを止められた。一体何故かと問うリエティールに、彼女はにっこりと微笑んで答えた。
「後でとはいっても王城に行くのだから、あなたも最低限の身だしなみは整えなきゃだめよ。 そうねぇ、まずは髪をしっかり洗って整えましょう。 そうだわ、ちょっとだけお化粧もしてみる?
うふふ、大丈夫よ。 私は自分もそうだし、ルディちゃんのお世話もできるんだから、ちゃんとかわいくしてあげるわよ!」
リエティールに断る隙を少しも与えずそう言った彼女は誰からみてもウキウキとしているのが明らかであった。
有無を言わさずリエティールを浴室へと連れ去るフルール。リエティールが小さく「昨日洗ったばかりなのに……」と呟くと、それを聞き逃さず、
「ダメよ? 本当は毎日しっかり綺麗にするべきなのに。 特にリエティールちゃんみたいに年頃の女の子はね。 さ、じっとしててちょうだいね」
と言い、リエティールを洗面台の前に座らせ、せっせと準備をする。フルールのテクニックは彼女の自負する通りに上手く、リエティールは思わずうつらうつらとしてしまうほどであった。
目を閉じる前に洗髪が終わり、風の魔道具で髪を乾かすとブラシで丁寧に梳かしていく。
そのまま流れるように化粧道具が取り出され、手際よく進められていく。
「あなたは肌がとっても白くて綺麗だから、少し赤みを入れるだけでも素敵ね、羨ましいわ」
そうこうしている間にあっという間に化粧は終わり、フルールは化粧を落とすための薬液を染み込ませた布をリエティールに渡した。続けて服も全体的にブラシをかけると、最後に甘い花の香りがほのかにする香水をかけた。
それと同時に、屋敷の中にベルのような音が鳴り響く。
「どうやら間に合ったみたい。 よかったわ」
満足げにそう笑うフルールとは対照的に、何もしていないのにどこか疲れた様子のリエティールは、やっと終わったと安堵のため息をついた。




