276.炎の檻
襲撃者が針を投げるのとほぼ同時に、トファルドは杖を前方に向けて突き出した。するとその先端から爆発するような風が生まれ、飛んできた針と激突する。
風に揉まれた針は勢いを僅かに落とすと、ぐらりと揺れて軌道が逸れ、トファルドの横を通って後方に落ちた。
だが、襲撃者の手には新たな針がすでに準備されていた。大量に隠し持つことができるというのは針の利点である。隙の多いトファルドでは相性があまりにも悪い。
トファルドが杖を突きだしたままの体制であるうちに、襲撃者は新たな針を投擲した。避けられないと、見ていたリエティールが息をのむと同時に、
「動けっ!」
とトファルドが唸るような叫びをあげる。すると再び杖から強い風が発生し、トファルドの体を無理やり引っ張るように動かして、乱暴な動きで針を交わした。
それによって彼の体制は崩れ、襲撃者は再び新たな針を投擲する。それでもトファルドは再度杖から風を発生させ、無理やりにでも避ける、といった行為を続けた。
その動きは無茶苦茶なもので、どこに動くか予測できないために、襲撃者も先読みをして針を投げることができない様子であった。
しびれを切らした襲撃者は、トファルドを無視して屋敷の方へ向かおうとする。リエティールと同様に、無理に倒す必要もないのである。
襲撃者がトファルドの横をすり抜け、屋敷へとまっすぐに走る。普通であればまずいと考える状況であったが、襲撃者が自分の背後へまっすぐ向かってきたのを見てトファルドは、
「そう簡単には行かせん」
と呟き、同時に杖の下部を地面に突き立てた。
その直後、トファルドが持つ杖が赤く発光したかと思うと、それは徐々に拡大しながら周囲に熱を放ち始めた。
それを見た襲撃者は咄嗟に阻止するべきだと判断し、トファルドの手元に向かって針を投げた。僅かに反応速度が間に合わなかったトファルドの手を針が掠める。その痛みにより、杖を離すつもりは毛頭なかったが反射的に手放してしまった。
しかし発動した魔法が止まることはなく、繰り手を失った杖は指向性も失い、襲撃者だけではなくトファルドも巻き込んで熱波を放った。
熱波が広がると、二人を包み込むように周囲に激しい火が燃え盛った。一瞬にして炎のドームが現れたのだ。
目の前に現れた炎の壁に、襲撃者は足を止めざるを得なくなる。壁から噴き出した炎よりもはるかに高温であることを、肌を焦がすほどの熱さで伝えてくるそれに、迂闊に触れることはできないと感じたのだろう。そしてトファルドを振り返る。そこから感情を窺うことはできないが、煩わしく感じていることだろう。
この仕掛けは、トファルドが設計し、セイネが家を出る前の最後に手を加えた、この屋敷の中でもかなり大掛かりな仕掛けであった。
無数の火の命玉を用いて高温の炎の輪を作り、風の命玉で形をドーム状に制御する。そして水の命玉で周囲への延焼を防止している。
予め地面の中にその術式を仕込んでおき、範囲内で杖を使用すれば起動するという仕組みであった。
トファルドが最初に接近した際にこれを使わなかったのは、その範囲に入っていなかったためであった。そして、リエティールが介入した後に後方へ下がったのは、支援に徹するためともう一つ、起動可能地点に待機するためでもあったのだ。
トファルドの杖は様々な種類の命玉を組み込んだ万能の魔道具であると同時に、この仕掛けを起動するための鍵でもあった。
一つ誤算があるとすれば、トファルドも共に中に入ってしまっていることだろう。だが、彼は不測の事態であるにも拘らず、それを全く気にしていないように襲撃者に向き合う。
「さあ、足止めはしっかりさせてもらうぞ」
向かい合った襲撃者に対しそう声をかけるトファルド。足止めはできたものの圧倒的に相性が悪く不利であるのには変わらないが、それでも臆する様子は見せない。
魔道具である以上、命玉の魔力が尽きてしまえばいよいよどうしようもなくなる。だが、それが残りどれくらいであるかを相手に悟らせないためにも、少しの不安も見せてはいけない。
動きを止めた襲撃者に、今度はトファルドから攻撃を仕掛ける。杖を低く振るうと、そこから炎が生まれて襲撃者に迫る。
襲撃者は壁と放たれた炎の僅かな隙間を見つけると、軽やかな身のこなしで跳躍し躱しつつ、着地するよりも先に針を放った。
トファルドは先ほどと同じように杖を突きだし、暴風をもって針を逸らす。そして続けて杖を地面に叩きつけるように振り下ろすと、セルフスを守った時と同じように衝撃波の形に地面が盛り上がり、今度は襲撃者目がけて伸びていく。
体を捻って回避した襲撃者は、側面を蹴り勢いをつけて着地し、また攻撃の体制を取り直す。
炎のドームの中で激しい戦いが繰り広げられている一方、リエティールは自らの手首にくっついた手枷をどう取り外すかを必死に考えていた。
何度か地面に叩きつけて破壊を試みたものの、かなり頑丈であるようでびくともしなかった。
この魔道具は見た目からして地の属性で金属のような性質に変化していると推測できる。金属といえば、とリエティールは武器屋「ラエズ」で、ニリッツが溶接作業をしていた様子を思い出す。
金属は高温で柔らかくなる、と、炎を見上げる。だが、すぐに首を横に振って自らの考えを否定する。リエティール自体は炎を浴びても、恐らく氷竜の魔法で無事かもしれないが、絶対に無傷でいられるとも限らず、そもそも本当に金属であるのか、どんな物質なのかわからない以上、炎で手枷が融けるかどうかもわからない。
「どうしよう……」
トファルドが戦う方を見ながら、いい考えが思いつかないことに焦りを募らせる。魔力が尽きるのが先か、トファルドが力尽きるのが先か、いずれにせよそう長くは持ちこたえられないだろう。
そもそも自分がここに来さえしなければこんな風に巻き込まずに済んだのに、とリエティールは拳を握り唇を噛んだ。一度不安が現れると、心が大きく揺れ動き一気に弱気になってしまう。なんとかしなければ、と思えども、思考がうまく働かなくなってしまったリエティールは、ただ不安に任せて動悸を速めることしかできなくなっていた。




