18.氷竜と人間
現段階では含まれていませんが、今後軽度の残酷描写が含まれる場合を考慮し、「残酷な描写あり」の設定を追加しました。
そこまで過激な表現をするつもりはありませんが、苦手な方はご注意ください。
それから、今までの投稿で氷竜の一人称にブレがあったため修正しました。正しくは「我」となります。ご迷惑をおかけしました。
氷竜の魔法の力を宿したコートを身につけた少女は、終始笑顔であった。それまで感じていた肌寒さも無く、子竜がじゃれ付いて傷がつくのを心配する必要も無い。それに加えて、その見た目を少女は気に入っていた。派手ではない静かな煌きも、雪の結晶の刺繍も彼女は甚く気に入っていた。
そしてなによりも少女が喜んでいたのは、女性の残してくれた形見でもあるこのコートをより長い間着続けることができるということであった。どんなに大切にしていても、着続けていればいつかは草臥れ、汚れ傷つき駄目になってしまう。氷竜はそれも心配しなくていいという。
あらゆる温度変化から身を守り、何度着ても痛まない服。そんなものが世に出回れば様々な方面から欲しいと手が伸びるだろう。だが少女はそんな価値のことなど考えもせず、ただ純粋に喜んだ。
そんな少女のことを微笑ましく眺めていた氷竜であったが、ふとその視線が少女の足元に向き止った。そして彼女にこう尋ねた。
『お前のその靴もなんとかせねばならんな』
そう言われて少女は自分の足元を見る。履いているのはボロボロで、底は擦り切れ、つま先には小さな穴が開いている、もはや靴とも言い難いほどの物であった。
これは女性がゴミ捨て場から拾ってきた子ども靴をそのまま履いていたものだ。女性は服は仕立てられたが、靴を作るのは方法を知らないためにできなかった。そのためゴミ捨て場から比較的綺麗な子ども靴をいくつか持ってきて、少女の足に合うものを履かせたのだ。
靴は嵩張るため、そう頻繁には拾ってこられなかった。それに最期の辺りは布を運ぶことすらきつくなっていたため、少女は長いこと同じ靴を履き続けていた。元々どこかのお金持ちが子どもに履かせていた質のよい靴だったのかもしれないが、こうも長い間履き続ければボロにもなる。
足裏からは地面の感触がそのまま伝わり、穴からは雪や土が入り込む。自然とそうなっていたため少女は気にしていなかったが、よくよく考えれば無いよりはマシ程度のものであった。
『足先が冷えると人間には良くないと言うな。 その靴は変えても構わないものか?』
氷竜がそう尋ねると、少女は首を縦に振る。これは別に形見と言うわけでもないので、別のものに変えてしまっても問題はなかった。氷竜は少女の返事を見ると、少女の前に空間の穴を開ける。少女がその穴の中を覗きこんでみると、そこには靴がいくつか並べられていた。大人用の靴が多いが、いくつか子供サイズと思われるいくらか小さいものもある。
少女が穴から顔を出し氷竜の方を見る。これは一体なんなのかと言う疑問に満ちた顔をしていたが、氷竜は気にせずに、
『その中から好きなものを選ぶといい』
と言う。とりあえず先に選んでしまおう、と少女は思い、履けそうなものをいくつか取り出し、一つずつ履いてみる。履き心地がいいと少女が選んだのは白い紐の通された黒いショートブーツだ。ピッタリではないが、紐でしっかり縛れば多少大きくても脱げることは無い。
少女は問題が無いか、履いてから部屋の中を歩いたり小走りしたりする。何をしているのかよく分かっていないのか、面白がった子竜がその後ろをついて回っていた。
少しして問題ないと感じた少女はこれにすると氷竜に告げると、氷竜は満足そうに頷いていた。そんな時、少女は最初に見たときに思った疑問を何気なく口にした。
「あの、この靴も、人間からもらった物なので……?」
思わず丁寧な言葉が口をついて出そうになり、言いかけた途中ではっと口を噤む。それに、氷竜の過去のことにあまり触れないほうがいいのではないかと思ったことを思い出して、少女は不安になる。
しかしその思いに反して、氷竜は怒ることも悲しむこともせず、穏やかな表情でこう言った。
『うむ、そうだ。 人間の服や靴と言うものは我には必要ないのだが、それを作った者たちは自分達の作品を我に渡したかったらしい。
健気な人間達の努力の結晶だ、無下にはできん。 貰った物は全て大切に保管してある。
こうして役に立つのであれば、作ったものも浮かばれよう』
その語調はどこか明るく、昔を懐かしむようだった。少女は拍子抜けした顔で氷竜を見つめていた。
どうやら氷竜にとって、人間を遠ざけた理由や魔力を使い果たした原因について語ることは憚られることのようだが、人間と過ごしていた時の記憶を語ることは苦ではなく、寧ろ嬉しいことのようであった。
『人間は皆懸命に生きていた。 我は彼らを大切に思っていた。
……だからこそ、人間達をこの地には近づけたくなかった。 まさかこの地に町ができるとはな。
しかし我はそれを彼らが選ぶのならば拒否はせん。 だが、この場所を明け渡すことはできんのだ。
我が、臆病なせいで、な』
人間との思い出を語ることは氷竜にとって良いことのようであったが、やはりそれを語ると「事情」の話と繋がってしまうらしく、その語調は弱まり、表情も曇っていく。少女はただ困惑した顔で見つめることしかできなかった。
氷竜は人間を嫌っていたり、ましてや敵対視しているなどと言うことは無かった。寧ろ親愛の情を抱いていた。氷竜は人間の味方だったのだということを少女は知った。
氷竜はいつの間にか自分がどんどんと落ち込んでいっていることに気がつき、その記憶を振り払うように頭を振ると、少女に向かって微笑んで言った。
『我はあれ以来、人間との接触を恐れていた。 だが、お前と出会えたことは幸福だと思っている。
感謝するぞ、人の子よ』
突然の謝辞に、少女は驚き、そして氷竜と同じように微笑んで、
「私も、助けてくれて、ありがとう。
──母様」
と、照れくさそうに言った。その言葉にもう怯えは無い。隣に寄り添っていた子竜も同調するように「かーさま!」と言う。その言葉に、氷竜は不意をつかれたように目を見開き、そして同時に愛おしく思う。
老いて朽ちゆくだけのこの身に与えられた最期の幸福なのだろうと、氷竜は思った。