263.研究室の霊獣種
リエティールの肩の上でロエトと鳴き声を交わしているムブラは、未だに長い尻尾を器用に絡ませており、頭を抱える男性研究員には見向きもしていなかった。
リエティールは自分かロエトの言葉なら聞いてくれるのでは無いかと思い、声をかけようとしたが、そのタイミングでエリセがこう言った。
「それにしても随分懐いているわね。 その子ね、見つけたときは本当に弱って怯えていて、元気に飛び回るようになったのは……一昨日くらいからだったかしら。 漸く人に慣れたばかりだって言うのに、うらやま……不思議だわ」
途中でうっかり本音を言いかけて、慌てて言葉を変える。リエティールとしては特段気にすることでもないのだが、男性研究員の態度を見るに、ここではそれなりの尊厳を保っているのかもしれない。
それから彼女は一つ咳払いをして仕切りなおし、続けてこう言った。
「そんなに懐いているのなら、ここにいる間は君と一緒にいる方が落ち着いていて良いかもしれないわね。 君さえ良ければの話だけど、どうかしら?」
そう言われ、驚きつつも肩の上に目を向けるリエティール。すると、ムブラもその目を見返して「ピャ?」と首を傾げる。
「その子の目が悪いのは、その子を飼っていた人物が何かをしたからかもしれないの。 今は竜類の新たな飼育は禁止されているんだけど、適当な言い訳をでっちあげたりして、隠れて飼って取引に使うような貴族もまだいるのよ。 そこから逃げてきたのかも、って考えているわ。
だから、その子が安心しているなら、是非一緒にいてあげて欲しいのだけれど……」
エリセがそう付け加える。もしそれが本当であれば人間、目が殆ど見えない今はそれ以外にも、自分以外の生物の存在に恐怖心を抱いても仕方が無い。そうだとすればかなりのストレスを受けているはずである。
そんな中で、目に見えて強い魔力を宿した、普通の人間とは明らかに異なる特徴を持っている存在は、ムブラにとって無条件に縋りたくなる存在なのだろう。
リエティールはそっと、ムブラに手を触れる。触れた瞬間、驚いたように短く声を上げたムブラだったが、そのままゆっくりと撫でると、嬉しそうに目を細めた。ガッシリと絡み付けていた尻尾の力も緩み、完全に安心しきっている様子であった。
「わかりました、一緒にいます」
リエティールがそう答えると、エリセも嬉しそうに微笑む。その隣で、男性研究員は話がまとまったことに安堵した様子で、深く息をついて額の汗を拭っていた。
ムブラを肩の上に乗せたまま、研究室の見学が再開された。
幾つかの部屋を覗きながら、そこにいる霊獣種の様子を見る。
ここにいる霊獣種は、ほぼ全てがエルトネをしている霊獣使いから一時的に借りているものだという。
それというのも、幾ら基本的に食費などが掛からない霊獣種とは言え、管理するには場所や相性なども考慮しなければならず、他の課などとの兼ね合いもあり限界がある。そもそも契約まで漕ぎつける霊獣種を探すことも一苦労なのだ。
そこで、霊獣使いに報酬を払い一時的に借りることで研究をしているのである。この形式だと長期間にわたる研究は不可能であるものの、さまざまな霊獣種を見ることができ、特に近辺では見られない属性の霊獣種も複数研究することができるというメリットが存在する。勿論、国の管轄であるためエルトネにとっても信頼でき、報酬も十分もらえるため、霊獣種自身が嫌がらない限り協力する者が多い。
「ほら、火の霊獣種よ。 この子もエルトネから一時的に借りてる子なの」
一つの部屋の内部を窓越しに指差し、エリセがそう言う。部屋の中では赤く揺らめく毛皮を持った霊獣種が、研究員の指示に従って小さな火を放っている。
火属性の生物は主に大陸南部、炎竜の禁足地の影響が強い地域に住んでいる。その逆で、北部やウォンズ王国の方面には殆ど生息していない。
無垢種には火を怖がるものも多いため、火の霊獣種も魔操種の姿を使うものの方が多い。自身が火を使うのに生物の本能として火を怖がっては本末転倒であるためだ。
「ピャウゥ~」
リエティールの肩の上でムブラが興味深そうに窓の方を見つめていた。霊獣種の微かな魔力をみつけたのだろう。とはいえ、リエティールやロエトほど強いわけではないため、そちらへ向かって飛び出すというような事は無かった。
「色んな霊獣種を見てきたけど、君のパートナーみたいな子は初めて見るわ」
「あ、そのことなんですけど……見学している間、ロエトを見ていてもらおうかと思って」
エリセの意識がロエトに向いたタイミングで、リエティールも話を切り出す。すると、エリセは目を丸くして驚き、
「えっ? 本当にいいの!?」
とリエティールに詰め寄って問い返す。リエティールはたじろぎながら頷く。ロエトも若干引き気味で、ムブラは状況が分からずキョロキョロとしている。
ハッとしてエリセは顔を引き、申し訳なさそうに苦笑いをしながら、
「ごめんなさい、嬉しくてつい……でも、本当に嬉しいわ! えっと、お礼は……」
と言いかけた。それに対してリエティールは首を振ってこう返す。
「見学させてもらうお礼です。 だから何も要りません」
その答えにエリセは困りながらも微笑んで、
「ありがとう。 でも何となく私の気持ち的にね。 まあ、適当なものを考えておくわね」
と答えた。リエティールは引き下がろうかとも思ったが、断り続けてもエリセを困らせるだろうと思いとどまり、どうするかは彼女に任せようと考えて、それ以上は言わずに頷いた。




