197.背に乗って
海竜は早速、リエティールを乗せた霊獣種を探知し始めた。
この「探知」もまた無属性の魔法の一種であり、広い範囲を探すほど膨大な魔力を必要とするものである。方法は単純で、魔力を周囲に放出することで、それに触れたものの形などの情報を感じ取る、というものだ。
そうして目的の霊獣種の位置を感じ取った海竜は、戻ってくるように念話を放つ。念話は近くにいる者同士で使う場合でもかなりの魔力を消費するものであり、このように遠くへ飛ばす、という荒業はそれこそ古種くらいにしかできないことだろう。
念話を飛ばし、後は霊獣種が戻ってくるのを待つだけ、という状況で、リエティールは海竜にこう尋ねた。
「そういえば、あなたは後継ぎを作らないの?」
『うん? ……ああ、そうだね。 そろそろそれも考えなきゃいけない時期かあ』
そう言う海竜は、言動だけならばまだまだ若者のように感じ取られ、リエティールはその印象とのギャップに多少の違和感を覚えた。
『リエティールがそれを気にするのは、やっぱりドラジルブが衰えてたから?』
「……うん」
氷竜が老いを嘆いていたのは少なくは無かった。老いていなければ、力さえあれば、とうわ言を漏らすこともあった。リエティールはそれを聞くたびに心の痛む思いをしていた。そのため、海竜に同じ思いをさせたくない、という気持ちが少なからず存在していた。
彼女が沈痛な表情をしていることに気がついた海竜は、その目を細めてこう言った。
『心配しなくても大丈夫さ。 僕はドラジルブみたいに魔力を全部使い果たすようなことはしてないし、こう見えて百歳くらい若いんだから』
「百歳……?」
リエティールが首を傾げて聞き返すと、海竜はなぜか誇らしげに胸を張って答える。
『そう、ドラジルブとナクロヴが大地を安定させるのには百年くらいかかったらしくてね、僕とタミルクが生まれたのはその後なんだ』
氷竜の記憶の奥底には、恐らくその記憶も確かにあるのだろうが、流石に世界が生まれた頃の詳細なことまでは、今のリエティールにははっきりと思い出すことはできない。古すぎる記憶は霧がかかったように曖昧で、数百年程度の差異はごちゃ混ぜになってしまい上手く思い出せないのだ。
『でもまあ、百年なんてあっという間だし、君がちゃんと氷竜として覚醒する頃には考えておくよ。 その時は教えるから、よろしくね』
そんな会話をしていると、波の音の向こうから、かすかに霊獣種の鳴き声が聞こえてきた。姿は見えないが、恐らく海流の外側にいるのだろう。
そして、激しい海流を見たリエティールは、ふと思い出し、海竜に訪ねた。
「そういえば、昔船を沈めたことはあるの?」
『へ?』
突然そう尋ねられ、海竜は驚いて目を丸くした。
リエティールが尋ねたのは、海竜について調べた時に出てきた「海の口」の言い伝えのことである。海流を避けて中心に辿り着いた船が、海に沈んで二度と戻ってこなかった、という話だ。
海竜は何のことかと少しの間瞬きをしていたが、やがて思い出したのか、どこか気まずそうな顔をしてこういった。
『あの……僕、結構寝相が悪くてさ。 まあ、寝るときは大体ここの海の底で丸くなって寝るんだけど……その、寝つきが悪い時は、渦ができちゃってさ……』
「……もしかして、船を沈めたのは、寝相が悪かったから?」
リエティールのややトーンが低い声に、海竜は頭を垂れる。
『悪かったとは思ってるけど、不可抗力だよ……怪しい船なら警戒したかも知れないけど、まさか普通の船がこんなところまで来るとは思わなかったし……』
リエティールは暫しジトッとした目で海竜を見ていたが、悪気は無いのだと理解し、それ以上責めた視線を送るのは止めることにした。海竜と人間の間に何かがあったわけではないとわかったことで、多少の安心感を得たのも事実である。
そして、そうこうしている内に海流を潜り抜けてエボルエラの姿をした霊獣種が姿を現した。
『ただいま参りました。 御呼びでしょうか、海竜様』
『来てくれてありがとう。 君に頼みたいことがあってね。 僕が海流で道を作るから、君にはこのリエティールを目的地まで連れて行ってもらいたいんだ』
『畏まりました。 そういうことであれば、喜んでこの力をお貸ししましょう』
恭しくそう返事をした後、霊獣種はリエティールの元へと近付き、背に乗るように促した。リエティールがそっとその上に乗ると、彼女の周囲を薄い水の膜が覆った。
『それじゃ、いってらっしゃい。 タミルクによろしくね』
そう海竜に見送られ、リエティールは手を振って別れを告げ、霊獣種と共に海の中へと潜り出発した。
海の中に潜った後も、水の膜が海水の浸入を防ぎ、呼吸も話しかけることも問題なくできるようであった。霊獣種が海流に乗ってかなりのスピードを出して泳いでも、その圧力で後ろに吹き飛ばされるようなことも無かった。
「ねえ、あなたに名前はあるの?」
『いいえ、ございません』
リエティールの問いかけに霊獣種は答える。霊獣種は元々親と言うものも持たない精霊種であるため、名前を持っていること自体、普通ではありえないことであった。
「じゃあ……私があなたに名前をつけてもいい?」
『それは……光栄です』
本来であれば一生得ることの無いものを、それも自らが尊敬する存在からもらえるとあれば、恐縮するのも無理は無いだろう。霊獣種の声は、念話でありながら嬉しさと驚きで小さく震えていた。
「えっと……それじゃ、あなたの名前は、レグナ、でどうかな?」
レグナは「空を飛ぶ者」を意味する言葉である。羽衣鯨の見た目から連想し、泳ぐ姿がまるで翼を広げて空を飛ぶようだ、とリエティールは思ったのである。
『レグナ……ありがとうございます。 この名は一生大切にし、永遠に忘れることはないでしょう』
そう言う霊獣種、改めレグナの声は、喜びに満ち溢れていた。表情の変化が乏しいエボルエラの姿ではあったが、もしも表情のある生き物の姿であれば、満面の笑みを浮かべていたことであろう。
「あと短い間だけど、よろしくね、レグナ」
リエティールは優しくそう語りかけ、そっと背を撫でた。




