172.港町へ
午後、リエティールはエゼールと共に乗り合いフコアックの停留所へ歩いていた。
本来はもう少し王都でゆっくりする予定であったエゼールだったが、今回起きた出来事を報せるために、いち早くクシルブへ戻らなければならなくなったため、こうして二人で向かっているのだ。向かう方向こそ違うが停留所は近い場所にある。
「リーちゃん、ありがとうね。 あなたが私のことに気がついてくれていなかったら、今頃どうなっていたか分からないわ」
「いいえ、そんな……エゼールさんが無事でよかったです!」
エゼールが改めてそう礼を述べると、リエティールは気恥ずかしそうに照れ笑いをした。
「とにかく、早く戻ってお父様に詳しい話を伝えないと……はぁ……」
そう言って憂鬱そうにため息をついたエゼールへ、リエティールが不思議そうに首を傾げて視線を送ると、それに気がついた彼女は苦笑を浮かべてこう言った。
「私がもう少し、毛嫌いしないで彼と向き合っていたら、もっと穏便に済ませられたんじゃないかって……。 そう思うと、ちょっとね……」
彼、とはネグルドニのことであろう。真実を知った今となっては、彼の激しいアプローチの裏側にあった苦しみに気がつくことができていたら、とエゼールはどうしても考えてしまうのだ。
「でも、エゼールさんは悪くありません」
再びため息をついたエゼールに、リエティールが心配そうにそういうと、
「そうね、今こんな風に話していても、後には戻れないものね。
今はただ、早くお父様にお報せすることがするべきことだわ」
と言い、憂いの晴れた顔でリエティールに微笑んだ。
それから、不意にリエティールはあることを思い出してエゼールにこう尋ねた。
「そう言えば、初めて聞いたのですけど、『誓いの輪』ってなんですか?」
デッドリグが誤魔化そうとしていた時、イティルの発言の中に含まれていた言葉である。その時は状況が状況だった為聞くことができなかったが、どうやら既婚者であることを示すようなものであろうことは分かっていた。しかしそれが具体的にどんなものかは知らなかった。
「夫婦の誓いを結んだ時に、その印にお互いの名前を刻んだお揃いの耳飾をつけるの。 始まった当時は輪っか状の耳飾が主流だったから、『誓いの輪』って呼ばれるようになったそうよ。
今では輪の形でなくても良くなっていて、耳飾ではなく指輪や首飾りにする人もいるみたい」
へえ、と聞いていたリエティールだったが、ふとエゼールの顔をじっと見つめた。それに気がついたエゼールが「どうしたの?」と尋ねると、リエティールは小さく笑って、
「セノさんとお揃いの耳飾をつけていて、誓いの輪みたいだなぁ、って……」
と言うと、途端にエゼールの顔が真っ赤に染まり、色の無くなった耳飾を隠すように手で覆った。
「こ、ここここれは、そんな……や、やめて!」
と言いつつ外さないところを見ると、恐らく満更ではないのだろう。そんな彼女の反応を見て、リエティールはニコニコと笑い、エゼールは「もぅ……!」と拗ねたようにそっぽを向いてしまった。
暫く歩いて停留所に着き、エゼールも落ち着いて機嫌を直していた。心なしか、髪を触って耳飾を隠し気味になっている。
向かう先が違うため必然的にここで分かれることになるため、二人は最後の別れの言葉を交わしていた。
「リーちゃんとお友達になれてよかったわ。 またいつか会いましょうね!」
「もちろんです! 私もエゼールさんに会えて良かったです、さようなら!」
そう言葉を交わすと、エゼールは不意に何かを取り出してリエティールに見えるようにそれを前に出す。見ると、それはリエティールの写し絵であった。数日前、レパルゴに頼まれて公園で撮ったあの写し絵である。
ここに来る前、レパルゴの元へ立ち寄って受け取った複製であった。映っていたのは柔らかな微笑を向けるエゼールと、まるで別人のように穏やかな笑みを浮かべるリエティールであった。
写し絵の仕上がりはかなりのものであり、レパルゴ自身も「傑作だよ」と自負するほどであった。二人は勿論店先に飾ることを承諾し、そしていつでも思い出を思い出せるように、と互いの写真を交換していたのだ。
リエティールも写し絵を取り出して笑うと、エゼールはとても嬉しそうに頬を緩めた。そのまま手を振りながら分かれ、リエティールは再び一人になり、少し心細く思いながら港町へ向かうフコアックの停留所がある方へ歩き出す。
するとそこで、背後からリエティールの名前を呼ぶ声が聞こえてきて、振り返るとそこには走ってこちらへ向かってくるデッガーの姿があった。
驚いて立ち止まるリエティールの元に彼は追いつき、一つ息をつくとやや不機嫌そうな顔でこう言った。
「全く、まともに別れも言ってないのに行っちまうのかよ……!」
「え、でも……ナーツェンさんにちゃんと……」
戸惑った様子でそう答えると、デッガーは眉尻を下げてどこか寂しそうに、
「お前って、案外淡白なのな……」
と呟いた。
それから彼は気を取り直して、持っていた籠をずいと突き出してリエティールに無理やり持たせた。リエティールがデッガーの顔を見上げると、
「ヒドゥナス。 俺が狩った魔操種の肉を使ってあるんだから、残さず全部食えよ」
と彼は言う。そんな彼の言葉に、クシルブを立つ際のソレアを思い出し、そしてその時とは違うデッガーらしい渡し方に、リエティールはおかしく、そして嬉しくなって、
「はい、ありがとうございます!」
と満面の笑みで答えた。
その後、彼に見送られながらリエティールは港町行きのフコアックに乗り込んで出発した。今回はそう遠くないため、一時間も掛からないらしい。
窓から入る風に吹かれながら、リエティールは受け取ったヒドゥナスを一口食みつつ、これからの行く先に一人思いを馳せた。




