209.イザルの食事事情
魔法薬を受け取った後、リエティールはセイネの工房を後にしてイザルの店へと向かっていた。日が暮れるまではまだ時間があるが、急に訪ねるよりは前もって事情を説明しておいた方がいいだろうという判断のためであった。
リエティールは正直、勢いでああは言ってしまったものの、初対面の印象が悪いため緊張は少なからずあった。セイネと親しい間柄と聞いてはいるが、相手の機嫌が悪い時期に見知らぬ子供が急に泊まりたいと言うのはどうなのか、と常識で悩む部分もある。
しかしもう決めてしまったことである以上、とりあえず一度は話をするべきであると腹を括り、もしも駄目だったらその時は宿に向かえばいい、と考えていた。
セイネの工房から数分歩いて、目的の「ネットナック」へと到着する。やはり店の外壁は砂埃で薄汚れているが、セイネの工房とは違いその壁を蔦が覆いつくしているような事は無く、雑草が伸び放題になっているようなこともない。それを考えるとこうなる以前まではちゃんと手入れがされていたのだろうと考えることもできる。
それに、本当にズボラな性格であれば、そもそも看板すら掃除はしないだろうと考えると、恐らく本当はきちんとした性格である、というのは間違いではないのだろう。
リエティールは一度深呼吸をしてから、意を決してその扉を開く。ドアベルの音が鳴り響き、同時に埃っぽい空気が外へと流れ出す。
「すみません」
リエティールが店の奥に向かってそう呼びかけると、数秒の後に物音が聞こえ、のそりと言った動きで人影が奥から現れた。
「……なんだ、また来たのか?」
その人物、イザルは、大きな眼鏡を掛け直しながら、めんどくさそうな顔と口調でそう口にする。
覚悟はしていたものの、いざ面と向かうとその雰囲気のせいでリエティールは尻込みしてしまい、すぐに目的を言いだす事はできなかった。
だが、数秒の沈黙を経ると、あからさまにイザルの顔が不機嫌そうになったため、リエティールは慌てて目的を口にした。
「あ、あの、その……セイネさんに、ここに泊めてもらうといい、って、言われて……その……」
リエティールの言葉に、イザルは理解できない、というように顔を顰めて数秒の後、
「……はあ? あいつ、何言ってんだ?」
と言った。
「急に、ごめんなさい……」
「いや、急も何も、急すぎるだろ。 あいつ何を考えて……あいつ自身が来るならまだしも、なんで俺が見ず知らずの子どもを家に泊めなきゃなんねぇんだよ……」
大きなため息をついて、イザルは納得いかないというようにそうぼやく。
そんな彼の態度に、リエティールはますます萎縮して、
「やっぱり、だめ、ですか……?」
と恐る恐る尋ねる。そんな彼女の様子を見たイザルは、複雑な表情を浮かべて暫く黙った後、再び大きなため息をついて、
「わかった、わかったよ……寝る場所くらいはやる。 だが食事は自分で取れよ、面倒だ……」
と答えた。その言葉にリエティールは安心し、ぱっと表情を明るくした。それから頭を下げて、
「ありがとうございます」
と言うと、イザルは困惑したように目線を泳がせ、
「いいから、そういうの……さっさとついてきな」
と言って、リエティールを店の奥へと案内した。
商品の並ぶ店舗部分を抜け、奥にあった扉を開くと、そこには居住空間が広がっていた。
物が散らかってはいるが、セイネの工房のように埋め尽くされているわけではなく、それを除けば小奇麗な雰囲気であった。足の踏み場も無いような光景を想像していたリエティールは驚くと共に、やはりセイネの言っていた事は正しかったのだと改めて思った。
部屋の中央部にはソファとテーブルが置かれ、部屋の隅にはタンスやテーブルなどがあり、その空間に隣接するようにキッチンスペースがあった。
セイネはソファに掛かっていた衣服を適当に部屋の隅へと放り投げると、クッションと適当な毛布を代わりに引っ張ってきて、
「ここで寝な」
と言った。どうやらベッドを譲る気はないようである。リエティールは泊めてもらう側なので、ベッドを譲られたら遠慮はするつもりでいたが、そもそも譲られることは無かった。
部屋の内部を見回しながら、リエティールはキッチンへと近付く。流し台に汚れた食器が溜まっている様子は無く、そもそも食器を使っている雰囲気が無い。食器棚はあるが、皿などは全てその中にしまわれており、出されているのは流しの脇に置かれたコップくらいである。
調理をしたあとちゃんと片付けているのであればそれで問題ないのだが、今の彼の態度を見ると、とてもそうしているようには見えなかった。
「……何を食べているんですか?」
そんな様子を不審に思ったリエティールが尋ねると、
「何でもいいだろ……干し肉とパン。 あと水」
という返事が返ってきた。「何でもいいだろ」のあとは本来答える気は無かったのだろうが、リエティールがジトっと見つめたため、観念したように続けて答えた。
そして、それを聞いたリエティールは、
「駄目です!」
と怒った口調で言った。いきなり大声で怒られ、イザルは驚いてその目を見開いた。唖然とするイザルにリエティールは続けてこう言った。
「ここはスラムでもなんでもないんです! ちゃんとした食べ物が食べられるんですよ! ちゃんと食べなきゃ駄目です!」
元々満足のいく食事を十分にできない生活を送っていた彼女は、良いものを食べれば力がつく、ということを氷竜に教えられ、また与えられて知っていた。育ての親である女性も、いつも「良い物を食べさせてあげられなくてごめんね」と言っていた。
それ故に、ちゃんと食料を手に入れられる環境に暮らすイザルが、まともな食事をしていないということを知ると怒ったのである。
リエティールは唖然としたままのイザルの手を掴むと、店の外へと向かって歩き出す。
「おい、待て、なにを……」
「食べ物を買いに行くんです!」
突然の彼女の行動に成すすべも無く、イザルは引かれるがままに店を出る事になった。
 




