210.気持ちを切り替えて
店の鍵を閉める猶予だけを与えたあと、イザルの腕を引いて店を出たリエティールは、まだ憤った様子のままどんどんと歩みを進めていった。
「おい、どこに行く気だ」
「だから、食べ物を買うんです!」
後ろから掛けられた声にやや興奮気味の口調でそうリエティールは返すが、そんな彼女の返答に一つ大きなため息が返されると、
「……そっちに店は無い」
という短い言葉が返ってきた。
それを聞いた瞬間、リエティールはピタリと動きを止め、ぎこちない動作で後ろを振り返った。その顔が赤いのは、怒りよりも羞恥のためだろう。
そんな彼女の顔を見て、イザルは再びため息をつくと、
「わかったわかった、負けた……。 店に行きゃいいんだろ」
と言って、リエティールが向かっていた方向とは逆方向へと歩き出した。リエティールは慌てて気を取り直し、誤魔化すように小走りでそれを追い抜いて歩き出した。
暫く歩くと店の立ち並ぶ商店街の通りへと辿り着き、先程までいた住宅街の静けさは消え、町の人々が集まって買い物を楽しんでいた。
リエティールは周囲をキョロキョロと見回して、その中に野菜や果物を並べている店を見つける。
「あそこに行きましょう!」
そう言って、リエティールはイザルの返事も聞かずにその店へと向かって歩いていく。
リエティールが近付いて並んでいる野菜を眺めていると、それに気がついた店主が表に出てきて威勢よく笑顔で声をかけてきた。
「やあ、いらっしゃいお嬢ちゃん! 初めて見る顔だね、おつかいかい?」
「あ、えっと、こんにちは。 今日は、イザルさんの……」
店主の言葉に返事をしつつ、リエティールは視線を後ろにいるイザルへと向ける。店主も釣られるようにその目線を追うと、
「ん……? おや、イザルじゃないか! この時期に来るなんて珍しい」
「あ、いや……」
と、イザルの姿を見て驚いた様子でそう言った。一方のイザルはというと、気まずそうに目を逸らし、顔を隠すようにそむけて、なにやら言い訳を言いたそうに口ごもっていた。
「知り合いなんですか?」
そんなやり取りを不思議に思いながら見ていたリエティールが尋ねると、店主は頷いて答えた。
「イザルはうちの常連さ。 いっつもうちで野菜を買ってってくれてるよ。
ただ毎年この時期になるとぱったり姿を見せなくなるから心配してたんだ。 またくるようになったと思ったら、その時には随分とやつれた格好で来るもんだから」
それを聞いたリエティールが再び顔をイザルのほうへと向けるものの、イザルは冴えない表情で顔を背けたまま黙っているだけであった。
イザルの様子を見た店主は困り笑いを浮かべ、
「まあ、辛い気持ちは分かるさ。 普段頑張ってる分、この時期は気分も落ち込むだろう。
だがね、食事はしっかりしないといかんよ。 親父さんも、いつまでも悲しみ続けてまともに食事もしないお前さんの姿は見たくないだろう」
「……」
背けていた顔を戻すも、その表情は暗く俯き気味のまま、イザルは黙り続けていた。
その彼の様子を、リエティールは心配そうな表情で見上げていたが、やがてキッと顔を引き締めると、イザルの背を手加減無しに平手で叩いた。
「っつぅっ!?」
手加減無しの平手打ち。今のリエティールは以前よりも力が増加しているため、その威力は多少鍛えた成人男性に勝るとも劣らない、強烈な一撃であった。
気持ちのいいほど綺麗な音を立てたその一撃に、イザルは思わず声を上げ、涙目になって背中を摩った。そして困惑の表情でリエティールの方を見た。今のは本当にお前がやったのか?とでも言いたげな目をしている。
そんなイザルの気持ちを余所に、リエティールは彼の顔をまっすぐに見つめ返すと、また怒った口調でこう言った。
「悲しくても、いつまでもくよくよしていたら何も変わりません!
ちゃんと食べて、ちゃんと休んで、今できることを精一杯やらないと、誰も幸せにはなれないんです!」
その言葉は、彼女自身への言葉でもあった。
嘗て育ての親である女性を失った悲しみに暮れ、そのまま死んでしまいそうになった経験があるからこそ、今のイザルの気持ちがリエティールには痛い程分かっていた。現に、今も時々女性や氷竜とエフナラヴァのことを思い出して悲しくなることがある彼女は、忘れられずにいるイザルに深く共感していた。
「忘れられないのは仕方の無いことです。 でも、だからと言っていつまでも引きずって自分を苦しめるのは駄目です」
リエティールの言葉に、イザルは目を丸くして驚いていた。
「……お前は、一体……」
その横では、店主が腕を組んでうんうんと頷いていた。
「お嬢ちゃん、いいことを言うね。 そうさ、親父さんだって、いつまでもお前さんが悲しみ続けているのは望んじゃいないだろう。元気に笑って生きていて欲しいはずさ」
そして、ニッと明るい笑顔を浮かべると、パンッと手を叩いてその場の空気を切り替える。
「さあさ、今日は特別だ。 安くしてあげるから一杯買って一杯食べな!」
リエティールはその言葉に顔を綻ばせ、固まったままのイザルの袖を引く。
「イザルさん、一杯買いましょう! イザルさんのお料理を食べてみたいです」
そう言われたイザルは暫く間を開けた後、まためんどくさそうな表情に戻るが、その顔はこれまでよりもどこかすがすがしい気持ちが滲んでいた。
「食事は自分で取れって言っただろ。 ……まあ、一食くらいなら用意してやる」
イザルの言葉にリエティールは満足げに笑うと、早くとせかしながら買う野菜を次々に選んでいった。
 




