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氷竜の娘  作者: 春風ハル
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21.約束と最悪の朝

 そうして、少女達の日々は繰り返され、やがて数年が経った。真っ白で雪と氷しかないこの部屋での生活も、娯楽を知らない少女にとってはそこまで辛いものではなかった。寧ろ寒さに凍えず安全に過ごせ、栄養のある食事もでき、氷竜の生み出す水は体の奥底から力が湧いてくるように感じる。

 唯一苦労していた子竜の子守も、最近は楽になっていた。初めの頃は少女と遊べて楽しがっていた子竜も、時が経つと外で遊びたいと我侭を言って少女を困らせ、その度に氷竜が叱る、といったことを繰り返す時期があった。しかし最近はそういった我侭も言わなくなり、落ち着いているようであった。体の大きさも少女の背丈と同じ程度にはなっていたし、使える魔法も増えてきたようで、よく少女に「みてみて!」と自慢していた。

 少女も氷竜も、子竜が成長して我慢を覚えてくれたのだと思い、ほっとしていた。

 今の少女にとっての心配事は、氷竜の眠る時間が増えたことだ。疲れが溜まりやすくなっているのか、体力が減っているのか、出かける時間が減るのに反比例するように、睡眠時間が増えていった。それも深い眠りで、子竜がじゃれて上によじ登っても目を覚まさないほど深い。


 そんなある日のこと、氷竜は少女にふとこう尋ねた。


『して、ナムフの子よ。 今更とは思うが、お前の名は何と言うのだ?

 我が嘗て交流を持っていた人間は、皆「人間」と呼ばれるのはあまり好かないようで、必ず名を名乗っておったのだが、お前は今まで一度も名乗っていないだろう』


 自分の名前と最低限のプライドを持っているのであれば、種族名である「人間」よりも名前で呼ばれたいという欲求があるのは当然のことだろう。しかし少女は名前を持っていなかった。そのため、氷竜に「人の子」と呼ばれることに全く抵抗は無かった。


「私には、名前は無いの。 本当はほしかったから、おばあちゃんに一度頼んだんだけど、あげられないって言われちゃって……なんでなのかは、結局分からなかった」


 少女はそういいながら、あの時の複雑そうな笑みを浮かべる女性の顔を思い出した。当時女性が言っていたことは覚えていたのだが、その意味は今になってもわからないままであった。


 名前が無い、と聞いて氷竜は「ふむ」とわずかばかり考える仕草を見せ、やがて口を開いた。


『では、我にお前の名前をつけさせてはくれぬか?』


 思いもよらないその言葉に、少女は間抜けな声を出して口を半開きにした。自分に名前は無いものだとずっと決め付けていたために、突然名前をつけると言われて驚いたのだ。


『お前は最早我らにとって大切な存在だ。

 それに……お前は我を母と呼んでくれたであろう?』


 そういう氷竜の顔は穏やかで、どこか恥ずかしそうな笑みを浮かべていた。少女に母親として呼ばれたことが嬉しかったのだろう。


「も、勿論……!」


 名前を貰えるというのは少女にとって重大な出来事で、当然嬉しいことであった。本当は女性に貰いたかったという気持ちは拭いきれないのだが、氷竜も同じくらい大切で好きな存在になっていたのもまた事実である。それに、もう女性から名前を貰うことができなくなってしまった以上、今自分に名前をくれるのは氷竜しかありえないのだ。

 了承してもらえたことに、氷竜は笑みを深める。そこには安堵の色が窺えた。


『ふふ、それならば良かった。

 名前と言うのは大切なものだ、軽い気持ちでおいそれとは決められん。 明日まで待ってはくれぬか。じっくりと、お前にふさわしい名前を考えよう』


 明日、名前が貰える。

 少女は昂揚する。その気持ちが収まらないので、子竜と遊んで落ち着けようと思い、彼女は子竜のいる方へ向いたが、そこでは子竜はぐっすりと眠っていた。いつもなら起きているくらいの時間で、まだ眠るのには早い。夕飯も済ませる前だと言うのに。少女はそんな風に不思議に思いながらも、せっかく落ち着いて寝ているところを起こすのはよくないと考え、一人そわそわと部屋中を歩き回っていた。


 そしてその日の夜。興奮して眠れないかと思いきや、歩き疲れた少女はすっかり眠そうに欠伸をしていた。対照的に、昼寝をしていた子竜はあまり眠くなさそうであった。

 氷竜の翼の内側に包まれて二人並んで眠る。子竜が小さい間は少女が抱きかかえるようにして眠っていたが、今は少女と同じ身の丈であり、抱きしめるには大きいため、添い寝の形になっている。

少女はわくわくとしながらも眠気には勝てず、深い眠りに落ちていった。



 翌朝、氷竜は目を覚まして翼を持ち上げる。そのときに起こる風が少女の頬を撫でて目を覚まさせる。全身を大きく伸ばす二人は、顔を見合わせて重大なことに気がつく。


「エフィ……?」


 少女が辺りを見回しても、隣で寝ていたはずの子竜がいない。この部屋から出ていってしまったのだろうか。少女は慌てるが、この部屋から出ることは禁止されている。探しにいけるのは氷竜だけだ。当の氷竜も非常に焦っている様子で、部屋の外へ向かおうとしていた。

 しかし、その時少女は首筋を撫でる異様に冷たい風に、上を見上げた。


「……嘘」


 少女は、天井に開いていた穴を見つけてしまった。それは、子竜が通れそうな大きさの穴であった。少女は絶句してその穴を見つめた。

 すぐに氷竜もその穴があることに気がつく。すると氷竜の表情が見る見るうちに凍っていき、それに伴ってか部屋内の気温も下がっていった。


 二人とも油断していたのだ。成長した子竜は我慢を覚えて、もう脱走など考えていないだろうと思っていたのだ。

 だが、実際は違った。子竜はずっと外へ出たかったのだ。そして身につけた知恵を使って、二人を騙す為に、わざと落ち着いた振る舞いをしていたのだ。

 そして昼間のうちに眠っておいて夜に目を覚まし、氷竜が深い眠りに落ちた頃に翼の下から抜け出す。子竜の策にまんまと嵌ってしまったのだ。

 子竜は幼くても氷竜の力を受け継ぐ者。使える魔力が増えたことにより、その使い方も増えた。そして今、子竜は分厚く硬い氷の壁に、自身がギリギリ通り抜けられる程度の穴を開けることができるようになっていた。

 今の子竜ならば、以前のような無垢種ラミナに追われても、戦えずとも逃げ切ることはできるだろう。

 そして、より遠くへ。今まで到達できなかった場所へも。


『……ならぬ』

「母様?」


 ぼそりと呟いた氷竜は、最悪の事態を思い描いたのか、血相を変えて翼を羽ばたかせる。近くにいた少女は吹き飛ばされそうになりながらも必死で氷竜の脚にしがみついた。氷竜は少女のことなど気がついていないのか、そのまま上昇する。氷竜が天井に到達する前に、天井の氷は消失して大きな穴が開き、猛烈な吹雪が吹き込んでくる。コートのおかげで寒さは殆ど感じなかったが、叩きつけるような吹雪はまるで氷竜の感情がそのまま表れたかのようだ、と少女は思った。

 少女は振り落とされないよう、氷竜の脚に上手く乗る形で姿勢を固定してしがみつく。そうしている間にも氷竜は完全に「氷の要塞」から飛び出していた。

 離れる間際に、氷竜が視線を後ろにやると、開いた大穴は一瞬で塞がっていった。少女のことを気に留められないほど焦っていた氷竜であったが、そうなってもあの中には誰も入れてはならないという強い意志が残っていたのだろう。


 氷竜は猛吹雪の中を猛スピードでまっすぐ飛ぶ。子竜を探知する魔法を使っているのだろう、その動きに迷いは無かった。

 しばらくして、氷竜の飛ぶ勢いが落ちる。少女は固く瞑っていた目を僅かに開け、雪で煙る視界の向こうに、ぼんやりといくつかの明かりが点っているのが見えた。


(ドロクの町……? エフィは町に?)


 そこは少女が育ったスラムのあるドロクの町であった。同時に、少女は氷竜が考えた最悪の事態と同じ想像をして、その顔を蒼褪めさせた。

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