17.魔法の光る糸
運動を兼ねた子竜との遊びと、食事と休息を繰り返しているうちに時間が経ち、少女は眠気に欠伸をした。それに釣られるように子竜も欠伸をする。
この白い空間の中では、ほんのりと煌く氷の明かりで常に一定の明るさが保たれているため、時間の経過が分からない。確認できるのは氷竜のみで、その方法は単純。天井の分厚い氷を操り、外が見える程度の穴を開けるのだ。少し前までは常に開いている穴がこの部屋の外の天井にいくつかあったらしいのだが、子竜がそこから何度も脱走しているため、前回の脱走があってからは完全に塞いでしまったらしい。
『ふむ、疲れているようだな。 では、今日はこのあたりにして眠るがいい』
二人の欠伸を見、外を覗いた氷竜はそういうと、毛皮を敷いた寝床の上で伏せ、その巨大な翼をゆっくりと広げる。ちなみに、この毛皮も氷竜が空間の中に保存していたものの一つだという。
広げられた翼のもとに、少女は子竜を抱えて歩き、そっと横になる。すると氷竜は広げた翼を、風を起こさないようにゆっくりと下ろし、二人を包み込むような体勢になる。
氷竜のオーロラのような飛膜は半透明で、絶えずその色は揺らめく。包まれると光のドームに包まれたようで幻想的な空間を生み出す。氷竜の身に纏う鱗は冷たいが、飛膜からは体温が伝わってきて、内側はほんのりと暖かくなる。そうすると、少女も子竜も眠気が更に誘われて、自然と眠りに落ちるのであった。氷竜はどちらもしっかりと眠ったことを確認してから、漸く眠るのである。
ぐっすりと眠り、やがて目が覚めると、氷竜はその翼をさっと持ち上げる。すると皮膜の外側の温度の低い空気が風と共に入り込み、二人を撫でるようにして、目覚めを促す。少女は身震いをしてすぐに起き上がるが、子竜はあまり効いていないのか、小さな鳴き声を漏らしながらゴロゴロと蠢いている。こうした時は、氷竜が一滴の氷を解かした水を背中に垂らす。すると子竜はビックリして「キュー!?」と鳴いて飛び起きるのだ。
『ところで人の子よ、身震いをしておったが、やはりここはお前にとっては寒いか?』
氷竜は少女が身を震わせて飛び起きる様子を見て、どこか心配そうに尋ねた。
「そんなことありません! 十分です」
それに対して少女はとんでもないというように首を振る。確かに、以前女性と暮らしていたスラムの家よりは、隙間風が吹くことも無く、比較的暖かい場所であった。
しかしあくまでもそれは「比較的」であり、普通の人間からしてみればここは寒いのである。確かに隙間風は無いが、空気穴で外とは繋がっているし、氷竜や子竜の鱗からは冷気が発されている。そのため十分に暖かくなることは無いのであった。
少女はそれを平気なように振舞っていたが、寝起きでの無意識の行動は隠せず、氷竜はそれに気がついてしまった。少女の回復を優先的に考えている氷竜としては、そのやせ我慢を見逃すわけには行かなかった。
『そんなことはなかろうに。 気がつかなくてすまなかった。
一つ尋ねたいのだが、お前のその着ているものは大切なものなのか?』
氷竜はそう言った。少女は何故そう思ったのか、氷竜が気がついたということに驚いた様子であった。何故氷竜がそう言ったのかと言うと、別にそれは少女が大切にしているということに気がついたからではなかった。単にこれから氷竜がやろうとしていることに、少女が今着ている服を必要としているのかが関わってくるためであった。
「これは……大切な形見、です」
少女がそっと自らの体を抱くようにしてそう答える。
『ふむ、では少し言いにくいが……、我がその服に少し手を加えても構わないだろうか?
何、形を変える事は無い。 お前を守る為に少しばかり魔力を与えたいのだ』
そう言われ、少女はやや困惑する。大切な女性の形見に対してそう簡単に手を加えてほしくは無い。しかし自分のことを守ってくれている氷竜の頼みであり、そして氷竜がこの形見を台無しにすることは無いだろうという思いもあり、少女は暫く悩んだ。そしてそののち、少女は了承するように首を縦に振った。
それを見た氷竜は満足そうに頷き、自らの尾を口元に寄せる。その際、尾の先の、皮膜と同じオーロラ色をした鰭のような部分が棚引く様に、少女は思わず見とれてしまった。
氷竜は寄せた尾の先から一枚、鱗を銜えて引き抜いた。それは氷竜の鱗の中では小さいものであったが、それでも少女の顔半分を覆い隠せるくらいの大きさがあった。
『では、そのコートを広げてくれ』
少女は言われるままにコートを脱いで、氷竜に向かって広げた。
何が起こるのかやや不安げに見守る少女の前で、氷竜の引き抜いた鱗が白い光を帯び、宙へ浮かび上がる。その光は徐々に拡散するように広がり、そして形を変えて無数の細い糸のようになった。魔法の光る糸となった鱗は、コートに向かって優雅に泳ぐように飛んで行き、するり、とその布地の中へと入り込んでいく。
少女はそれを見て、女性が服を仕立てているときの様子を思い出した。魔法の糸が布地へと滑り込むようにして編みこまれていく様子は、女性が生地を縫い合わせる時の手つきを髣髴とさせ、少女は無意識に目の前に光景の中に女性の姿を浮かび上がらせていた。
「おばあちゃん……」
その少女の無意識な呟きが氷竜に届いたか否かは不明であったが、氷竜は穏やかな表情で魔法を行使していた。
やがて無数の糸が編みこまれ、コートが纏う光が収まると、そこには少しだけ変わったコートの姿があった。
コートの見た目が変わることを懸念していたはずの少女は、思わず目を見開いて、「わあ……」と感嘆の声を漏らした。
黒い無地のコートであったそれは、色は変わらないまま、降り積もった新雪が光を反射する時の煌きと同じものを湛えていた。そして裾のあたりには、白い雪の結晶の形をした刺繍が施されていた。
『どうであろう? お前が気に入ってくれればよいのだが……。
そのコートには我の鱗を使って十分な魔力を織り込んだ。 身に纏えば寒さを防ぎ、熱から守ってくれるはずだ。
それから、もしも危険が迫れば、氷となって硬化し防いでくれるだろう。 勿論それには限度があるが、ある程度の傷ならば時間が経てば、魔力同士が結びつき自然と修繕されるだろう』
形見ではあったが、何の変哲も無い普通のコートであったそれが、今この瞬間とてつもなく素晴らしいものとして完成したのだと、少女は思った。変わってしまったことに違いは無いが、これであれば女性も笑って喜んでくれるのではないかと思ったのだ。
少女はそれを力強く抱きしめて、
「ありがとう!」
と言った。そう言ってから数秒して、少女は「あっ」と言って慌てた表情になった。思わず砕けた口調になってしまったことを心配しているのだろう。しかし当の氷竜は全く気にした様子は無く、寧ろどこか嬉しそうな様子でこう言った。
『気にするな人の子よ。 それに我はお前をもう他人だとは思っておらん。 対等な仲間であると思っているのだ。 お前は違うか?』
それを聞いた少女は思いっきり首を横に振り、
「いえ……ううん。 私も、私もあなたと、もっと仲良くなりたい……!」
と言った。そしてお互いの顔を見詰め合って笑みを浮かべる。そんな二人の間に「キュー!」と、自分もと言うように子竜が割り込み、ますます笑みを深めるのであった。