228.異形の怪物
「大人しくしていてくれないのなら……そうだな、折角だからあいつを使ってみよう」
ダムイスはそう呟くと、壁に取り付けられていた魔道具らしき装置を操作し始める。すると程なくしてゴゴゴ……と何かが動く音が暗闇の奥から響いてきた。
「!」
その音と同時に、ずっと漂っていた奇妙な気配が一気に増大し肌を舐めるように流れ込み、リエティールは更に警戒を強めて身構え、暗闇の奥を睨みつけた。
「さあ、こい!」
ダムイスがそう呼びかけると、その気配はこちら側に向かって動き出し始める。
──グチャリ、グチャリ。
そんな音が聞こえ、徐々に大きくなると、やがて暗闇の中にその姿が現れ始めた。
体はヘドロのように黒くドロドロとしており、通った後にはドロドロと後を残しながら這いずって動くその生き物は、下半身は完全に溶けており、完全に人間や無垢種ではない生き物の姿をしているが、上半身はぼんやりと人型になっていた。それでもその部分もドロドロと不定形の状態で、輪郭は曖昧で表情らしきものをうかがうこともできない。辛うじて目や口の位置に凹みが窺えるのみである。
「ゴ、ガポ、オ゛……」
声なのかただの音なのか、泥水が沸いたような、どちらとも判断できない音を発するそれは、明らかに異様な存在であり、それを直に見たリエティールは思わず後ずさりをした。
そんな異形の怪物がそばにいるにもかかわらず、ダムイスは平然と、それどころか嬉々とした顔でその横に立ち、弾んだ声で話し始める。
「驚いたかい? こいつは昨日の夜生まれたばかりの、今までで唯一一日以上生き延びた実験体なんだ。 今までは発狂して数時間も持たずに死んでしまうものばっかりだったんだけど、こいつは相性がよかったみたいでさ。 まあ、知能は家畜以下になってしまったんだけど、私が主人であるという事はしっかり調教して教え込ませてある」
「これが……あなたの望む、新人類だって、言うの……?」
目の前の歪で不安定な存在の放つ気味の悪い気配に慄きながら、リエティールはそう尋ねる。それに対してダムイスは「いいや」と否定して答えた。
「こんな気持ちの悪い生き物を望んでいるわけ無いだろう? 新人類はもっと美しく格好良く、聡明な姿をしていなければ。 これはあくまで実験さ。
今までは適当な魔操種で試してたんだけど、スラムの質の悪い人間だから、ヘドロの魔操種のエグドゥルと相性がいいんじゃないかって試してみたんだよ。 そしたら上手くいってね、知能はゴミだけど辛うじて最低限の理性を持った生命体になったわけだ」
ダムイスのその言葉に、リエティールは不愉快そうに顔を歪め、
「質の悪い人間……?」
と口にする。しかしそんなリエティールの言葉をどう汲み取ったのか、ダムイスは得意げな様子を崩さずにこう続ける。
「実験体は二匹いたんだけどね、一匹は病気だったせいか死にそうだったからさ、もう一匹のこいつに食わせてやったんだ。 それで多少精力がついたってのもあるのかな?」
それを聞いたリエティールは、ついに我慢ができなくなり、怒りを露にしてこう叫んだ。
「さっきから! 人をなんだと思っているの!? スラムで生きていたってなんだって、同じ人間なのに!」
スラムで生きてきたリエティールにとって、ダムイスのスラムの人間をただの実験材料、それも質の悪いもののように扱う言い方は、耐え難く不快なものであった。
しかし言われたダムイスの方はというと、まるで何がいけないのか分かっていないかのように、心底不思議そうな顔をして首を傾げてこう言った。
「何って……生きている価値も無い捨てられた存在だろう? どうせ野垂れ死ぬならば、私の偉大な実験の礎となった方が何倍も素晴らしいだろう? 寧ろ喜んで協力するべきだ。 偉大な功績に貢献することができるのだから!」
その物言いに、リエティールは怒りのあまりに絶句した。彼女の言っている事は耳を疑うほどに受け入れがたい言葉であった。
そんなリエティールの沈黙を納得と受け取ったのか、ダムイスは再び笑みを浮かべると、
「分かってくれたかい? 君も大人しく実験に協力してくれるよね?
……さあ、行け。 こいつを捕らえるんだ。 それくらいはできるだろう? できないとは言わせない」
と言い、異形の怪物をリエティールに嗾けた。
「グィ、ガ、ゴパァ……」
喉からヘドロを湧き出させながら、そう呻いて怪物はリエティールのほうへと向き直り、その体をゆっくりと動かし始めた。
グチャリグチャリと、その動きはゆっくりとしたものであったが、リエティールはどう対処すればいいのかわからず途方にくれていた。
エグドゥルという名前はドライグの中の掲示板で見かけたような気もするが、それだけであって殆どどんな魔操種なのか知らなかった。それ故弱点や対処法などの知識も無い。そしてその不定形の体は、見るからに打撃は効きそうに無く、精一杯殴ったところで、精々一部が飛び散る程度であろう事は目に見えていた。
そして、ダムイスが「魔操種の力を持った人間」を生み出すことを望んでいる以上、周囲に他の人がいないとは言え目の前で安易に魔法を使うことは憚られた。もし見せれば更に興奮して何をしでかすか分からない。それ故に、空間の中に仕舞っている槍を取り出すこともできない。
リエティールはじりじりと近付いてくる怪物から一定の距離を保つために、ただ後退するほか無かった。




