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氷竜の娘  作者: 春風ハル
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225.囮

 静まり返った夜中、リエティールは宿を出て一人スラム街へと歩いていた。その顔は緊張で強張りながらも、覚悟を決めた目は真っ直ぐと前を見据えていた。

 スラム街に辿り着くと、リエティールは物陰に隠れて準備をする。着ていたコートと靴、風圧イクッサーの衣を脱ぎ、ペンダントも外して仕舞う。槍とレギンスは既に宿を出る前から外しており、今のリエティールはワンピースを着ているだけであった。

 リエティールは、自らをこのスラムの子どもに見せかけるという行為に出たのである。それは一連の事件の犯人と接触するためであった。

 スラムにいた頃と比べれば肉付きがよくなったが、魔法を使うようになってエネルギーの消費も増えたためかその体はまだ細身であり、髪や肌、目の色の特異性も、この暗闇であれば隠さずとも目立たないだろう。

 身なりが貧相でか弱そうな少女が一人、夜中のスラムで無防備にふらふらと歩いていれば、犯人は目をつけて向こうからやってくるだろうと、リエティールはそう判断したのである。

 自分の身を張る行為に、リエティールはかなりの緊張状態になってはいるが、それ以上に強い意志を抱いており、体の震えを抑えていた。それは偏に少女を助けたいという思いからであった。

 昨晩、魔法の使いすぎで深い眠りに落ちてしまったことを彼女は後悔していた。深く眠ったために、恐らく発されたであろう強い奇妙な気配を夜中に感じて目を覚ますことができなかった。それがずっと消えないことに気がついていればいち早くスラムに駆けつけ、異変がないか念入りに気を配ったはずであった。

 少女が攫われたとして、そのことに関してリエティールが何か原因になったわけではなかったが、それでも彼女は自らの行いを悔いており、もっと早い段階で少女を助けられたのではないかという思いを抱いていた。

 状況から考えるに、少女は十中八九事件に巻き込まれ犯人の元に連れ去られているはずである。しかしリエティールだけでは犯人の居場所に辿り着けなかった。ならば、犯人の方から迎えに来てもらえばいい。

 即ち、自らを餌として犯人に攫わせるつもりであった。犯人をその場で返り討ちにして真相を話させる、という手段も考えられたが、頑なに口を割らない可能性や、嘘を言って逃げ出す可能性もある。そもそも話が通じる相手かどうかもわからない。そのため、リエティールは危険ではあるが確実な方法を選んだのである。


「すぅ……はぁ……」


 気持ちを落ち着かせるために深呼吸をした後、最後の仕上げとして毒の予防薬を飲んだ。犯人が攫う際に睡眠や麻痺などの毒を使って無力化を狙ってくる可能性もある。勿論使われたら効いた演技をするが、抵抗できない間に何かをされる、という事態を防ぐためであった。

 リエティールは覚悟を決めて物陰から出て、スラム街の内部へと歩き出す。食べ物を探すように時折物陰を漁るフリをしながら、日中向かった方へとゆっくり進んで行く。気配は未だに残っており、辿るのは容易であった。

 油断しているように、たどたどしい足取りで、下ばかりを見ながら歩く。スラムで暮らしていた時代、そもそも一人で出歩くことがなかったリエティールは、自分がうまく「普通のスラムの子」を演じられているか不安を感じていたが、その不安も、今は危うさを感じさせる一つの要因として上手くはたらいていた。


 十数分ほど歩いた頃、リエティールは微かな足音を聞き取った。ひっそりと息を潜めるように小さなその音は、しかし確実にリエティールの方へと近付いていた。

 犯人が掛かった。

 それを認識したリエティールは、早まる鼓動を何とか抑えるように必死でこらえ、全く気がついていないフリをする。

 近付いてくる足音は非常にゆっくりで、リエティールが普通の人間ナムフであれば、まだ聞こえていないだろう程に小さい。それは明らかに常人の歩き方ではなかった。

 リエティールは物陰を漁ったり、壁にもたれて休憩するフリをしながら歩みを遅め、犯人が近づいてくるのを促した。その間も後ろを振り向かずに、油断しているように演じ続ける。

 徐々に足音が近づくと同時に、鼓動も早まっていく。足音よりも鼓動の方が大きく聞こえるほどであった。

 立ち止まり、振り向きたくなるのを必死でこらえ、相手の行動を待ち続ける。最早本当に足音が聞こえなくなり、タイミングをうかがうこともできなくなっていた。


「──っ!」


 不意に背後で物音がしたかと思うと、リエティールは羽交い絞めにされて口を塞がれる。その力は想像よりも弱く、振りほどこうと思えば簡単に逃れられるであろう程度であった。

 反射的に反撃しかけたが、振りほどきそうになった直前に力を抑えることに成功する。ここで振りほどいてしまっては作戦が上手くいかなくなってしまう。

 だが、無抵抗になるのも不自然なため、力を抑えつつ暴れることで抵抗の意思があることを示す。こうすれば、犯人もまさかわざと攫われようとしているとは思わないだろう。

 リエティールの企みは上手くいったようで、犯人が怪しむ素振りを見せることは無かった。


「すまないね、少し眠っててもらうよ」


 背後からそう、低い女の声が聞こえると同時に、リエティールの鼻腔を何かの臭いがくすぐった。言葉から判断するに、睡眠毒の類であろう。さほど強くないものなのか、予防薬を飲んでいたリエティールは全く眠気を感じなかったが、毒が効いている演技をする。

 徐々に抵抗する力を弱め動きを鈍らせ、ゆっくりと瞼を閉じていく。そして完全に体の力を抜き、目を閉じたところで、犯人は満足げに小さく笑った。

 そしてその犯人はリエティールを抱きかかえると、スラム街の奥、日中リエティールが辿り着いた場所へと向かっていった。

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