206.ネットナック
「や、おかえり。 無事に買えたかな?」
リエティールが工房の扉を開けると、作業中のセイネが振り返ってそう言い出迎えた。
「はい、えっと……あの人は……?」
買ってきた、液体の入った小瓶を取り出しながら、リエティールは何と尋ねればいいのかと惑いつつそう口にする。それを聞いたセイネは、思い当たる節が十分にあるのか、小さな苦笑を浮かべ、
「やっぱり、初めて行くと驚くよね。 説明するから、まあ買ってきたものはそこに置いて、座ってよ」
と言う。リエティールは頷いて小瓶を指差された場所に置きつつ、ソファに腰掛けて話の続きを待つ。
「彼はイザルと言ってね、トファルド……さっきも言ったけど、私の祖父の代からの付き合いでね。 こっちは錬成術師、あっちは素材の仕入れと販売、って感じで、いい関係を続けてるんだ」
「へぇ……そう言えば、セイネさんは貴族なんですか?」
トファルドの名前を聞いて、ふと先ほど苗字も名乗っていたことを思い出したリエティールが疑問に思いそう尋ねる。セイネは確かに身なりは綺麗で、お金に困っていそうな雰囲気は無いが、如何せん家の外観も中身も貴族らしさが感じられないため、中々に信じがたいことであったためである。
その問いに、セイネは困ったように笑うとこう答えた。
「形だけの、ね。 祖父が名誉錬成術師となった時、それまでの貢献も一緒に讃えて一番低いけれど爵位を授けると王様に言われたんだよ。
王様に言われたとはいえ、絶対的な命令でもないし、無理に受け取らなくても良かったんだけど、祖父は世間のことに疎くて。 貰えるものは貰っておけって、何も考えずに受け取っちゃったんだ。
それから、貴族の責務だとかなんだとか、色々忙しくなって後悔したみたいだけど、流石に面倒だからやっぱりいりません、なんて言えないだろう?
世間知らずの祖父にそういう仕事が勤まるわけも無くてね、結局祖父は形だけの当主になって、実際の仕事は祖母と私の両親が、その時から今に至るまでせっせと処理をしているんだ」
その話を聞いて、リエティールも釣られて苦笑する。どうやらセイネの祖父はかなり奔放な人であったらしい。
「じゃあ、その内セイネさんが後を継ぐんですか?」
リエティールがそう尋ねると、セイネはうーんと少し悩んでから、
「どうだろう。 私としては……後は継がないでずっと錬成術師を続けたいね。 それこそ死ぬまでずっと。
両親も、『やりたいことを思う存分やりなさい』って、快く錬成術師になることを認めてくれたし、祖父も『お前が錬成術師を継ぐなら安心だな』なんて言って、今は王都で悠々自適な暮らしをしてるよ。
私には一つ上の姉がいるんだけど、多分姉が後を継ぐんじゃないかな? 基本的にこういうのは男が継ぐものだけど、別に駄目って決まりは無いからね。 幸い、姉も乗り気みたいだし、そうなると皆望み通りに収まるんだけど」
と答えた。どうやらセイネの家族は祖父だけでなく、皆それなりに奔放で、柔軟な性格をしているようであった。成り行きでなったため、貴族としてのプライドがあまり高くない、というのが根底にあるせいかもしれない。
話し終えて、セイネははっと元の話題を思い出して話を再開した。
「ああ、えっと、話が逸れたね。 イザルの話に戻そう。
それで、彼が今やってる店は、彼の祖父が始めたものなんだ。 というのも、私の祖父と仲がよかったから、『いい素材を見つけてお前に売ってやる』っていう約束をしたのがきっかけらしいんだ。
イザルは錬成術師になりたがってて、別に店を継ぐ気は無かったし、彼の祖父が歳をとった後は彼の父が店を継いでいたんだ」
「じゃあ、どうして……?」
イザルがセイネと同じくらいの年齢であるならば、その両親もまだそこまで歳をとっている事は無いだろう。
リエティールの何気ない問いに、セイネはその表情を若干暗くした。そして、少し言い辛そうにしつつも、こう口を開いた。
「……彼の父は、事故で亡くなってしまってね。 母親は歳をとった両祖父母の世話で忙しくて、彼は一人っ子だった。 店を継げるのは彼しかいなかったんだ。
彼は祖父が好きだったから、その祖父が作った店を潰したくなくて……」
それを聞いたリエティールは、あまり聞いては良くないことを聞いてしまったと思い、顔を俯けて「ごめんなさい」と言った。
「私の事は気にしないでいいよ。 それより、この話を聞いた事はイザルには内緒にしておいて欲しいんだ。 彼、同情されるのは嫌いだからさ」
そのセイネの言葉に、リエティールは頷いて了承した。
それから、話題を変えようとリエティールは色々と考え、それから一つ、ずっと気になっていたことを思い出してセイネに尋ねた。
「そういえば、あの生き物……? はなんですか?」
あの生き物とは、目的の品であった水らしきものを吐き出した、雫型の奇妙な生き物である。
「ああ、あれは『ネットナック』だよ。 店の名前にもなっていただろう?
あれは錬成術師にとっては無くてはならない存在でね。 体に溜め込まれた水には、特殊な成分が溶け込むんだ。 普通に飲んでもただの水と同じだけど、命玉と合わせる事によって魔法薬に変わるんだ」
「え? じゃあ、あの水で魔法薬を作るんですか?」
リエティールは驚いて、先ほど置いた小瓶に目をやった。ただの水ではないと分かってはいたが、それならば吐き出す瞬間は見たくなかった、と若干の後悔を抱いた。何しろ、魔法薬は飲んで摂取するものであるためである。
リエティールの表情を見て何を考えているのか察したセイネは、苦笑いを浮かべて、
「気になるだろうけど、汚いものじゃないから、まあ……そこまで気にしちゃ駄目だよ」
と言った。そう言われても、と、リエティールは複雑な表情をしたままであったが、彼の言う通り、事実は変わらないため、深く気にしすぎるのもよくないだろう、と考え、一つため息をついてなんとか忘れるように努めることにした。




