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氷竜の娘  作者: 春風ハル
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25.叫び

(これは、何?)


 少女は目の前の光景が現実だとは思えなかった。

 怒り狂い叫びながら人々を蹂躙するそれが、あの氷竜エキ・ノガードだとは思えなかった。至る所から響いてくる断末魔が耳にこびり付くようだ。


「古種の怒りに触れれば命はない」


 女性が言い聞かせるように言ったその言葉を思い出す。怒りとはこれ程までに恐ろしいものなのか。


 夢ならば、今すぐに覚めてほしい。と少女は願った。


 氷竜が、あの優しい目をして、人間ナムフとの交流の日々を語っていた氷竜が、形振り構わず人々の命を奪うなど、とてもではないが信じたくは無かった。


 少女はすっかり腰が抜け、動ける状態ではなかった。しかしそれでも、なんとかしなければという思いだけが強くあり、震える手足を無理矢理動かして傍らの檻に縋りつくようにして体を立ち上がらせる。ガクガクと震える脚ではとても自立できるとは思えなかった。

 それでも、なんとかして少しでも、上空にいる氷竜に近付きたかった。


 少女は、氷竜の豹変の原因は怒りだけではないと考えていた。

 我が子が殺されたのだ、当然怒るだろう。しかし、それだけであそこまで狂ったように暴れ出すとは、少女には思えなかった。

 氷竜は人間を大切に思っていた。人間を拒んでいたのには理由があるのだということも今は知っている。人間である少女を優しく迎え入れ、命の危機から救ってくれたほどだ。だから、あの氷竜を突き動かすものが他にあるのだと思った。

 それに、少女は氷竜の雄叫びを何度も聞いて、気がついたのだ。その声色が「憤怒」だけではなく、どこか「悲哀」や「苦痛」を孕んでいると。怒りの咆哮ではなく、苦艱の慟哭なのではないか、と。


 つまり、あれは氷竜の本心からの行動ではないのだ。意識を何らかに奪われ、望まない行動をしている。それに必死で抗っているのだ。

 少女はそう判断し、なんとかして氷竜の正気を取り戻さなければならないと思った。


「……母様! 母様!」


 少女は恐怖に震える自分を奮い立たせ、必死で声を絞り出す。しかし少女の声は激しい吹雪に遮られ、氷竜には届かない。氷竜は少女の視線の先で荒れ狂いながら、どんどん離れていく。既に人の悲鳴も聞こえなくなりつつある。

 少女は意を決して自力で立ち上がり、もつれそうになる足を必死で動かし、氷竜を追い駆ける。

 少女は子竜のように雪を退けることも、ましてや飛ぶこともできない。その歩みは遅々たるものであったが、彼女は決して諦めなかった。



 氷竜にはそんな少女のことなど、今は頭の片隅にすら残されていなかった。

 支配するのは我が子を奪った人間への怒り、憎しみ。まるで澄んだ水の中に一滴の毒が落ち、それが一瞬のうちに広がって侵されてしまったかのような状態であった。

 虱潰しに町の上空を飛び回り、目に付く人間には鏃を飛ばし、見えない場所には容赦の無い冷気を吹き込ませる。


 その行為は、僅かにしか残っていない氷竜の魔力を怒涛の勢いで放出させていった。氷竜の肉体が警告を発しようとも、止めることはできなかった。

 糸で繰られる人形のように、そこに氷竜の意思はなかった。


 澄んだ涙が、氷の粒となって零れ落ちる。


──ックオオオオオオオオオ!!!


 激痛に喘ぐような叫びが、町の上空に響き渡った。



 縦横無尽に飛び回る氷竜を、少女は只管追い続けた。地上の入り組んだ地形では、飛び回る氷竜を追い駆けることは困難だ。まっすぐな道が無く回り道をすれば、抜けた時には既に氷竜は全く違う場所にいる。キリが無かったが、少女は持ち前の強い意思を持って、立ち止まることはしなかった。

 とは言え、このまま後を追うだけでは埒が明かない。少女は氷竜を追いつつも、何か策が無いかと考えることにした。


 少女は氷竜が人間を狙って追い掛けていることと、今までの移動経路を振り返り、行動に規則性が無いか考えた。すると、一つのことに思い当たった。

 氷竜が最初にいたのは、商人など外から来た人々が集まる大通りにある一つの大き目の宿屋の庭。そこでその場に居合わせた人々を襲った後、氷竜は逃げようとする人々を閉じ込めるように町の外周を凍らせていった。その次に向かったのは、一般の人々が住む住宅街。そして今、次に氷竜が狙いを定めたのが、裕福な商家や貴族が集まっている上流街であった。


 氷竜は、人々が多いところから襲っていたのだ。まるで人間に引き寄せられるようにして。

 そして少女はそのことから、確実に氷竜と接触できる場所を一つだけ絞り込んだ。

 今から貴族街に行ったとして、先回りは難しいだろう。もしも氷竜に近づけたとして、氷竜が少女一人に意識を向けなければ、彼女も有象無象の一人と認識して攻撃を向けてくるかもしれない。リミットの外れた氷竜の本気の攻撃と考えると、コートで防げ刺さらずとも、大きな衝撃を受けて少女が動けなくなる可能性は高い。

 氷竜が少女に気がつき、かつ声を聞き取らせる為に意識を向けさせなければならないのだ。


 少女はそのために、たった一つの答え、スラム街に走った。

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